【第49話 異世界で生き抜くということ】
馬車に揺られながら西へ向かっていると、御者が叫んだ。
「オークだ! トカゲの旦那! お願いします!」
LEONが馬車から降りてアッサリとオークを爪で切り裂いて絶命させた。御者はホクホク笑顔でオーク肉を採取し始めた。
「ウゲッ! あの御者はオークの肉を食べる気なの?」
「そうだ。魔物肉はこの世界では最も親しまれている食べ物だ。でも、異世界人は食べられない。私のリュックには詩音用の食料を持ってきたから、絶対にこちらの食べ物や水を口にするな」
「そんなの言われなくても食べないわよ! 気持ち悪い!」
詩音はLEONから受け取ったペットボトルの水を飲みながら、御者がオーク肉を馬車に積み込む様子から目を逸らしていた。
やがて馬車が宿場町に着いた頃には夕方になっていた。御者が馬車を停めて振り返った。
「今夜はこの街で泊まりましょう。この先は峠越えです。宿を手配しましょうか?」
「御者さん、風呂付きにしてもらえる?」
「へ? 風呂ですか? この街にそんな豪勢な宿はありませんよ。ここは獣人が多い街なんで、風呂嫌いな種族も多いんです。風呂に入りたい人は街の外れの滝壺で水遊びしてるんですよ。ただ、夜になると真っ暗になるんで、滝壺に行くなら明日の朝にしてくださいよ」
御者が手頃な安宿を見つけてきた。フロントには猫耳の少女が応対していた。
「三名様とお馬さんですね? 皆さんシングルでよろしいですか?」
LEONが代表して答えた。
「シングルはダメだ。三人同室にしてくれ」
詩音がムッとして怒り口調で言った。
「は? 気持ち悪い! アンタは馬鹿なの? 私は女なのよ? 可愛い猫ちゃん、私だけはシングルでお願いニャ! トカゲと御者は同室でも良いんだニャ!」
「かしこまりました。男性がツインで女性がシングルですね。あと、私が猫族だからといって語尾にニャはいらないニャ!」
猫耳少女が冗談交じりに笑いながら鍵を二つ手渡した。LEONの部屋は一〇一号、詩音の部屋は三〇二号だった。一階と三階だ。LEONが即座に反発した。
「すまない。同じフロアに変えてくれ。これでは詩音を守れない」
「それが……シングルルームは三階にしかないんですよ。男性二名もシングルになさいますか?」
LEONは渋々、全員シングルにした。
◆
部屋に荷物を下ろした詩音はすぐにフロントへ戻ってきた。
「猫ちゃん、滝壺はどっちにあるのかニャ? ねえ、猫ちゃんの耳を触っても良い?」
猫耳少女が答える前に、詩音はもう猫耳を撫でまくっていた。
「お客さん! 困ります! 耳は触っちゃ嫌です! 滝壺は村を出て北側にありますよ。でも、今から行くと真っ暗になりますよ? 明日の朝にしてください」
「耳が嫌ならシッポは触っても良いかニャ?」
既に詩音はシッポを撫でまくっていた。
「シッポはもっとダメです!」
「貴女の語尾がニャって言うまで触り続けるわよ」
「や、やめて欲しいニャ……」
満足した詩音は上機嫌で宿を出ていった。
「ありがとう、猫ちゃん。ちょっと出てくるわね!」
「行ってらっしゃいニャ!」
◆
詩音は村を出て滝壺へまっすぐ向かった。暗くなる前に到着した。
「あら、中々、綺麗なところじゃない。もうすぐ夜だし誰もいない貸切だし、この時間に来て正解だったわね」
詩音は衣服を脱ぎ捨てて滝壺へ飛び込んだ。
「冷たい! けど気持ち良い! 石鹸があれば良いんだけど、仕方ないわね……」
滝の音を聞きながら夕焼けの空を眺めて、詩音はぼーっと水面を漂っていた。しばらく経った頃、若い男が二人、滝壺へやって来た。ヒョウ柄の耳をした男たちだった。
「チッ! 先客がいたぜ! しかも人族かよ」
「兄貴、落ち着いて。どうせ人族は夜目が効かないから、暗くなれば出ていきますよ」
(あれはヒョウ? チーター? どっちだっけ……)
流石に混浴は恥ずかしい。詩音が滝壺から出ようとした瞬間、兄貴と呼ばれた男が詩音の荷物にちらっと目をやった。
「おい! 人族の女! ちょっと待て!」
「何よ? あまりジロジロ見ないで貰える? 獣人からすれば人族の裸なんて興味ないでしょ?」
「あぁ、人族の裸なんて気持ち悪いだけだ。でもな、獣人でも興味のある物はあるんだぜ?」
男は詩音の荷物が置いてある場所に歩いていって、槍を手に取った。詩音は全裸なので滝壺から出るのを躊躇ってしまった。
「ちょっと! 勝手に触らないでよ!」
「兄貴、その槍がどうしたんですかい?」
「ヤッコ、間違いねぇ。これは魔法武器だ!」
「あ、兄貴! 魔法の武器ですかい!?」
「あぁ! これは間違いなく魔法武器だ! 初めて見たぜ! おい、女。アンタは貴族様か? よく見れば肌も綺麗だし、貴族様で間違いねぇ! ヤッコ! 水遊びは中止だ! その女を攫え! 俺はこの槍をもらってく。槍も女も高く売れそうだ。最高かよ!」
ヤッコと呼ばれた手下が全裸の詩音を強引に肩へ担ぎ上げて、兄貴と共に走り出した。
「離しなさいよ!」
必死で抵抗したが、人族の力では獣人の若い男の前では何の意味もなかった。チーター族の二人の前では為す術もなく、地上最速のスピードで宿場町から遠ざかっていった。
走りながら二人が話し合っていた。
「兄貴! 魔法武器も貴族の女も、どこで売り捌くんですかい? 獣人でも出品できるオークションなんてあるんですかい?」
「今はゾーン団もいないからな。本当に暮らしにくい世の中になったもんだぜ! 槍はともかく、女の方は奴隷商なら買ってくれるだろ。今は帝国のせいで奴隷も少なくて高くなってるらしいからな。こんな貴族女なら間違いなく一千万Qで売れるさ!」
「一千万!?」
二人の笑いが止まらなかった。
◆
山奥にある山賊のアジトへたどり着いた。洞窟を中心に、ガラの悪い獣人が三十人ほど生活しているようだった。
「兄貴、ここってカールさんのアジトでは?」
「そうだ。奴隷の方はカールさんの方が詳しいからな。カールさんに売っちまおうぜ。ヤッコはとりあえずここで待ってろ。俺は槍をどこかへ隠してくる。俺たちが魔法武器を持ってると知られたら、カールさんなら俺らを殺して槍を奪いにくるからな」
兄貴は槍を持ったままどこかへ走り去った。
ヤッコと二人きりになった詩音はチャンスと思って、肩に担がれたままジタバタと暴れた。
「下ろしなさいよ!」
面倒くさそうにヤッコが答えた。
「まだ暴れてる。人族が獣人に力で叶うはずがないだろ? それに俺から逃げられたとしても、俺と兄貴はチーター族。地上で一番速い種族だぞ? そんなチーター族からどうやって逃げるのさ! でも、安心しな。貴族女が奴隷になっても肉体労働とかやらされないよ。性奴隷なら一生食ってけるぞ?」
「違うのよ! 私は水も食べ物もこちらのものを口にできないのよ! 一生食っていけるどころか、一口でも口にするだけで死ぬのよ! そんな奴隷を売ったら、貴方達もタダでは済まないわよ!」
「何を言ってんだ? 食べ物も水もダメ? 訳わかんないことを言うな! それじゃお前は今までどうやって生きてきたんだ? でまかせ言っても無駄だぜ?」
そこへ槍を隠し終えた兄貴が戻ってきた。
「さて、行くか。カールさんはもう俺たちが縄張りに入ってることに気づいてるはずだ。あまり待たせると怪しまれるからな」
兄貴とヤッコは詩音を連れて洞窟の奥へと進んでいった。
「カールさん! お久しぶりです! チーター族のニックです! コイツはヤッコ、俺の舎弟です」
挨拶したのは周りの獣人より一回り大きなクマ耳の大男、カールだった。
「お?ニックか。親父は元気か?」
「親父はもう足腰弱って走れなくなってます。今は俺が家業を継いでるんですよ」
「そうか。そのうち土産でも持って会いに行くよ。それで、今日は何の用だ?」
「ヤッコが担いでる貴族女を売りたいんですよ。たまたま滝壺で見つけまして。肌もかなり綺麗ですし、性奴隷としても使えそうですし、剥製にしてもかなり上物の剥製になるんじゃないですかね? ほら、ヤッコ、女をカールさんにお見せしろ」
ヤッコがカールの目の前に詩音を下ろした。詩音が走り出そうとした瞬間、一瞬でヤッコに再び捕まった。
「だから言っただろ、チーターから逃げられる生き物はこの地上にはいないって。はい、カールさん!」
カールが全裸姿の詩音を確認した。
「うん。性奴隷としては筋肉質すぎるかもな……腕なんか男みたいな腕じゃないか。まあ、売れない事もない。俺が買ってやろうか。奴隷商に売っても五百万Qくらいだから、俺が出せるのは三百万Qまでだな」
ニックとヤッコが顔を見合わせた。
「兄貴、随分安く見られましたぜ?」
「よく見れば腕周りとか背筋とかが男みたいな身体してるからな……性奴隷としては高くないかも知れん……ここは三百で妥協するしかないか。良し! カールさん! 三百万Qで構いません!」
「わかったぜ。おい、誰か三百二十万Qを持ってこい。交通費くらいは出してやれ。それから、この女の肌を傷つけないように、全身が隠れる衣服を着せろ。傷つけるなよ」
カールの命令で部下たちが動いた。ニックは三百二十万Qを受け取るとヤッコと共に暗闇の中へと走り去った。槍の隠し場所はニックしか知らない。
詩音には蛇柄の革ツナギと手袋と靴下が、高級品を梱包するような丁寧な作業で着せられた。頭部以外の肌の露出が全て隠されて、ラッピングされた詩音は竹で作られた牢屋に閉じ込められた。
カールは部下の一人に奴隷商へのアポイントを取らせて、夜のうちにどこかへ走らせた。
◆
静かな牢屋の中で、詩音はようやく自分の状況と向き合い始めていた。
槍は奪われた。しかも山のどこかに隠された。ニックにしか場所がわからない。水も食べ物もない。LEONが持っていたペットボトルは宿に置いてきた。服もない。金もない。
(水を飲まないと人は何日間生きられるんだっけ……)
チーターの足から逃げられない。魔法武器を持っていても全裸では使えなかった。A-Classハンターとしての実力も技術も、この場所では何一つ機能しなかった。
詩音は竹の牢屋を握りしめながら、ここが異世界だということの意味を、身体の芯から理解し始めていた。来翔が六十日も拘置所に入れられた理由も、ワタルが勇者として首都に縛られた理由も、今になってようやく実感できた。異世界転移、小説やアニメではありがちな設定だ。でも、現実はあまりにも過酷で世知辛い。詩音は自分がいかに何も考えていなかったかを思い知らされていた。
(異世界で生き抜くって本当は凄い事なんだ…。だから、私はアチラでも、コチラでも負けたんだ…)




