【第50話 霞の爪】
翌朝。
カールの元に奴隷商が大きな鉄格子の檻を積んだ馬車でやって来た。
「早かったな、マルノ」
マルノと呼ばれた人族の中年女性が御者席からヒョイと降りてきた。
「カール、久しぶりだね〜。貴族女を売りたいんだって? 早速、査定してやるよ」
カールが洞窟内へとマルノを案内した。マルノが詩音に語りかける。
「アンタ、どこの貴族様だい? とりあえず服を脱ぎな。査定を始めるよ」
「残念ながら私は貴族じゃないの。だから解放しなさい。今なら私もアナタ達を傷つけないわよ」
檻の中から威勢の良いことを言ってきたのでマルノもカールも笑ってしまった。
「アハハ、冗談も言えるってことは教養もありそうだね〜。早く脱がないと査定できないんだから、冗談言ってる暇があるなら早く脱ぎなよ。強引に脱がして肌に傷がついて価値が下がって困るのはアンタ自身だよ? 価値が下がると性奴隷としては売れなくなるよ」
「性奴隷も何も、私は水も食べ物も口にできないのよ! どうせ長く生きられないのよ? こんな奴隷を売ったらアナタの信用にも関わるわよ!」
「アハハ! カール! コイツは本当に面白い事を言うねぇ〜。頭が良い証拠だよ! コイツなら性奴隷じゃなくて計算用に私が買っても良いくらいだよ! どうだい? ウチで経理として働かないかい?」
「馬鹿なこと言わないで! この私が奴隷商の手先なんてできるわけないでしょ! それに本当に私は水を飲めないのよ! だからせいぜい二週間後には死んでるんだってば!」
「また、こんな事を言ってるよ。水が飲めない人間なんてこの世にいるもんか」
その時、どこからともなく謎の声が洞窟内に響いた。
「いや、その女の言っていることは本当だ。この女は水も食べ物も口にすると死ぬ」
カールとマルノがドキッとして洞窟内を見回した。
「だ、誰だ? 今の声は誰だ?」
「今の声はカールじゃないのかい?」
「いや、俺は何も喋ってねぇよ!」
「でも、男の声だったよ!?」
気がつくと、詩音が入っていた竹の牢屋の扉がいつの間にか開いていた。詩音もドキッとして思わず竹の牢屋の奥に逃げた。
「わ、私にも聞こえたわよ? クマ男とオバサンの仲間じゃないの? この世界にもゴーストとかいるの?」
ゴーストという言葉を聞いてカールとマルノが一瞬にして顔色を変えた。
「嘘だろ!? ゴーストだと? 不味い! マルノ! 女を早く鉄格子に入れろ! 早く離れないと取り憑かれるぞ!」
マルノは腰を抜かして、もはや立ち上がれなくなっていた。詩音も急に焦りだした。
「ちょ、ちょっと! オバサン! は、早く立ってよ! 馬車で逃げましょう! ゴーストってそんなにやばいの?」
竹の牢屋から出てきた詩音がマルノを立ち上がらせようと手を引いた。マルノは何とか立ち上がってフラフラと馬車へ向かって歩き出した。
「カール! 私は逃げさせてもらうよ! 貴族の女も逃げたいなら勝手に馬車に乗りな! ゴーストに取り憑かれたら、もう終わりだよ!」
ゴーストは取り憑かれると即死か身体を乗っ取られる。精神だけを体外に追い出されると、地縛霊のようにその場で永遠に漂い続ける。この世界でゴーストは、それだけ恐ろしい存在だった。
「な、なんなのよ! ゴーストって!」
カールは素早く部下達に指示を出していた。
「だ、誰か! 聖水だ! 聖水を持ってこい! まだ数本残ってたろ? 早く持ってこい!」
ヨロヨロと何とかマルノが馬車に乗り込んだ。マルノは詩音を乗せることなく逃げ出そうと手綱を握った。
「あ! オバサン! 待ってよ!」
馬車に捕まろうと手を伸ばした詩音の耳元に、その声が聞こえた。
「詩音、逃げなくても大丈夫だ」
その瞬間、マルノが何者かに馬車から引きずり降ろされた。
「ぎゃあああ! ゴーストが引っ張った!」
マルノが地面に叩きつけられた。カールと部下たちが聖水を持って洞窟内を探り始めたとき、部下の一人が見えない衝撃を受けて数メートル吹き飛んだ。
「なんだ!? ゴーストが物理攻撃してるだと!? 有り得ない! お前たち、早く聖水をゴーストにぶっかけろ!」
「ボス! このゴーストは全く見えません! 俺たち獣人の鼻でも見つけられませんよ! こんなゴーストは初めて見た!」
クマ族は嗅覚がどの種族よりも優れている。そのクマ族の男たちがゴーストの気配を探れないと言って右往左往していた。せっかくの聖水も、完全に見えない相手には使いようがない。
「何処だ! ただのゴーストが何故ここまで完全不可視化できる訳がねぇ!!」
また部下の一人が吹き飛ばされてKOされた。その場にはカールと部下が一人だけになっていた。詩音も腰が抜けて、その光景をただ眺めていた。
最後の部下が吹き飛ばされてKOされると、洞窟内にはカールだけが聖水の瓶を握りしめて立っていた。
そこへLEONが保護色とステルスを解いて、ゆっくりと姿を現した。
カールの顔が青ざめた。
「う、嘘だろ……あ、アンタは……賞金稼ぎの……霞の爪のリーダーか!」
「よく知ってるな。さすが賞金首のカールだ。悪いがお前とマルノはこのまま連行させてもらう。俺の連れのその人族の女が弓を買いたいらしい。カールの賞金が一千万Q。マルノの賞金が二千五百万Q。これで詩音の弓が買える」
マルノの賞金がカールより高額なのは帝国が奴隷売買を固く禁じているためだ。カールはただの盗賊だが、マルノは帝国が最も憎む奴隷商だった。
LEONはマルノとカールと部下たちをまとめて拘束して、マルノが乗ってきた鉄格子の馬車に押し込んだ。そして腰を抜かしたままの詩音へ手を差し伸べた。
「詩音、遅くなった。すまん」
詩音はLEONに抱きついて号泣した。
LEONは照れて保護色になり姿を消した。見えないLEONにしがみついたまま、詩音は泣き腫らしていた。
◆
やがて詩音が泣き止んだ。
LEONは御者席に詩音を乗せて手綱を握らせて操車を教えながら、宿場町へ向けてトボトボと歩き出した。三つの大きな月が真っ暗な夜道を照らしていた。鉄格子の馬車がガタガタと後ろを続く。
「明日、コイツらを換金する。いい弓が買える」
詩音は小さな声で呟いた。
「ありがとう」
「気にするな。私は賞金稼ぎだ。目の前の賞金首を捕まえただけだ。それに詩音を守れとカスミが言った。私はカスミと来翔とネーラとレフトには従わなければならない。私はあの家ではまだ序列が一番低い。そして、私があの家で一番弱い。私はあの家で暮らすようになって、強くなった。かくれんぼもできるようになった。これでもまだ、田吾作には勝てる気がしないのだからな……」
詩音はLEONの言葉を百パーセント理解できたわけではなかったが、今の自分がLEONに到底及ばないということだけははっきりとわかった。
そして詩音が肝心なことを思い出した。
「あ! そうだ! 槍! 槍を盗まれたままだった! LEON! チーター族の兄貴って呼ばれてたやつが盗んで山のどこかに隠したのよ! 早く取り返さないと!」
LEONは深くため息をついてゆっくりと答えた。
「なぜ、使えもしない槍にこだわる? 詩音は弓の名手だろ? 明日になれば賞金が手に入る。いい弓を買えば良い」
「でも! 魔法武器って高いんでしょ!?」
「高い。きっとオークションで過去最高額にはなるだろうな。だが俺にも使えない。詩音にも使えない。そんな槍が本当に必要か?」
詩音はLEONが至極真っ当なことを語っているのを見て、思わず笑ってしまった。
「アハハ、そうか! そうだよね! 貴方が敬愛してる来翔さんも頑なに杓文字と古いオートマグしか使わないもんね! 身の丈にあったもの。それが一番大切だったのかな? 私は魔法武器で背伸びをしていただけの、ただのクソガキだったんだ……」
もう詩音はLEONのことが嫌いではなくなっていた。盗まれた槍も、もうどうでも良くなっていた。
「ねえ、LEON。私でもこっちの世界で賞金稼ぎになれるかな?」
LEONは少しだけ笑顔になって答えた。
「まずは江差の田吾作に勝ってみろ。私もまだ田吾作には勝てる気がしないのだからな……」
三つの月に照らされた夜道に、
詩音の声とLEONの声だけが静かに響いていた。




