第14話 無理してない?
夜勤をやめた。
エリアナに《魔力操作》を教わった翌日から、生活を元に戻した。朝と寝る前に訓練する。それが最優先だ。夜中にダンジョンに潜っていたら、寝る前に集中できない。体が疲れた状態で「体の奥に意識を向ける」なんて、できるわけがない。
エリアナは言った。「何があっても休まないこと」。
だから、訓練に集中できる生活に戻す。
朝。目が覚めたら、寝台に座る。目を閉じる。背筋を伸ばす。手は膝の上。体の奥、胸の真ん中あたりに意識を向ける。
何も感じない。
五分、十分と経っても、何もない。暗いだけだ。自分の呼吸と、壁の隙間から入る朝の風。それしか感じない。
目を開けて配達に行く。
午前は配達。午後はダンジョン1〜2層か、廃墟帯。寝る前に訓練。一ヶ月前の生活に戻った。
3層には行かない。夜に潜らないから、行く時間がない。2層の魔石は安い。エリアナに預ける分は減る。50,000ロアが遠くなる。
でも、今は訓練が先だ。金は後でいい。
訓練を始めて数日。朝も夜も、何も感じない。毎日やっている。毎日、何もない。
「何も感じない」を繰り返すのは、想像以上にきつかった。
ダンジョンなら敵を倒せば魔石が出る。配達なら届ければ銅貨がもらえる。結果がある。手応えがある。でも訓練には何もない。目を閉じて、何も感じなくて、目を開ける。それだけ。
前の人生で、進捗ゼロのプロジェクトを毎日報告するのに似ている。「今日も進捗ありません」。あれは精神にくる。
でもやめない。エリアナが言ったから、じゃない。自分で決めたからだ。
今日は珍しく午後に体力が残っていた。最近は訓練に気力を使うせいか、午後は廃墟帯で少し(スモーク)を出してすぐ帰ることが多い。
でも今日は、久しぶりにダンジョンに行く気になった。
午後の日差しの中でギルドに向かう。冒険者が行き交う時間帯。
掲示板の前を通りかかったとき、青い髪が目に入った。
ロラだ。
掲示板を見ていたが、こっちに気づいて振り向く。
「あんた、久しぶりじゃない」
開口一番がそれだった。
「久しぶり」
「生きてた?」
「生きてる」
「死んだかと思ったわよ」
「大げさだな」
「大げさじゃないわよ。ひと月くらい午後に見なかったんだから」
少し怒っている。眉が寄っている。でもその奥に、怒りとは違うものがある。心配していた。この子は心配を怒りの形で出すタイプらしい。
「ちょっと忙しくて」
「前もそう言ってた」
「今日は暇だよ」
「暇って。あんたに暇な日があるの?」
「たまにはある」
ロラが腕を組んで少し考えてから言った。
「一緒に行く?」
「いいよ」
久しぶりの二人だった。
ダンジョンに入る。1層。いつもの空気。いつもの光石の明かり。
前と同じように、ロラが先に歩く。僕が少し後ろにつく。前衛と後衛。自然にその形になる。
最初のラットはロラが片付けた。角を曲がった瞬間に拳を叩き込み、一発で煙にする。
「遅い」
ラットに言っている。前と同じだ。
先に進む。通路の合流地点にミニマップで赤い点が二つ映った。
「前に二匹」
「了解」
ロラが踏み込んで正面のラットに右の拳を叩き込む。吹き飛ぶ。二匹目が横から回る。
僕が動いた。ロラが声を出す前に、もう二匹目の横にいた。右の短刀で首を裂いて煙にする。
「……」
ロラが振り向いた。少し目が丸い。
「速くない?」
「そう?」
「前より全然速い」
自覚はあった。Lv7になってから、2層のラットが遅く見える。体の反応が前とは違う。ロラが振り向くより先に、もう二匹目を仕留めていた。
2層に降りた。ここでも同じだった。
ラットが三匹まとまっている場所。ロラが正面を受ける。僕が横と後ろを取る。前と同じ連携。
でも、前より速い。
ロラが一匹目を殴る間に、僕はもう二匹目と三匹目の間に入っている。左の短刀で二匹目を斬り、右の短刀で三匹目を押さえる。ロラが一匹目を片付けて振り向いたときには、もう全部終わっている。
「……あんた」
「何?」
「動きが全然違うんだけど」
ロラの顔が真剣だった。
「前もそこそこ速かったけど、今は別人でしょ。短刀の捌きも鋭くなってる」
「毎日やってるからかな」
「毎日って、あたしだって毎日やってるわよ。でもこんなに変わらない」
答えに詰まった。レベルが上がったからだ。Lv5からLv7。一ヶ月夜通し3層に通い続けた結果。でもそれは言えない。
「才能じゃない?」
「嘘つき」
軽い口調だった。でも目は笑っていなかった。何か隠していると感じている。
ただ、それ以上は聞いてこなかった。
探索を続ける。2層を回る。ロラが前で拳を振り、僕が横を守る。声をかければロラの反応は早い。前と同じ連携。でも前より滑らかだ。
ロラも強くなっていた。
拳の振りが前より鋭い。踏み込みが深くなっている。蹴りの重さも増した。この一ヶ月、彼女も毎日ダンジョンに来ていたんだろう。午後に一人で、ここを回り続けていた。お互い、別々の場所で強くなっていた。
僕は夜の3層で。ロラは午後の1〜2層で。
でも、こうして一緒に戦うと、一ヶ月前よりもずっと噛み合う。僕が速くなった分、ロラのカバーに入るタイミングが早くなった。ロラの踏み込みが深くなった分、正面を任せる安心感が増した。
悪くない。
2層の端まで回って、帰路につく。魔石を分ける。今日は十個。手に取って一つずつ確認する。
魔石(小)品質:並
魔石(小)品質:良
魔石(小)品質:並
良いほうをロラの手に乗せた。
「こっちのほうが少し良い」
「また勘?」
「うん」
「……ありがと」
前より少しだけ自然だった。声も、目線も。二回目の「ありがと」は、一回目より軽い。軽いのに、ちゃんと届いた。
地上に出てギルドの前で魔石を売り、分けた。
別れ際、ロラが少し立ち止まった。
「ルート」
「何?」
「無理してない?」
少し間があった。
ロラの目がまっすぐこちらを見ている。青い目。空の色。さっきの「嘘つき」のときとは違う。もっと静かな目だった。
「してないよ」
「ならいいけど」
それだけ言って、ロラは歩いていった。手も振らない。振り返りもしない。青い髪が人混みの中に消える。
「無理してない?」
あの目は、嘘を見る目だった。でも追及はしなかった。聞いて、答えを聞いて、それ以上は踏み込まない。ロラなりの距離の取り方だ。
嘘はついていない。無理はしていない。
……少しだけ、しているかもしれない。でも、それはロラに言うことじゃない。
小屋に帰った。
夕飯を食べてから寝台に座る。寝る前の訓練。目を閉じる。背筋を伸ばす。手は膝の上。
体の奥、胸の真ん中。意識を向ける。
今日も何も感じない。
でも、今日はロラと一緒に潜った。久しぶりに誰かと並んで戦った。一人でやる夜の3層とは違う。声をかけて、反応があって、背中に気配がある。
悪くなかった。
無理してない?
ロラの声が頭に残っている。
目を閉じたまま、小さく息を吐いた。
止まるわけにはいかない。
でも、ロラが心配するから、たまには会いに行こう。
それに、一人じゃない時間も、悪くないから。
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