第24話
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朝の光は、驚くほど穏やかだった。
王都の鐘がゆっくりと鳴り響く。
学園入学の日。
本来の物語——『聖光のレガリア』が始まるはずだった日。
リシェリアは鏡の前に立ち、制服の襟を整えた。
白を基調とした学園制服に、公爵家の紋章ブローチ。見慣れないはずなのに、不思議と落ち着く。
「……ついに、ね」
胸の奥が静かに高鳴る。
恐怖ではない。
確認の瞬間を待つような感覚。
ノックの音。
「リシェ、準備できました?」
フィアナが顔を覗かせた。
同じ制服姿の彼女は、少し緊張した様子で笑っている。
「ええ。そっちは?」
「心の準備だけまだです」
「今さら?」
「原作開始日ですよ?」
二人は顔を見合わせ、同時に小さく息を吐いた。
本来なら今日。
聖女フィアナが注目を浴び、
攻略対象たちと運命的な出会いを果たし、
悪役令嬢リシェリアが最初の嫉妬フラグを立てる。
——そのはずだった。
「確認、する?」
フィアナが小声で言う。
「ええ」
二人は頷き合った。
これは儀式のようなもの。
原作との差異確認。
そして。
未来が本当に変わったかを知る瞬間。
馬車に乗り込み、王立学園へ向かう。
街は祝祭のような空気だった。
新入生たちの期待。
家族の見送り。
笑顔。
原作では感じなかった温度。
「……平和ね」
「平和ですね」
やがて学園の門が見えてくる。
白亜の校舎。
広大な庭園。
魔導結界の淡い光。
ゲームで何度も見た景色。
そして——破滅の舞台だった場所。
馬車が止まる。
扉が開かれた。
リシェリアが降り立つと、周囲の視線が集まった。
だがそこにあるのは警戒ではなく、純粋な興味と敬意だった。
「アルヴェイン公爵令嬢だ」
「噂通り……」
ざわめきはある。
けれど敵意はない。
次にフィアナが降りる。
一瞬、空気が変わった。
——ここが原作分岐点。
本来なら。
令嬢たちの嫉妬。
陰口。
最初の対立。
リシェリアは静かに待った。
数秒。
十秒。
……何も起きない。
「……あれ?」
フィアナが小声で呟く。
代わりに、一人の令嬢が歩み寄ってきた。
「フィアナ様ですよね? 聖女候補としてのお話、ぜひ聞かせてください」
友好的な笑顔だった。
さらに別の生徒も加わる。
「昨日の夜会での評判、素敵でした!」
「今度お茶会をご一緒しませんか?」
——歓迎。
完全に。
原作と、逆。
フィアナが困ったようにリシェリアを見る。
「……フラグ?」
「消滅済みね」
即答だった。
そこへ。
「遅れてすまない」
落ち着いた声。
振り向くと、アルヴィンがルークとセシルを伴って歩いてくる。
周囲が一斉にざわめいた。
「王族……」
「クラウゼル様だ」
彼は自然な動作でリシェリアの隣に立つ。
まるでそれが当然の位置であるかのように。
「問題は?」
「今のところ、ゼロです」
セシルが淡々と答える。
「監視対象の動きも正常。偶発イベント発生率、極めて低いかと」
「数値化しないで」
フィアナが小声で突っ込む。
そのやり取りに、リシェリアは思わず笑った。
そして——気づく。
本当に。
何も起きていない。
断罪も。
誤解も。
運命的衝突も。
ただ、新入生たちの笑顔だけがある。
鐘が鳴った。
入学式開始の合図。
生徒たちが講堂へ向かい始める。
リシェリアは立ち止まり、学園を見上げた。
胸の奥が静かに満たされる。
「……ねえ」
フィアナが隣で囁く。
「原作、始まりました?」
リシェリアは少し考えた。
そして微笑む。
「いいえ」
前を向く。
一歩踏み出す。
「——もう終わってるわ」
破滅の物語は来なかった。
代わりに始まるのは。
誰も知らない、新しい日常。
選び直された未来の物語だった。




