第9話 十五回、全部同じ
廃墟帯での練習が日課になりつつあった。
午前は配達。午後はダンジョンか廃墟帯。交互にやっている。ダンジョンの日は短刀で魔石を稼ぐ。廃墟帯の日は(スモーク)を出しては失敗する。
今日は廃墟帯の日だ。
配達を終えて旧市壁へ向かう。ミニマップにはもうだいぶ線が入っている。崩れた壁の位置、倉庫の形、木箱の山、土管の並び。何日か歩き回っただけで、かなり埋まった。
いつもの場所に着く。崩れた壁に挟まれた通路。ここが一番使いやすい。
(スモーク)
白い煙が広がる。形にならない。いつも通りだ。
(スモーク)
同じ。
(スモーク)
同じ。
何日やっても結果は変わらない。イメージは毎回変えている。壁の幅、高さ、通路の形。ミニマップの精度で正確に思い描いてから出す。でも煙はイメージを無視して、ただ広がる。
イメージだけでは足りない。何か別のものが必要だ。
それは分かっている。分かっているのに、その「何か」が見つからない。
五回目を終えたところで、壁の根元に座り込んだ。空を見上げる。天井のない通路。雲が流れている。
そのとき、ミニマップに白い点が映った。
人だ。
この廃墟帯に人が来ること自体が珍しい。白い点は少し離れた場所にいる。動いている。一定のリズムで。前後に小さく。同じ動きを繰り返しているように見える。
気になった。
立ち上がって、そっちへ歩く。崩れた壁を一つ越えて、雑草の空き地を横切る。
音が聞こえてきた。
ぶん、と空気を切る音。間を置いて、もう一回。また間を置いて、もう一回。規則正しい。
崩れた壁の向こうを覗いた。
少し開けた空き地に、少年が一人で立っていた。
赤い髪。短く、少し跳ねている。背は僕より少し高い。手には木剣を持っていた。
振り下ろし、横薙ぎ、突き。また振り下ろし、横薙ぎ、突き。
同じ動きを繰り返している。黙々と。表情が変わらない。汗をかいているけど、休む気配がない。
一人で、ずっとやっている。
しばらく見ていた。邪魔するつもりはなかった。でも、木剣を振るたびに空気が鳴る音が、妙に耳に残った。
そのとき、少年がこちらを見た。木剣が止まる。琥珀色の目がまっすぐこちらに向いた。
「……何だ」
短かったけど警戒ではない。でも歓迎でもない。「お前は誰だ」と「何の用だ」が一語に詰まっている。
「いや、人がいたから。ここ、普段は誰もいないのに」
「お前もいるだろ」
「……それもそうだ」
確かにその通りだった。
少年は木剣を下ろして、僕を見ている。殺気はない。ミニマップの点も白いままだ。ただ、余計な表情がない。必要なこと以外を顔に出さない人だった。
「何やってるんだ?」
「煙の練習」
「煙?」
「魔法。煙を出すやつ」
「……変だな」
興味がなさそうだった。でも、邪魔する気もなさそうだった。
「そっちは?」
「素振り」
「毎日?」
「ああ」
それだけだった。話を広げる気がない。僕も無理に広げなかった。
「じゃあ、向こうで続けるね」
「ああ」
元の場所に戻った。崩れた壁の通路。さっきまで座っていた場所。
少し離れたところから、木剣の音が聞こえてくる。ぶん。ぶん。ぶん。規則正しい。止まらない。
僕も練習を再開した。
(スモーク)
広がる。
(スモーク)
広がる。
木剣の音が聞こえる。僕の煙が広がって消える。また木剣の音。また煙。
会話はない。距離もある。でも、同じ空間にいる。お互い、一人で何かをやっている。
しばらくして、風向きが変わった。僕の煙が赤い髪の少年のほうへ流れていく。
まずい。
少し待つ。煙が薄れるのを待ってから覗くと、少年は咳き込みながらも木剣を振っていた。止めていない。煙が来ても、そのまま素振りを続けている。
「……ごめん」
「別に」
短い返事が聞こえた。振り向きもしなかった。
僕は少し風向きを気にしながら練習を続けた。煙が向こうに流れないように、出す位置を変える。形のコントロールは相変わらずできないけど、出す場所くらいは選べる。
それからしばらく、二人とも黙って練習を続けた。
木剣の音と、煙の音。
不思議な時間だった。誰かと一緒にいるのに、一人のときと同じくらい集中できる。邪魔にならない距離。干渉しない空気。
夕方になった。空が赤くなり始めている。そろそろ帰ろうと思って立ち上がった。
同じタイミングで、少年も木剣を止めた。二人とも、同じ方向へ歩き出す。廃墟帯の出口は一つしかない。
並んで歩く。会話はない。石畳の上を歩く足音だけが、しばらく続いた。
長い沈黙の後、少年がぽつりと言った。
「うまくいかないのか?」
煙のことだろう。何度も出しては広がるだけなのを、向こうからも見えていたらしい。
「全然」
「そうか」
また沈黙。数歩歩いてから、少年が言った。
「うまくいかないうちが練習だろ」
短い言葉だった。励ましでもなく、慰めでもない。ただの事実。毎日木剣を振っている人間が言う言葉には、そういう重さがあった。
「……そうだな」
廃墟帯の出口が見えてきた。ここから先は街の道に出る。
少年がそっちへ歩いていく。僕も同じ方向だけど、少し間を空けた。
名前を聞こうかと思った。でも、聞く空気じゃなかった。名乗る空気でもなかった。
少年の赤い髪が、夕日に照らされて少し明るく見えた。
あの子は毎日ここで素振りをしているんだろう。一人で、黙々と。僕が煙を出しているのと同じだ。やり方は全然違うけど、やっていることは似ている。
うまくいかないうちが練習だろ。
悪くない言葉だった。
前の人生では、こういうことを言ってくれる人はいなかった。上司は「結果を出せ」と言い、同僚は「まだやってるの?」と言った。うまくいかない時間そのものに意味があるなんて、誰も言わなかった。
明日もここに来よう。
あの赤い髪の少年も、たぶん来る。
名前はまだ知らない。
でも、同じ場所で練習している誰かがいるのは、思ったより悪くなかった。
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