第15話 考えたら遅い
《魔力操作》の訓練を始めて、二週間が経った。
朝と寝る前。毎日欠かさずやっている。目を閉じて、背筋を伸ばして、体の奥に意識を向ける。胸の真ん中あたり。何かがあるはずの場所。
何も感じない。
二週間。一日も休んでいない。朝と夜で合わせて三十回近くやった。結果はゼロ。毎回同じ。暗闇の中で自分の呼吸を聞くだけの時間。
でも続けている。止めたら、一ヶ月夜通し3層に通い続けた日々が無駄になる。金貨一枚分のヒントが無駄になる。
止めない。
午後のダンジョン。2層を回っている。夜勤をやめたから、午後に潜る生活に戻った。2層の魔石は安い。エリアナに預ける分は少ない。50,000ロアが遠い。
でも今は訓練が先だ。金は後。
通路を歩いていると、ミニマップに点が一つ映った。
冒険者だ。2層にはよくいる。気にせず進む。
……いや。
白じゃない。
点の色が違う。青い。
赤は敵。白は中立。知らない冒険者なら白で映る。青は友好だ。僕に好意を持っている相手。
2層で僕に好意を持っている人間は、多くない。
通路を曲がった。
赤い髪が見えた。
カイだった。
通路の先で、ラットと戦っていた。手には木剣ではなく、本物の剣。安物だけど、ちゃんとした鉄の片手剣。腰に鞘がある。装備が前に見たときより少しましになっている。
カイがラットを横薙ぎで斬った。一撃。無駄がない。廃墟帯の素振りが、そのまま出ている。振り下ろし、横薙ぎ、突き。何千回と繰り返した動きが、実戦でそのまま形になっていた。
ラットが煙になって消え、カイが魔石を拾い上げた。そこで、こちらに気づいた。
「カイ」
「……ルートか」
少し驚いた顔をした。廃墟帯の外で会うのは初めてかもしれない。あの場所で名前を交換してから、しばらく会えていなかった。
「午後に来てるんだ」
「ああ」
「一緒に回る?」
「……別にいい」
カイの「別にいい」は「いいよ」の意味だ。たぶん。あの場所で何日も隣にいて、そのくらいは分かるようになった。
二人で歩き出す。
カイが前。僕が少し後ろ。ロラのときと同じ配置。前衛と後衛。
でも雰囲気が全然違った。
ロラは声を出す。「行くわよ!」「左!」「遅い!」。戦闘中も、戦闘の前後も、常に声がある。
カイは無言だ。黙って前に出て、黙って斬る。振り返りもしない。こちらに何かを求める気配がない。
でも、動きは正確だった。
通路の合流地点にミニマップで赤い点が二つ映った。
「前に二匹」
「ああ」
それだけ。
カイが踏み込んで一匹目に横薙ぎを入れた。剣が空気を裂く音。ラットが吹き飛ぶ。二匹目がカイの右に回り込む。
僕はもうそこにいた。右の短刀で二匹目の首を裂いて煙にする。
言葉が少ない。でも噛み合っている。
ロラとは違う形で。声ではなく、動きで繋がっている。
先に進む。2層の奥、ラットが三匹いる区画。
「前に三匹。広い場所」
「ああ」
角を曲がると、カイが正面に出た。一匹目に踏み込んで振り下ろす。真上から叩き斬る。重い。木剣の素振りと同じ動きなのに、鉄の剣が加わるだけで威力が全然違う。
二匹目と三匹目が左右に散った。僕が右を取って短刀で斬り、カイが左を追って横薙ぎを入れた。ほぼ同時に片付いた。
「速いな」
カイが言った。短い。でも、褒められている気がした。
「カイのほうが重いよ。一撃で沈む」
「お前は二本で来るから、相手が迷う。悪くない」
カイに「悪くない」と言われると、なぜか嬉しかった。この子は嘘を言わない。必要なことしか言わない。だから言葉に重みがある。
しばらく二人で2層を回った。
カイの剣を近くで見ていると、改めて思う。廃墟帯の素振りが、そのまま出ている。振り下ろし、横薙ぎ、突き。毎日何千回と繰り返した動き。考えて振っていない。体が勝手に動いている。足の位置も、腰の入れ方も、剣の角度も、全部体に刻まれている。
頭と体が一つになっている。廃墟帯で見たときにも思った。
「カイ。剣を振るとき、何を考えてる?」
「何も」
「何も考えてないの?」
「考えたら遅い」
短い。でも重かった。
考えたら遅い。
カイにとっては当たり前のことなんだろう。何千回も振って、体に染み込ませた。だから考えなくていい。考えたら、体の動きに頭が追いつかない。
《魔力操作》もそうなのかもしれない。「魔力を感じよう」と頭で考えている間は、感じられないのかも。考えるんじゃなくて、ただ感じる。カイが剣を振るときみたいに。頭じゃなくて、体で。
でも、「考えるな」と言われて考えないでいられるなら苦労はしない。前の人生で「考えすぎ」と何度言われたか。企画書の粗を探すのが仕事だったのに、「もっと直感で」と言われても困った。
小さな気づきだ。でもまだ答えじゃない。
帰り道、2層から地上へ戻りながら並んで歩いた。カイの足音は静かだ。
「お前、敵の位置が分かるのか」
カイが聞いた。ダンジョンの中で、僕が敵の数と方向を先に言い当てていたことに気づいたらしい。
「なんとなく」
「便利だな」
「カイの剣のほうが便利だよ。考えなくても動けるなんて」
「慣れだ」
「慣れか」
「毎日やれば慣れる。お前もそうだろ」
カイにとっては、それだけのことだ。毎日やる。体が覚える。以上。
地上に出た。午後の日差し。ギルドの前で足が止まる。
「またな」
カイが言った。短い。でも前より一語多い。
「うん。また」
カイが歩いていく。赤い髪が人混みに消える。手も振らない。振り返りもしない。
ロラとは違う。ロラは「また今度」と言う。カイは「またな」と言う。
どちらも悪くない。
小屋に帰って、寝る前の訓練。
寝台に座る。目を閉じる。背筋を伸ばす。手は膝の上。
考えたら遅い。
カイの言葉が頭に残っている。
今日は少しだけ、やり方を変えてみた。「魔力を感じよう」と力むのではなく、ただ体の奥にある何かを待つ。探しに行くのではなく、向こうから来るのを待つ。
考えるな。感じろ。
……どこかで聞いたような台詞だ。前の人生の映画だったか。
冗談はさておき。
何も感じない。
まだ。
でも、今日は力みが少しだけ減った気がする。「感じよう」と必死にならなかった。ただ座って、ただ待った。
それが正しいのかどうかは分からない。
でもカイは言った。「毎日やれば慣れる」。
毎日やる。それだけは続ける。
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