「キモい」8
いきなり聴き慣れた電子音が頭をたたき起こすように鳴り響いた。僕はいつものように睡眠不足を訴えるぼんやりとした頭のまま音の発信源である目覚まし時計のてっぺんにあるスイッチを叩いた。
「ふあぁ…」
再び布団に包まって二度寝でも、と思い立った瞬間昨晩何をしたのかを思い出す。
「ヒッ!?」
僕が間抜けな声を上げて血相を変えながら寝床から飛び起きる。続いて両手で全身を弄って、異常がないか確かめた。特におかしなところは無い、荒くなった呼吸と冷や汗を除いて。
「どうなってるんだよ…」
確かに昨晩、僕はマンションの屋上から飛び降りたはずだ。でも今は自分の部屋にいる。辺りを見渡しても、放置したプラモデルが乗っている勉強机や部屋の隅の段ボール箱もそのままだ。そして極めつけは壁掛け時計、日付が水曜日になっている。
「おかしいだろ、こんなの…」
僕はなぜか腹が立ってきた。終わらせたはずなのに、まだ生きている。逆に理不尽だ。自分で人生の行く末を決めたいのに、それすらもままならいということに。
「ふざけんなよ!!」
僕は久々に叫び声を上げた。
「何朝から叫んでるの?」
パジャマのままリビングに現れた僕を見てエプロン姿の母さんがそう言った。その向こう側では、ソファに座った父さんがテレビを見ている。テレビ画面には女子アナが笑顔で「水曜日の運勢」と書かれたフリップを胸元に掲げて解説している。僕は仏頂面で母さんの問いかけに答えないまま、朝食の香り漂う中父さんの後頭部を見つめた。
「もう、早く着替えなさい。遅刻するわよ」
少し間を開けて僕が答える素振りを見せないことにしびれを切らした母さんがキッチンへ戻っていく。その様子を音だけで把握しながら、僕は表情を変えずに口を開く。
「…やだ」
「何?」
キッチンで朝食の仕上げをしている母さんが聞き取れなかったような言葉を投げかけてくる。もうそんなことどうでもいい、なんとなくだけどもう終わった気がする。僕自身が。
「学校行かない」
僕は先ほどよりも声量を増してはっきりそう言ってやった。流石に聞こえたのか母さんがコンロの火を消してパタパタを駆け寄ってくる。
「風邪でもひいた?」
明らかに不安そうな顔の母さんが目の前までやってくると、エプロンで水気を拭った手を僕の額に当てる。がすぐに僕はその手を振り払った。肝心なことは何もしてくれないのに、こういう時だけ親ぶってイライラする。
「違う、学校に行きたくない」
僕は母さんの顔だけ見ながらそう言い切ると、母さんの目が丸くなるのが分かった。
「そんな…、不登校なんてダメ。内申点に響くでしょ、約束忘れたの?」
「うるさい!」
早口で言葉を並べて丸め込もうとする母さんを遮るように僕は怒鳴った。その瞬間に母さんの顔が固まる。すると父さんが面倒くさそうと言わんばかりのオーラを放ちながらソファから立ち上がる。
「朝から怒鳴るな」
肩を怒らせてこちらに向かってくる父さんに目をやると、僕は思わずたじろぐ。しかしその一方でいつもと違い恐怖を感じるのが薄らいでいる気がした。
「学校に行きたくない」
目の前までやってきた父さんと相対した僕は、少し声を震わせながらそう言った。その瞬間に父さんの両眉の外側がつり上がる。
「サボりか? 許さんぞ!」
「やだ!!」
「頭出せ! 頭を出せ!!」
父さんにの言葉に被せ気味で僕が声を上げると、父さんの指示が飛んでくる。当然僕は拒否するが、今度は父さんの左手が伸びてきた。僕はそれは払いのけようとするが、歴然としている力の差にあっさり頭を掴まれる。
いつもなら、このまま頭頂部に父さんの拳が振り下ろされる。僕が失敗したり、いう事を聞かないと父さんは「げんこつ」と称していつもこうするのだ。その時は母さんは何もしない。それが常だ。そして最後に僕はいつもの癖でギュっと目を閉じる。
ゴンッ、と言う衝撃が僕の頭頂部に響く。だがほぼ同時に来るはずの痛みが、こない。
「あれ…?」
頭の感触から掴まれている左手が離れたのを感じとると、僕はおもむろに目を開ける。そこには「痛ってぇ」と右手をくるくる回している父さんの姿があった。
「痛くない」
思わず僕はポロっとそんな言葉を漏らした。母さんがそれを聞いたのかぽかんとした顔になる。父さんにも聞こえたのか、少し唖然とした顔になっている。その瞬間、僕の中に少しだけ『勇気』に似たものを感じた。何でもできそうな、万能感。とにかく、力が欲しい。大の大人でもなぎ倒せる力が。いつの間にかそう願っていた。
「痛くないって言ってんだよ!!」
僕は何を思ったのか、そう叫んで父さんに突っ込んでいく。そのまま父さんごと食卓が並んでいたテーブル一式をなぎ倒した。食器が床に落ちて割れる音をBGM代わりに。
「うわ!?」
「うるさい、うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!」
真っ二つになったテーブルの真ん中で、僕はそのまま馬乗り状態のまま父さんの顔に拳を振り下ろす。何度も何度も。拳を振り下ろすたびに父さんの顔から血が噴き出して形が変わって行っている気がしたが、そんなものどうでも良かった。このくそ野郎に制裁を下せれば文句ない。他の事なんかどうでもいい。
数十回殴った辺りで、急に拳をぶつけているものへの感触がなくなった事に気づいた。ふと自身の拳を見て見ると、赤黒い中に白っぽいものが付着している。それで察した。父さんの頭が、なくなっている。
「ふぅ~」
僕はいつぶりかわからない爽快感と高揚感を感じつつ、息を吐きながら立ち上がる、両手はもとより顔もべたべたしているが、恐らく返り血だろう。いつの間にかリビング中に鉄の饐えた臭いが充満している。そして明らかにがちがちという音も響いていた、震える歯同士がぶつかる音だ。僕は音の発信源に顔を向ける。
「ひっ…!?」
そこには腰を抜かして床にへたり込んでいる母さんの姿があった。恐怖一色で染まった顔で僕と目があう。
「なんで…、なんで…」
必死に、しかしゆっくりと後ずさりしている母さんを僕は真顔で見下ろす。その様子に少し情が湧いたというか、父さんよりはマシな扱いをしてくれていた事を思い出す。
「…なんだろうね。よくわからないけど、全部どうでも良くなったっていうか」
僕自身、何を言っているのかわからない。それでも両手を広げながらゆっくりと母さんに歩み寄っていく。一方の母さんは僕の歩みに合わせて必死に後ずさるが、背中が壁にぶつかった。
「どうしてこんなことするの? 何がいけなかったのよ!!」
母さんの叫び声に、僕はすとんと心が落ちるような感覚は感じった。家族とは言え所詮はコレだ、どうでもいい時だけ助け船を出してくる。僕はおもむろに右手で指でっぽうを作ると、それを母さんに向けた。
「肝心な時に助けてくれなかったよね、それだけ」
「ま、待っ…!」
母さんの言葉を遮って僕が「バン」と口で銃声を真似して指でっぽうを撃つ動きをする。母さんの額に穴が開き、後ろの壁に赤黒い液体がぶちまけられる。そのまま母さんだったものは糸が切れた操り人形のように項垂れて動かなくなった。
「ふぅ…」
僕は一息つきながらどうやら「考えたことが現実になる」という能力が備わった、という仮説が正しかったことに安堵した。そして改めて自らが着ているパジャマを見て見る。返り血で真っ黒だ。
「シャワー浴びよう」
僕がそう呟いてリビングの壁掛け時計を見る。朝食を摂らなければ学校に間に合いそうだ。もっともリビングはとても朝食どころな状況じゃなけれど。




