「キモい」7
カーテンの隙間から外の微かな光が入り込む僕の部屋にカチ、カチと壁掛け時計の秒針が動いている音が響いている。そんな中で僕は布団に潜り込んで、縮こまっていた。
瞼は眠気を訴えているのだが、脳のギンギンに冴えている感覚が優先されてそれが焦りを呼び込む。頭の中で今日の出来事を何度も何度も繰り返している。音川、田澄、佐野…。毎度ながら同じような事が繰り返されてうんざりする。どうしてこうなるんだろう、分からない。そうしていると、ふと喉が渇いているように感じた。
僕はおもむろに枕元の電気スタンドをつけ顔を上げると、まず「火曜日」と表示された液晶付き壁掛け時計の長い針が夜の11時手前を差しているのが微かに目に入った。次に物が溢れている勉強机が目に入る。作りかけで放置したプラモデルや美少女フィギュアが机一杯に広がっていた。部屋の隅にも幾つか本や段ボール箱が押しやられてもいる。
僕は決して綺麗とは言えない自室の惨状を一瞥すると、寝床から抜け出してドアノブを回す。かなり暗い廊下とリビングを隔てているドアの前に立ち、ドアノブを回そうとすると中から声が聞こえてきた。よく見ればドアが微かに開いている。そしてリビングの中から父さんと母さんの声が響いてきた。
「知らないよ、あいつの事なんか」
「ちょっと…」
「前にも言ってたろう、お前が面倒みるって。俺はもう知らない」
「いう事は聞かないしトラブルばかり起こす」
「そうかもしれないけど…」
母さんの震える声とは対照的に、父さんの声は淡々としている。僕はまるで頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けながら、一方で冷静にドア越しに耳を傾ける。
「怒ったら泣くばっかりでだんまり、少し優しくすればすぐつけ上がる。飽き性で中途半端、無理だ」
「それ、あまりにも無責任よ」
「知ったこっちゃないよ、取り柄も可愛げもない。とりあえず学校には行かせる約束はさせるって言ったのはお前の方じゃないか!」
「確かに約束させたけど…」
「とにかく、今はお前が監督する立場なんだからしっかり見張れよ!」
感情が爆発寸前というのが明らかに分かる声色の母さんの言葉に父さんが逆に声を荒げた。一方の僕にはなぜか二人の言葉が鋭い刃となって心に突き刺さるような感覚を覚える。察しはついていたのに、実際生の言葉で聞くのは…。
「全く、そうやって泣けば全部許してもらえると思って」
とうとう嗚咽を漏らし始めた母さんに父さんが心無い一言を浴びせた。
「もういい、寝る。二度とアイツの話はするな。気分が悪くなる」
リビングを出るつもりの父さんの悪態を付く声が僕の方に近づいてくる。僕は慌ててトイレのドアを開けると、寸でのところで中に飛び込んだ。
「あいつの出来の悪さにはがっかりだ」
父さんがトイレの前を通り過ぎる時、確かにそう聞こえた。僕は真っ暗なトイレの中で力なく座り込む。心の中が空っぽになった気分になり、不思議と涙も出ない。ひどいことを言われたのは違いないのに。
「もういいか」
それだけ呟いたのは覚えている、でもそこから先はよく覚えていない。気が付いたら住んでいるマンションの屋上に立っていた。吹き上げてくる風が心地よく、視界の先には住宅地と遠方で光り輝く高層ビル群が見えた。いつの間にか落下防止フェンスも乗り越えていたらしい。ぼんやり高層ビル群の夜景を眺めながら、僕はパジャマの胸元を掴んだ。そして足元、屋上の淵と交互に視線を落とすと履いていた靴を脱ぐ。
屋上の淵、後一歩踏み出せば地面に真っ逆さま、本当にぎりぎりの淵から下を覗き込む。下の方に街灯に照らされたアスファルト敷の地面が見える。四階建てのマンションの屋上、飛び降りたら確実に…。
少しの間地面を見つめていたが、しかし不思議と恐怖は感じない。それが最後の決め手だった。僕はおもむろに目を閉じる。そしてそのまま淵の外へ一歩踏み出した。




