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【第82話 群】

 ロウニンアジ。釣り人の中では"GT"と呼ばれている。全ての釣り人はGTに憧れる。カジキマグロやクロマグロなどはGTを釣るための外道、つまり雑魚に他ならない。


 なぜ、そこまでして男たちはこの魚に狂うのか。


 理由は単純明快。GTフィッシングとは、魚と人間の「純粋な暴力の殴り合い」だからだ。


 公海を優雅に泳ぐマグロやカジキの引きが「マラソン」だとするならば、浅根のリーフに潜むGTの引きは「100メートル走」、それもダンプカーと正面衝突するような爆発的なスプリントである。体重30キロ、40キロを超える巨体が、水面を割ってトップウォータールアーに襲いかかる瞬間の、水柱という名の爆発。そこからコンマ1秒で始まる、ドラグを締め切ったリールとの限界バトル。


 GTの恐ろしさは、その知性にこそある。彼らは針に掛かった瞬間、自分が生き残るためにどこへ走ればいいかを完全に理解しているのだ。鋭利なサンゴ礁、ラインをズタズタに切り裂く岩の隙間――。ほんの数秒、アングラーが恐怖で腰を引けば、100ポンドのPEラインは一瞬で消し飛ばされ、ロッドは文字通り木っ端微塵にへし折られる。


 キャスティングの技術、強靭な肉体、そして「絶対に糸を切らせない」という狂気じみた精神力。そのすべてが揃って初めて、アングラーは獰猛な銀色の盾のような魚体と対面し、その「浪人」の名にふさわしい孤高の風格に平伏することになる。


 一度でもあの金属的な生命の衝撃を腕に刻まれてしまえば、もう普通の釣りには戻れない。すべてのリールを破壊し、すべてのルアーを噛み砕く、海の王座。それこそが、GTという名の魔物なのである。




 ◆




「グレンさん! 俺は初めてなんでよろしくお願いします!」


「でも、勇者様はマグロやブリを上ノ国で何度も釣り上げたと聞いてるぜ?」


 舟を操縦しながらグレンがワタルの釣り歴をからかうように語った。


「ブリなんて北海道では子供でも釣れるんですよ。マグロも今年は捨てるほど大量発生してましてね……。ルアーを投げるとスレでも何でも釣れる状態なんですよ。ありがたみが全くなくて」


 近年の道南ではオオズワイガニ、クロマグロ、イワシ、毛ガニが異常発生していて、漁師たちが困り果てているほどだった。


「それは羨ましい。勇者様も忙しくなきゃ地元で釣り三昧だったんでしょうけどね!」


「ハハハ、まさか平和になってからの方が忙しくなるなんて皮肉ですよ! ハンター時代の方がまだ生活に余裕がありましたからね!」


 今回のオーストラリア訪問のように、今の勇者ワタルは世界各国から招かれる存在だった。自宅のある上ノ国には半年に一度帰れれば良い方だ。ダラス将軍を討ち取ったことでトカゲ軍の残党が全てワタルの配下に就いた。勇者軍の代表職がさらに忙しさに拍車をかけていた。


 本来ならトカゲ軍人の中から護衛を連れてきたかったところだが、かつての侵略地をトカゲが歩くことをイギリス政府が嫌がった。だから今回は勇者夫婦のみの招待となっていた。


 なお、トカゲの残党は今、かつての本拠地であった福島県に駐屯している。冬のある地域の方が冬眠できるからだ。人間にとってのお盆や正月休みのように、トカゲ人類にとって冬眠は最高のストレス解消になる。今の彼らはもう人を喰わない。オーストラリア大陸で生活していた頃のように、引き続き羊を食べている。羊毛での収入も得るようになり、さらにはワニとしての特性を活かした潜水士の仕事も成功を収めていた。日本国内でのトカゲの残党に対する偏見は、じわじわと薄らいでいった。


「勇者様はまだA-Classのハンターなんでしょ? 魔道具持ちのB以下は契約解除されたって聞きましたけど、切られたハンターの皆はどうしてるんですかい?」


「北海道の道南は異世界人の来訪ラッシュなんで、俺の知り合いは宿屋をやって大成功してますよ! ほら、ダラス戦の時に立会人をしてくれた、通称『脂の乗った男』ですよ。トカゲ軍に宿敵と恐れられた人類唯一の男でした」


「あぁ! 脂の乗った男! 函館山からダラス一味を一掃した唯一のC'でしたっけ? その人も契約解除に?」


 ワタルは少し寂しそうに水平線を見つめながら答えた。


「はい。扱いはCなので契約解除されちゃいましたよ。でも、ここまで平和になってしまいましたからね。我々A-Classもほぼ失業状態ですから……。今日だってほら、日本に魔法剣を置いてきちゃいましたよ。もうしばらく魔法剣も握ってないんですよね……」


 ワタルの腰には世界樹の木刀一本だけが装備されていた。


「なるほど。でも、その木刀も伝説級の武器なんでしょ? 最後のダラス戦でも使ってましたよね?」


 ワタルは木刀を抜いてグレンに手渡した。グレンは舵をオートにして一振りしてみると、その軽さに目を見開いた。


「軽い……持つと普通の木刀の重さなのに、振ると重さを感じない……こ、これが世界樹……。エルフの里では1000Q程度で買えるというのか……」


 グレンはそっと木刀をワタルへ返した。ワタルは受け取ってから、大波に向けて数回振ってみせた。


ズバンッ! ズバンッ!


 衝撃波が大波を切り散らした。


「いいでしょ、これ。作ったのもC'の彼ですよ。元々、木工職人でしてね。ごく普通の職人でありながら、Aの俺よりも強くて頭が良い。そんな人物を日本政府は使い捨てにしてしまいました……。救いは、今の彼がハンター時代よりも稼いでいることです。天才的な戦士であると共に実業家としても成功を収めていて……俺が唯一、本当に尊敬できる人物なんです」


「ヒュ〜! 木刀を作った人も凄いけど、勇者様の太刀筋も人間離れしてますぜ?」


 ワタルを乗せた舟はGTのポイントへと到着した。二人は木刀の話を切り上げて、早速、竿を振り始めた。




 ◆




 その頃の荒野では、マーガレットが懸命に地平線を彷徨っていた。


「婦人! あまり車道から離れないでください! 今のオーストラリア大陸は本当に危険なんですよ! 危険な動物も多いんです!」


「でも、こんな危険な土地に妖精が一人で生きていけるわけないでしょ? 早く見つけてあげないと!」


 マーガレットはチックルが飛んで行った方向へどんどん進んでいく。すると、何もない荒野の中に一本の大きな木がそびえ立っていた。誰にも手入れされていないその大木は、枝が四方に伸びきっていて、高さよりも横への広がりが勝っていた。一本の木なのに、まるで小さな森のような佇まいだった。


 と、その大木からチックルの嬉しそうな声が聞こえてきた。


「あの大木からチックルの声がします! 行きましょう、リリベットさん!」


 近くまで来て、マーガレットはようやく理解した。チックルが叫んでいた『レフト』の意味が。


 その大木には、無数のセキセイインコがとまっていたのだ。


 野生のセキセイインコのコロニーだった。


「見て見て! マーガレット! レフトが沢山いる!」


「♪ピヨピヨ〜ピ〜♪」


 チックルは無数のインコたちの中で、朗らかに歌を奏でていた。インコたちも負けじと鳴き返している。賑やかで、どこまでも平和な光景だった。


 マーガレットとリリベットは力が抜けて笑った。泣きそうになっていた顔が、いつの間にか緩んでいた。二人はしばらく、無数のセキセイインコたちの合唱を聴き惚れていた。


 やがてチックルがマーガレットの肩に戻ってきた。とても興奮気味だった。


「こんなにたくさんのレフトがいるなんて、オーストラリアって凄い!」


「そうね。日本では絶対に見られない光景ね」


「あのね! あの子たちがブラックマウンテンに人間の村があるって言ってたよ? ここって無人島だったんでしょ? でも、ブラックマウンテンには人間が住んでるんだって。その村にはダチョウって大きい鳥が沢山飼われてるんだってさ!」


 チックルからの情報をマーガレットがリリベットへ通訳した。


「リリベットさん、この辺りにブラックマウンテンってあるんですか? そこに人間の村があるって、セキセイインコたちが教えてくれたそうなんですよ」


 リリベットが仰天した。


「なんですって!? 人間の村が!? セキセイインコの情報なんて信用できるんですか!?」


 その瞬間、大木のインコたちが一斉に「ビービー!」と怒り出した。


 マーガレットとリリベットは顔を見合わせた。これはつまり、ちゃんと話が聞こえていたということだ。インコの頭の良さがようやく骨身に沁みた。


「やはり、インコたちの情報は正しいんですよ! リリベットさん! きっとトカゲ軍の侵略から生き残って耐え忍んでた人がいるんです! 早く救助に行きましょう!」


 しかしリリベットは首を縦に振らなかった。


「ダメです。ブラックマウンテンはとても危険です。まだオーストラリア大陸が有人島だった頃から立ち入り禁止の危険地帯で、今も未開発地区のままなんです。私だけなら何とかなりますが、勇者夫人では死にに行くようなものです。本日は予定通り自然公園へ参りましょう。ブラックマウンテンのことは今夜、グレンと勇者ワタル様に報告してから指示を仰ぎます」


 そんな会話を聞いていたセキセイインコの一羽が、ひらりとマーガレットの肩に降り立った。チックルに耳打ちするように囁く。


「ピヨピヨピヨピヨ!」


 チックルがすぐにマーガレットへ通訳した。


「ここも毒蛇と毒蜘蛛がうじゃうじゃしてるから、人は早く帰った方が良いって! 早く車に戻ろうよ! コアラはインコ達も可愛いからオススメなんだって! でも、コアラも毒しか食べないからチューしたりしたらダメだって!」


「わかったわ。オーストラリア大陸は毒だらけなのね……。さあ、コアラを見に行きましょうか。生き残りの人たちはワタルが何とかしてくれるでしょう」


 車に戻る道すがら、チックルが急に声を上げた。


「あ! インコ達と歌を歌ったら、私に新しいスキルが出た!」


「チックルに新しいスキル? どんなの?」


「あのね! 『歌唱』だって! あんなにたくさんのインコと歌ったからだね!」


 『使えないスキルだなぁ〜』と、マーガレットはほんの少しだけ、顔に出ないようにしてがっかりした。が、当の本人のチックルだけは飛び跳ねるように喜んで、さっそく鼻歌を歌い始めていた。


 やがて車は自然公園へと到着した。


 マーガレットとチックルは日が暮れるまで、本物のコアラを堪能した。




 ◆




 その頃の海の上では、GTどころの騒ぎではなくなっていた。


 マヒマヒ、すなわちシイラの群れに遭遇してしまったのだ。


「グレンさん! もはやシイラしか釣れませんね……! まあ、北海道ではあまり見かけない魚なんで俺としては嬉しいですけど。それにしても釣れすぎですよ! もしかしてリリースすると同じ魚が何度も掛かってませんか?」


「うむ……私もコイツは三度目のような気がする……」


 グレンはシイラの口から針を外しながら苦笑いした。


「とりあえず、食べる分はキープしてあるんで、今日のところはここで帰りますか! グレンさんは寿司は食べられますか?」


「まあ一応は。私もリリベットもサビ抜きなら食べられますよ。マヒマヒなんか寿司にできるんですか?」


「うん! 漬けにすると美味いよ! 試したことはないけど、煮付けも作ってみようかな」


 グレンとワタルはシイラの群れに囲まれてしまい、あえなくこの日は撤退することになった。


 それでも、オーストラリアの海での釣りはワタルにとって最高の休暇だった。


 別荘への帰り道、ワタルは夕暮れの海を眺めながらぼんやりと思った。今夜、マーガレットから何か話がありそうな気がする。勇者としての勘が、そう告げていた。




 (第83話へ続く)



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