第13話 《魔力操作》
夜、潜る。朝、出る。配達。寝る。また夜。
その繰り返しが一ヶ月になった。
3層の地図はだいぶ埋まった。ミニマップに線が網目のように広がっている。主要な通路はほとんど歩いた。敵の出やすい場所、安全な広間、行き止まりの位置。全部頭に入っている。
最初は上位ラット一匹で手一杯だった。今は二匹同時でも対処できる。片方を短刀で牽制して、もう片方の隙を突く。足を使う。止まらない。止まったら囲まれる。
ステータスを開く。
ルート
シーフ Lv7
上がっている。
Lv5から二つ。一ヶ月で二つ。3層の経験値は2層とは比べものにならない。
敏捷も伸びた。数字を見なくても分かる。足が軽い。反応が速い。2層のラットを斬るとき、もう相手の動きが遅く見える。
でも、煙は変わらない。
たまに廃墟帯に行って(スモーク)を出す。結果は同じ。ただ広がるだけ。イメージしても、場所を変えても、何十回やっても。
レベルが上がれば変わると思っていた。体が魔力に慣れれば、煙も言うことを聞くようになると。
変わらなかった。
「レベルが足りない」は、間違いだったのかもしれない。
ロラに会わなくなっていた。
午後に寝ていることが多いから、ダンジョンで顔を合わせる時間がない。たまにギルドの前で見かけると、向こうも気づいて声をかけてくれる。
「最近午後にいないわね」
「ちょっと忙しくて」
「ふーん」
嘘ではない。でも全部は言えない。夜中に3層に潜っているなんて、言えるわけがない。
ロラは少しだけ不満そうだったけど、それ以上は聞いてこなかった。
カイとも会う回数が減った。廃墟帯に行く日が減ったから、当然だ。たまに行くと、カイはいつも通り木剣を振っていた。何も聞かない。こっちが来なくても来ても、同じように素振りを続けている。
そういう人だ。
今日、配達を終えてからエリアナの店に向かった。裏路地の奥。苔の壁。古い扉。もう何度目か分からない道。
「すみません」
「どうぞ」
中に入る。いつもの匂い。エリアナがカウンターの奥にいた。
今日は魔石を持ってきていない。持ってきたのは、別のものだ。
「エリアナさん。今、預けてる分はいくらですか?」
エリアナが帳面を開いて指で数字を追い、顔を上げた。
「金貨一枚と少し。おめでとう」
10,000ロアと少し。
一ヶ月かかった。毎晩3層に通い続けた。上位ラットを何百匹倒した。魔石を拾って、エリアナに預けて、少しずつ積み上げた。
ようやく届いた。
「次のヒント、お願いします」
「律儀ね。まけてあげようかと思ったのに」
「いりません。取引ですから」
エリアナが少しだけ目を細めた。
「そう」
帳面に何か書き込んで、閉じた。金貨一枚分。差し引き。取引成立。
エリアナがカウンターに肘を置いて、僕に向き合った。
「前に、器を決めてから注げと言ったわね」
「はい。やりました。何十回も。でもイメージだけでは煙は変わりませんでした」
「そうでしょうね」
知っていた顔だった。最初から、イメージだけでは足りないと分かっていた顔。
「レベルも上がりました。Lv5からLv7に。でも煙は同じです」
「レベルは関係ないわ」
あっさり言われた。一ヶ月の仮説が、一言で否定された。
「関係ない……?」
「レベルが上がれば体は強くなる。でも、魔法の形を変えるのは別の話よ」
「じゃあ、何が足りないんですか?」
「《魔力操作》」
「《魔力操作》?」
「魔法書の魔法は自動よ。発動すれば、書かれた通りに出る。形も威力も決まっている。でも、自分の魔力を自分で操れる人は、違うことができる」
エリアナの声は穏やかだったけど、一語ずつに重さがあった。
「あなたの体の中にある魔力。それを感じて、イメージで動かす。範囲も形も速度も、あなた次第になる」
「自分の魔力を……感じて、動かす?」
「ほとんどの人にはできないわ」
エリアナが少し間を置いた。
「魔力は目に見えない。自分の中にある力を感じ取って、具体的なイメージで動かす。抽象的すぎて、普通の人には掴めない」
頭の中で、何かが繋がった。
イメージと煙の間に欠けていた「橋」。それが《魔力操作》だ。器をイメージで決める。注ぐのは《魔力操作》でやる。二つ揃って初めて、煙が形になる。
エリアナは最初から知っていた。二段階の仕組みだと。でも一段階目だけ教えて、二段階目は僕が壁にぶつかるのを待った。
「最初から教えてくれてもよかったのに」
「壁にぶつからないと、教えても入らないわ」
「……」
「あなたは一ヶ月かけて、イメージだけでは足りないと自分で分かった。だから今、この言葉が入る」
悔しかった。でも正しい。
もし最初にこれを聞いていたら、僕はたぶん「《魔力操作》? よく分からないけどやってみよう」で終わっていた。イメージだけで何十回も失敗して、「何かが足りない」と自分で感じたからこそ、「《魔力操作》」という言葉の意味が体に入ってくる。
この人は、教え方も商人だ。必要なものを、必要なタイミングで渡す。
「やり方を教えてください」
「座りなさい」
エリアナが椅子を指す。僕は座った。
「目を閉じて。背筋は伸ばして。手は膝の上」
言われた通りにする。
「自分の体の奥に意識を向けて。胸の真ん中あたり。何かがあるはずよ。見つからなくてもいい。意識を向け続けること」
目を閉じる。暗い。自分の呼吸が聞こえる。胸の真ん中。何かがある、と言われても。
何も感じない。
「何も感じません」
「当然よ。最初から感じたら天才だわ」
「これを毎日?」
「朝と寝る前。何があっても休まないこと。一日でも空けたら、感覚が戻る」
「何ヶ月かかりますか?」
「人による。早い人で数ヶ月。遅い人は一年以上。途中で諦める人がほとんど」
「諦めません」
「知ってるわ」
エリアナの声が、一瞬だけ変わった。
「あなたは一ヶ月、毎晩3層に通い続けた子だもの」
商人の声ではなかった。何と呼べばいいか分からない。ただ、少しだけ柔らかかった。
一瞬で戻った。
「はい、今日の分は終わり。金貨一枚分のヒントはここまで」
商人に戻っている。
「もしコツが掴めなかったら、もう少し詳しく教えてもらえますか?」
「それは次の取引ね。大金貨一枚」
「……高い」
「内容は濃いのよ。一流の講師なら大金貨三枚は取る。安いくらい」
50,000ロア。途方もない金額だ。今の稼ぎだと何ヶ月かかるか分からない。
でも、道がある。道があるだけマシだ。
「分かりました」
「無理はしないでね。死んだら元も子もないんだから」
三度目の忠告。穏やかな声。でも軽くない。
「はい」
店を出た。
午後の日差しが眩しかった。少し前まで壁だと思っていたものの正体が分かって、頭の中がすっきりしている。
《魔力操作》。
自分の中にある魔力を感じて、動かす技術。器をイメージで作り、《魔力操作》で煙を注ぐ。二つ揃って初めて形になる。
今夜から始める。寝る前に目を閉じて、自分の中にある何かに意識を向ける。
何も感じないだろう。明日も。明後日も。何週間も、何ヶ月も。
でも、一ヶ月毎晩3層に通い続けた日々を思えば、できる。
あの一ヶ月は、魔石を貯めるためだけじゃなかった。「止まらない自分」を確認するための時間でもあった。
止まらなければ、いつか届く。
煙のときも。金貨のときも。そして今度の、《魔力操作》のときも。
同じことだ。
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