第14話
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社交界というものは、優雅な微笑みでできている――わけではない。
それを、リシェリアはよく知っていた。
午後の陽光が差し込むサロンで、彼女は一冊の手帳を閉じる。
「……やっぱり、ここなのよね」
向かいに座るフィアナが首を傾げた。
「何がです?」
「断罪イベントの“原因”。」
紅茶を一口含みながら、リシェリアは静かに続ける。
「事件そのものじゃないの。事件が成立する“環境”よ。」
原作『聖光のレガリア』。
悪役令嬢が破滅した理由は単純だった。
嫉妬。誤解。孤立。
――そして、噂。
「社交界って、情報が武器なんですね……」
フィアナが少し困ったように笑う。
「ええ。証拠がなくても成立する唯一の戦場よ。」
誰かが言った。
誰かが見たらしい。
皆がそう思っている。
それだけで、人は簡単に悪役になれる。
リシェリアは指先で机を軽く叩いた。
「だから決めたわ。」
その瞳が、わずかに楽しげに細められる。
「噂が成立しない社交界を作る。」
フィアナが瞬きを繰り返した。
「……え?」
「事件を止め続けるのは非効率よ。だったら――」
微笑む。
「最初から起きない社会にすればいい。」
沈黙のあと。
「……リシェリア様、時々すごく怖いこと言いますよね。」
「褒め言葉として受け取っておくわ。」
数日後。
アルヴェイン公爵邸の大サロンには、王都でも名の知られた令嬢たちが集まっていた。
視線が交差する。
探るような空気。
本来なら、ここは静かな牽制が始まる場所だ。
だが――。
「本日はお招きありがとうございます、リシェリア様。」
優雅に一礼したのは、セレティア・ヴァルローゼだった。
かつて原作でライバルとなるはずだった少女は、今や堂々たる協力者である。
「今日は“新しい社交”の提案をさせていただきます。」
ざわめきが広がる。
リシェリアは立ち上がった。
「皆様にお願いがありますの。」
柔らかな声。
だが、不思議と全員が耳を傾ける。
「噂話をやめましょう――と言うつもりはありません。」
令嬢たちが少し驚いた顔をする。
「ただし、“確認できる場”を作りたいのです。」
フィアナが隣で資料を配る。
「定期交流サロン……?」
「はい。情報、活動、慈善事業、研究。すべてを公開形式で共有する場です。」
つまり。
隠し事が成立しない空間。
「誰かの評価が噂ではなく、“実績”で決まる場所。」
静寂が落ちた。
やがて、一人の令嬢が口を開く。
「……それでは、陰口が意味を持たなくなりますわね。」
「ええ。」
リシェリアは微笑む。
「だから安心して努力できるでしょう?」
その言葉は、令嬢たちの心に静かに届いた。
社交界は本来、才能と家格の舞台だ。
だが実際には、見えない不安が人を攻撃的にしていた。
誰かを下げなければ、自分が不安になる。
その構造を――彼女は壊そうとしている。
「面白いですわ。」
別の令嬢が笑った。
「公平な競争、ということですのね。」
「はい。」
セレティアが一歩前に出る。
「そして私が運営補佐を務めます。」
その宣言で空気が変わった。
有力令嬢の参加。
つまりこれは遊びではない。
本気の改革だ。
「……参加いたしますわ。」
「わたくしも。」
声が重なっていく。
フィアナは小さく息を呑んだ。
(成功、してる……)
原作で存在したはずの“孤立”が、今ここで消えていく。
数週間後。
王都の空気は明らかに変わっていた。
「最近、変な噂聞きませんね。」
ルークが腕を組みながら言う。
「出てもすぐ否定されるからな。」
アルヴィンが淡々と答えた。
事実確認が当たり前になった社交界では、曖昧な悪評は生き残れない。
つまり。
悪役令嬢誕生の土壌が消えた。
「……やりましたね。」
フィアナが嬉しそうに笑う。
リシェリアは窓の外を眺めた。
穏やかな王都。
誰も怯えていない空気。
「ええ。でも――」
振り返る。
「これは始まりよ。」
その時、背後から静かな声。
「君はまた、とんでもないことをしたな。」
アルヴィンだった。
「褒めています?」
「もちろん。」
彼は自然な仕草で彼女の手を取る。
「敵を倒すのではなく、敵が生まれない世界を作るとは。」
わずかに口元が緩む。
「君らしい。」
リシェリアは少しだけ照れたように目を逸らした。
「……安心して学園に行きたいだけよ。」
「なら成功だ。」
アルヴィンは静かに言った。
「もう誰も、君を悪役にはできない。」
その言葉に、胸の奥が温かくなる。
運命は消えたわけではない。
けれど。
選び直した未来は、確かにここにある。
リシェリアは小さく笑った。
「次はどのフラグを折ろうかしら。」
「全部だな。」
即答だった。
思わず二人で笑い合う。
春の風が、静かにサロンを通り抜けていった。




