【第86話 さらば!木べらの戦士】
およそ10キロの道のりを歩いても息切れひとつしていないマローとゼロスを見て、マーガレットが感心していた。
「マローさんもゼロスさんも、ここまで歩いたのに全く疲れてないのですね! 凄い! 私なんてダチョウがいないと、どこへも行けません……」
今更、疲れたフリをするのも不自然だと感じたマローは、割り切って打ち明けることにした。
「僕らは昔、陸上をやってましてね。僕は400メートル走を。ゼロスは1500メートル走を」
「あ、それで手ぶらで荒野を歩いていたのですね!」
「そういう事です!」
マーガレットは自ら二人に紅茶を淹れた。リリベットはお茶の誘いをするためにサムソンを呼びに庭へ出て行き、ダイニングにはマーガレットとマローとゼロスの三人だけになった。
「奥さんは異世界人なのですよね? 勇者様とは異世界で出会ったと、勇者様の映画で見ましたよ! まだお若いのに異世界からこちらへ来て、大変だったでしょう」
マローは早速、情報集めを始めていた。
「うふふ、あの映画は少しだけオーバーなんですよ。あんなふうにロマンチックに巡り会ったわけではないんです。ワタルが勇者として帝国へ父に謁見しに来た時に出会っただけなんですよ。映画では私が山賊に襲われてる中を助けられてましたけど、私、山賊に襲われたことなんてないんです」
映画の内容を信じきっていたリリベットだけが、庭からちょうど戻ってきたところで愕然として詰め寄った。
「は? 夫人。どういうことですか? あの映画はノンフィクション映画ですよね?」
「リリベットまでそんな事を言ってるの? 全くもう! 全部がノンフィクションだと、ドラマチックにならないでしょう? 演出家さんが一生懸命考えてくれたのよ。そもそも、映画ではワタルが異世界のミスリル鉱山事件を解決してることになってるけど、あれを解決したのはC'-Classの来翔さんよ。あの事件でA-Classのワタルも詩音さんも何もできなかったの。父への説得も来翔さんだし、ワタルと私の婚姻を決めたのも来翔さんなのよ。でも、来翔さんはオジサンだし主役向きなキャラじゃないから、監督さんが来翔さんの手柄を全部ワタルがやったことにしたの。単純な戦闘力も来翔さんの方が圧倒的に強いって、ワタルがいつも言ってるのよ」
マローとゼロスにとって、来翔という名前は特に聞き覚えのあるものだった。謎の木べらで大幹部トンプソンを敗走させ、魔道士タイプの大幹部を三人も屠った男。ゾーン団の間では最重要危険人物としてマークされ続けている名だ。その情報が、勇者夫人の口から、勇者本人の情報以上の価値を持って転がり込んできた。二人は天にも昇る思いだった。
「へぇ〜。そのC'の人が全てやってのけたって事なんですか?」
マローがさらに聞き出そうとすると、映画の中ではセリフのないモブキャラとしか認識していなかった来翔という人物に、リリベットも興味が湧いてきたようだった。
「夫人。よろしければその来翔さんについても教えてください。そんな新事実、我々は全く聞かされていませんでした……」
マーガレットはドヤ顔になり、知りうる限りの来翔の活躍を語り始めた。ほとんどはワタルからの受け売りだ。ハンターの中でもワタルは来翔と最も親しい関係にあり、いわば一番の来翔ヲタクだった。そして誰よりも来翔に詳しい旦那の妻は、当然、来翔にも詳しかった。
マローとゼロスにとって、ゾーン団でも把握していなかった異世界での来翔の活躍は、大きな収穫だった。来翔が帝国を動かして安全保障条約を結ばせたこと。今やゾーン団の代わりに賭場を作ったのも来翔だということ。二人は早く本部に報告したくて、翌朝が待ち遠しくてたまらなかった。
そんな中、マーガレットからこの日いちばんの情報がもたらされた。
「そんな来翔さんなのに、今はハンターを解雇されて宿屋を細々と営んでるなんて、日本政府も馬鹿よね……。ワタルもいつも日本政府の事を怒ってるのよ……。本物の勇者は来翔さんなのに、クビにしたんだからって」
(トンプソンを打ち負かした男がクビに!? しかも、今は宿屋だと? 狂ってる! 日本政府は本当に狂ってる!)
マローは興奮気味に尋ねた。
「奥さん! それで、その来翔さんってお人は今どちらで宿屋を? 僕もゼロスも一度はその宿に泊まってみたいもんですよ! なあ? ゼロス」
「おぉ! 勇者様より強いお人なら、是非会ってみたいもんだなぁ〜」
マーガレットはドヤ顔で答えた。
「来翔さんの宿は江差町。北海道の江差町なのよ。ゲートの近くで、異世界人が泊まる宿屋になってるわ」
「江差町ですか……。オーストラリアからは遠すぎますね! ゼロス、開拓しまくって金貯めて江差町まで観光しに行くか!」
「おぉ! そうだな。明日からの開拓が頑張れそうだぜ!」
そんな会話をしていると、巨大なクーラーボックスを抱えたワタルとグレンが帰ってきた。
「ただいまー! お? マローさんとゼロスさんだったよね? 昨日ぶり! よく来てくれたね! 今夜は美味い魚をご馳走するからね。楽しみにしててよ!」
そう言って、ワタルとグレンは早々にキッチンへこもっていった。
「あらあら、ティータイムにしては長すぎちゃいましたね。お2人は歩きっぱなしでしたし、どうぞ我が家の自慢の露天風呂でさっぱりしてから夕飯にしましょうか」
マローとゼロスはマーガレットに促されるまま、純和風な露天風呂に浸かることになった。
◆
「マロー、まさかC'が引退していたとはな……。これを聞いたらトンプソンさんが喜ぶんじゃねぇか? トンプソンさんってアメリカの西海岸を統治してんだっけ? この情報ひとつで俺らも西海岸に栄転するんじゃねぇか?」
「あぁ、トンプソンさんなら飛びつくネタだな。俺、アメリカ行きてぇよ。ただ、一つだけ残念なお知らせです、ゼロスくん」
「残念? 何が?」
「本当にゼロスは脳筋だな〜。来翔が引退したと言っても江差町に住んでんだぞ? 俺らがゲートを使おうとしても奴が目の前にいるんじゃ、やっぱりここのロンドンアーチのゲートしか使えねぇって事さ。つまり、このオーストラリアこそがゾーン団の本拠地ってのは変わらねぇよ。アメリカには行きてぇけど、あちらに行けんのは経済とITに特化した奴らだけさ。トンプソンさんがまさにそのIT経済に特化した存在だからな……。仮に来翔ネタで俺らが西海岸へ栄転になっても、やれる事はトンプソンさんの護衛くらいが関の山だぜ。それならば、ここでスパイ活動を頑張って隠密系のスキルを獲得した方がエリートコースへの近道なような気がするぜ? ゼロス。俺はこの地でスパイ活動を続けるつもりだ。お前も頑張れ!」
「そうだな。俺も脳筋から卒業してぇもんな。トンプソンさんみたいなインテリ戦士を目指すぜ!」
二人は勇者宅の純和風な露天風呂で、出世の夢を語りながらゆったりとくつろいでいた。
ゾーン団の序列は厳然としていた。トンプソンをはじめとする大幹部の首には100億Qの懸賞金が懸けられている。だが、マローとゼロスのような下っ端の首は、せいぜい5000万Q程度。それだけでも一生遊んで暮らせる大金には違いないが、大幹部の懸賞金と比べれば天と地ほどの差があった。
だからこそ二人は、今日という日が特別な意味を持つことを、湯気の向こうでじわじわと噛み締めていた。木べらの戦士の居場所と、勇者の実力の真実。その二つを、たった一日のスパイ活動で掴んだのだ。
◆
風呂から上がると、勇者の手料理がずらりと並んでいた。心置きなく、二人はそのもてなしを受けた。
スパイ活動中とはいえ、二人はいつしか勇者宅の温かいもてなしに、どっぷりと浸かってしまっていた。
(第87話へ続く)




