第10話 うまくいかないうちが練習だろ
廃墟帯での練習が日課になりつつあった。
午前は配達。
午後はダンジョンか廃墟帯。
交互にやっている。
ダンジョンの日は短刀で魔石を稼ぐ。
廃墟帯の日は(スモーク)を出しては失敗する。
今日は廃墟帯の日だ。
配達を終えて、旧市壁へ向かう。
ミニマップにはもうだいぶ線が入っている。
崩れた壁の位置、倉庫の形、木箱の山、土管の並び。
何日か歩き回っただけで、かなり埋まった。
いつもの場所に着く。
崩れた壁に挟まれた通路。ここが一番使いやすい。
(スモーク)
白い煙が広がる。
形にならない。
いつも通りだ。
(スモーク)
同じ。
(スモーク)
同じ。
何日やっても結果は変わらない。
イメージは毎回変えている。
壁の幅、高さ、通路の形。
ミニマップの精度で正確に思い描いてから出す。
でも煙はイメージを無視して、ただ広がる。
イメージだけでは足りない。
何か別のものが必要だ。
それは分かっている。
分かっているのに、その「何か」が見つからない。
五回目を終えたところで、壁の根元に座り込んだ。
空を見上げる。天井のない通路。雲が流れている。
そのとき、ミニマップに白い点が映った。
人だ。
この廃墟帯に人が来ること自体が珍しい。
僕以外でここに用がある人間がいるとは思えなかった。
白い点は少し離れた場所にいる。
動いている。
一定のリズムで。
前後に小さく。
同じ動きを繰り返しているように見える。
気になった。
立ち上がって、そっちへ歩く。
崩れた壁を一つ越えて、雑草の空き地を横切る。
音が聞こえてきた。
ぶん、と空気を切る音。
間を置いて、もう一回。
また間を置いて、もう一回。規則正しい。
崩れた壁の向こうを覗いた。
少し開けた空き地に、少年が一人で立っていた。
赤い髪。短く、少し跳ねている。背は僕より少し高い。
手には木剣を持っていた。
振り下ろし、横薙ぎ、突き。
また振り下ろし、横薙ぎ、突き。
同じ動きを繰り返している。
黙々と。
表情が変わらない。
汗をかいているけど、休む気配がない。
一人で、ずっとやっている。
しばらく見ていた。
邪魔するつもりはなかった。
でも、木剣を振るたびに空気が鳴る音が、妙に耳に残った。
そのとき、少年がこちらを見た。
木剣が止まる。
琥珀色の目がまっすぐこちらに向いた。
「……何だ」
短かったけど警戒ではない。
でも歓迎でもない。
「お前は誰だ」と「何の用だ」が一語に詰まっている。
「いや、人がいたから。ここ、普段は誰もいないのに」
「お前もいるだろ」
「……それもそうだ」
確かにその通りだった。
少年は木剣を下ろして、僕を見ている。
殺気はない。
ミニマップの点も白いままだ。
ただ、余計な表情がない。
必要なこと以外を顔に出さない人だった。
「何やってるんだ」
「煙の練習」
「煙?」
「魔法。煙を出すやつ」
「……変だな」
興味がなさそうだった。
でも、邪魔する気もなさそうだった。
「そっちは?」
「素振り」
「毎日?」
「ああ」
それだけだった。
話を広げる気がない。
僕も無理に広げなかった。
「じゃあ、向こうで続けるね」
「ああ」
僕は元の場所に戻った。
崩れた壁の通路。
さっきまで座っていた場所。
少し離れたところから、木剣の音が聞こえてくる。
ぶん。
ぶん。
ぶん。
規則正しい。
止まらない。
僕も練習を再開した。
(スモーク)
広がる。
(スモーク)
広がる。
木剣の音が聞こえる。
僕の煙が広がって消える。
また木剣の音。
また煙。
会話はない。
距離もある。
でも、同じ空間にいる。
お互い、一人で何かをやっている。
しばらくして、風向きが変わった。
僕の煙が赤い髪の少年のほうへ流れていく。
まずい。
少し待つ。
煙が薄れるのを待ってから覗くと、少年は咳き込みながらも木剣を振っていた。
止めていない。
煙が来ても、そのまま素振りを続けている。
「……ごめん」
「別に」
短い返事が聞こえた。
振り向きもしなかった。
僕は少し風向きを気にしながら練習を続けた。
煙が向こうに流れないように、出す位置を変える。
形のコントロールは相変わらずできないけど、出す場所くらいは選べる。
それからしばらく、二人とも黙って練習を続けた。
木剣の音と、煙の音。
不思議な時間だった。
誰かと一緒にいるのに、一人のときと同じくらい集中できる。
邪魔にならない距離。
干渉しない空気。
夕方になった。
空が赤くなり始めている。
僕はそろそろ帰ろうと思って立ち上がった。
同じタイミングで、少年も木剣を止めた。
二人とも、同じ方向へ歩き出す。
廃墟帯の出口は一つしかない。
並んで歩く。
会話はない。
石畳の上を歩く足音だけが、しばらく続いた。
長い沈黙の後、少年がぽつりと言った。
「うまくいかないのか?」
煙のことだろう。
何度も出しては広がるだけなのを、向こうからも見えていたらしい。
「全然」
「そうか」
また沈黙。
数歩歩いてから、少年が言った。
「うまくいかないうちが練習だろ」
短い言葉だった。
励ましでもなく、慰めでもない。
ただの事実。
毎日木剣を振っている人間が言う言葉には、そういう重さがあった。
「……そうだな」
僕はそう返した。
廃墟帯の出口が見えてきた。
ここから先は街の道に出る。
少年がそっちへ歩いていく。
僕も同じ方向だけど、少し間を空けた。
名前を聞こうかと思った。
でも、聞く空気じゃなかった。名乗る空気でもなかった。
少年の赤い髪が、夕日に照らされて少し明るく見えた。
あの子は毎日ここで素振りをしているんだろう。
一人で、黙々と。僕が煙を出しているのと同じだ。
やり方は全然違うけど、やっていることは似ている。
うまくいかないうちが練習だろ。
悪くない言葉だった。
前の人生では、こういうことを言ってくれる人はいなかった。
上司は「結果を出せ」と言い、同僚は「まだやってるの?」と言った。
うまくいかない時間そのものに意味があるなんて、誰も言わなかった。
明日もここに来よう。
あの赤い髪の少年も、たぶん来る。
名前はまだ知らない。
でも、同じ場所で練習している誰かがいるのは、思ったより悪くなかった。
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