第23話
⸻
王都の夜は、いつもより明るかった。
アルヴェイン公爵邸の庭園は無数の魔導灯に照らされ、夜空の星と競い合うように輝いている。音楽隊の柔らかな旋律が風に乗り、春の匂いとともに広がっていた。
入学前夜パーティー。
名目は社交界の若者たちの交流会。
けれど実際は——ここまで共に未来を変えてきた仲間たちの、小さな祝宴だった。
「……本当に、ここまで来たのね」
リシェリアはバルコニーから庭を見下ろし、小さく呟いた。
色とりどりのドレス。
談笑する貴族子女。
笑い声。
本来の物語なら、この場には緊張と探り合いが満ちていたはずだった。
悪役令嬢を警戒する視線。
聖女を値踏みする空気。
婚約者同士の冷えた距離。
——全部、ない。
「感慨深い顔してますね」
隣に並んだフィアナが、くすっと笑った。
「だって、原作だとここ……地獄の前夜祭よ?」
「攻略対象全員がフラグ立て始めるやつですね」
「そう、それ」
二人は顔を見合わせ、同時に笑った。
今はただ、楽しい夜だ。
フィアナは淡い金色のドレスを揺らしながら庭へ視線を向けた。
「見てください。あれ」
指差した先では、ルークが数名の令嬢に囲まれ、困った顔をしていた。
「護衛なのに捕まってるわね」
「ツッコミが追いついてません」
ちょうどその横で、ノエルが熱心に魔導照明の構造を説明しており、聞かされている青年が完全に目を泳がせている。
「通常運転ね」
「通常運転です」
さらに視線を移すと、セレティアが落ち着いた所作で貴族令嬢たちと談笑していた。
かつて原作では、リシェリアと対立する存在。
けれど今は違う。
彼女は自然に笑い、周囲もその姿を尊敬の眼差しで見ていた。
「救済成功、ね」
リシェリアが小さく言う。
「いえ」
フィアナは首を振った。
「最初から、あの人はそうなれる人でした」
ただ、道が違っただけ。
その時。
「——探した」
低く落ち着いた声。
振り向かなくても分かる。
アルヴィンだった。
夜会服に身を包んだ彼は、いつもより少しだけ柔らかい表情をしていた。
「殿下、主役が抜け出していいんですか?」
フィアナがからかう。
「主役ではない。ただの招待客だ」
「はいはい」
軽く礼をして、フィアナは空気を読んで離れていく。
二人きりになる。
音楽が遠くなった気がした。
「……綺麗だ」
アルヴィンが静かに言った。
リシェリアは瞬きをする。
「庭園?」
「君が」
即答だった。
「そういうの、慣れないわ」
「私は慣れる気がない」
真顔で言うから、思わず笑ってしまう。
少し沈黙が落ちた。
けれど気まずさはない。
ただ穏やかな時間。
「明日ですね」
「ああ」
学園入学。
本来の物語開始日。
「怖い?」
アルヴィンが問う。
リシェリアは少し考え、それから首を横に振った。
「いいえ」
そして微笑む。
「だってもう、“回避”じゃないもの」
逃げるためじゃない。
壊すためでもない。
「私たちは、選んできたでしょう?」
友情も。
信頼も。
未来も。
アルヴィンは静かに頷いた。
「だから明日も同じだ」
そっと手を取られる。
指先が重なり、温もりが伝わる。
「どんな物語でも、君と選ぶ」
その言葉に、胸の奥が静かに満ちた。
庭では笑い声が上がり、音楽が盛り上がりを迎えていた。
仲間たちがいる。
未来がある。
もう、孤独な悪役令嬢ではない。
「ねえ、アルヴィン様」
「なんだ」
「原作、完全に壊れたわね」
少しだけ悪戯っぽく言うと、彼はわずかに笑った。
「最初から、そのつもりだっただろう」
「ええ」
リシェリアは夜空を見上げた。
星が静かに瞬いている。
運命は決められたものではなく。
選び直せるもの。
その証明が、ここにあった。
音楽が最高潮に達し、庭園に拍手が広がる。
入学前夜。
物語が始まる直前。
けれど彼女たちは知っている。
これは破滅への序章ではない。
——幸福へ続く、プロローグなのだと。




