【第206話 峠の雪上ドリフト】
「コナーズ・パス(Connors Pass)」。ネバダ州東部のシェル・クリーク山脈(Schell Creek Range)を越える実在する山峠で、国道五十号線(US-50)上の標高二千三百五十二メートルという、かなりの高所に位置している。
十二月のコナーズパスには、クライスラー300Cがスタックするには最適な積雪だった。
ことの発端は、雪道を華麗にドリフトしながら走らせていたモニカに、ビズが「モニカ! めっちゃ面白いな! このドリフトってやつは! 私にもやらせてくれよ」と、何気ない一言を言ったのが発端だった。
モニカは運転席をビズに変わって助手席に座り、運転初心者のビズに車の運転方法を教えながら、雪道を走り出した。
「お姉さん! 逆ハンだってば! 逆ハン!」
「お、おぉ、わかってるんだけどさ、つい逆ハンを忘れるんだよ〜」
運転初心者のビズはドアンダー出まくりで、ドリフトには程遠かった。そんなドアンダーを繰り返していると、雪山にザックリとフロント部分が突き刺さってしまい、駆動輪は空転してその場から抜け出せなくなってしまった。
十二月のコナーズパスには、対向車も後続車も全く現れなかった。
「お姉さん! どうすんの?」
ビズは悩むそぶりもなく、
「飛行魔法で浮かせるよ」
ビズはクライスラー300Cの中から飛行魔法を唱えて、車を宙に浮かせた。
「ほら? 抜け出させた!」
モニカも空飛ぶ車に夢中になっていた。
「凄い! このまま空を飛んで峠を越えようよ!」
「ダメダメ! 私がドリフトをマスターしてないもん」
そう言うとビズは、再び道路に車を戻してしまった。
「さあ、もう一度、ドリフトにチャレンジだ!」
後部座席でベスが呆れて、モニカと顔を見合せてため息を吐いた。
それから、およそ一時間も練習を繰り返していると、何とかアンダーは出なくなっていたが、綺麗な慣性ドリフトには至らなかった。ビズのドリフト遊びは日が落ちるまで繰り返されて、辺りは真っ暗闇になっていた。
「お姉さん、このまま今夜は車中泊だね」
「そうだね。ついついやり過ぎちまったよ」
◆
三人は車中泊を覚悟していると、モニカが助手席の窓から森の中に淡い光を見つけた。
「おばさん! あそこに灯りが見える! 誰かが森の中に住んでるんだ! 山賊かな? 場所を移動する?」
ベスも窓から灯りを確認した。
「山賊ならぶっ殺して、山小屋を使わせてもらおうか? ビズ! あの灯りの正体を見ておいで!」
ビズは、外は寒いのでリノの街で手に入れていた真っ赤なダウンジャケットを着て、森の中へと消えていった。
ビズが森の中を歩いていくと、小さなログハウスから灯りがこぼれていて、ログハウスの前には大型犬が何頭も繋がれていた。ビズの匂いに反応した大型犬が、一斉にビズに向かって吠え出してしまった。
(ワン! ワン! ワン!)
「チッ! しくじったよ! 黙れ! 犬っころ!」
すると、ログハウスからは一人の老人が顔を出した。
「誰じゃ?」
「あぁ! 爺さん! 私はかなり怪しいものだけど、すぐに消えるから気にすんな! 灯りが見えたから、山賊かどうかを確認しに来ただけさ」
老人は大型犬を落ち着かせるために、一頭ずつ頭を撫でていく。
「こんな山の中に女一人で本当に怪しいのぉ〜。お前さんこそ山賊じゃなかろうか?」
「まあ、そんなとこだ。アタイは山賊よりも怖いけどな。ハハハ!」
ビズが老人を確認し終えたので、ゆっくりと振り返り車まで戻ろうとすると、その老人がビズを引き止めた。
「良かったら飯を食っていけ。今朝、鹿を仕留めてな。ワシ一人と犬ぞり達では食いきれん」
ビズは再び振り返り、
「ごめん! 爺さん。アタイはひとりじゃないのさ。ババアと子供もいるんだよ。それでも良ければお邪魔するけど?」
老人は顎で入れとゼスチャーをすると、ビズが車に戻り二人を連れて来た。
◆
三人がログハウスに入ると、中には老人が一人で暮らしていた。電気やガスは無く、水も近くの川から引いているのだと、塩化ビニールのパイプからチョロチョロと流れ続けている水場を見せてくれた。
「ワシはフライ。この山で暮らしておる。元はこの先の街のソルトレイクシティという所に住んでおったのじゃが、街が嫌になってのぉ。ここで暮らし始めたんじゃ」
窓の外の犬を見て、モニカが尋ねる。
「あの犬は?」
「あれは冬用のソリじゃ。ここから先は冬の間は除雪車が入らんからのぉ。ワシもたまには街で買い物をせんと行かんから、今から犬ぞりを用意したんじゃ」
犬ぞりと聞いて、モニカとビズが興味津々になり、外の大型犬をマジマジと眺めていた。
そんなフライはキッチンに入り鹿肉のハンバーグを作り始めたので、ベスが隣でパンを焼き始めた。
「アンタ、パンが焼けるのか?」
「私はパン職人だからね。簡単なロールパンで良いよね?」
「あぁ、久しぶりにパンが食えるのは楽しみじゃ」
パンを焼きながら、ベスは外の犬を眺めていたビズに話しかける。
「ビズ、車から酒を持ってきな」
ビズはフライに一言断ってから、玄関にあった犬用のリードを手に取り外に出ようとしている。
「爺さん! 犬っころを散歩させてきても良いかい?」
「あぁ、好きにせい」
「行こう! モニカ」
二人はリードを手に取り、犬達と車まで走り出した。
◆
やがて、二人は辺りを散歩しながら、バーボンを片手に帰ってきた。
「母ちゃん、そういえばアタイ、ボスから『テイマー』系のスキルを獲得してこいって言われてたんだわ」
「そういえば、そんな事を言ってたねぇ〜。それはホワイトハウスに着いてからで良いさね」
そんな会話をしていると、いよいよハンバーグが完成して、四人で夕飯を食べ始めた。
フライはパンとバーボンを大いに喜んでいて、何故この山に一人で暮らしているのかを話し始めた。
「酒は本当に久しぶりなんじゃよ。ソルトレイクシティにはもう、酒は一滴も無くなってしもうたんじゃ」
「酒がないだと?」
ベスが首を傾げると、フライはその理由も語り始める。
「ユタ州ってのは崩壊前から宗教観が強い土地柄でな。崩壊後は、さらに戒律がキツくなったんじゃ」
法と秩序が無くなった世界で、ますます戒律が厳しくなったと聞いて、ベスとビズがますます意味がわからなくなった。
「それは崩壊前よりも厳しくなったのかい?」
「そうじゃ。電気もガスもあえて無くしてしまってな。皆、質素に暮らしておるわ」
フライから聞いたソルトレイクシティの様子は、崩壊後に新たに誕生したある宗教が生まれて、これまでの教会や宗派が新宗教に鞍替えしてしまい、牧師も軒並み新宗教の牧師として布教活動を行っているという。街には電気もガスもなく、人は昔ながらの生活を営んでいて、娯楽は罪とされ、鼻歌を歌うことも禁止されているという。
そんな新宗教の名は――『ゾーン教』。
ベスとビズは驚きすぎて、唖然としてしまった。
「はぁ? 私らの教えが、宗教になってるって事かい……?」
「ワシもよくは知らんが、ゾーンという名の、何やら恐ろしい存在の教えらしいのぉ。とにかく、この国に無秩序をもたらした存在への、信仰のようなものらしい」
その日はフライから、ソルトレイクシティまでの道のりのことを聞きながら、そのまま三人はログハウスに泊まった。
◆
そして、翌朝。
三人はクライスラー300Cをログハウスの前に移動させると、中の荷物を犬ぞりに乗せていく。なぜなら、ここから先は積雪が酷くて、車では峠は越えられないのだという。なので、フライが犬ぞりで峠の向こう側にあるユタ州まで乗せてくれることになったのだ。
「さて、行くかの」
三人がソリに乗り込むと、フライが犬に号令をかける。
「ハイヤー!!」
(ザッザッザッ……!)
犬ぞりは颯爽と峠を駆け出した。早朝の冷たい空気も、犬たちは心地よさそうに走り出している。
やがて、昼過ぎには峠を越えて、小さな街にたどり着いた。
「この街からは鼻歌も歌うんじゃないぞ」
三人がコクリと頷いた。季節は十二月とあって、至る所にクリスマスツリー等が飾られていたが、電気が無いのでイルミネーションは一切なかった。
「なんか、リノに比べると寂しいね」
モニカが呟いた。
「うん、これは爺さんのログハウスの方がマシかもな……」
ビズが音のない町並みに唖然としながら、モニカと感想を言い合っていた。
しばらく街中を犬ぞりで走っていると、フライの行きつけのスーパーが見えてきた。
「ワシはここで買い物をしたら家に帰るんでな。ここで降りてくれ」
三人はソリから荷物を降ろしながら、フライに昨夜の礼を述べていた。
「爺さんも元気でな。クライスラー300Cは好きに使ってくれ。申し訳ないけど、昨日アタイがドリフト遊びをしちまって、燃料を使いすぎちまった。でも、ガソリンはまだ半分くらい入ってるからさ!」
フライもビズから鍵を預かり答える。
「わかった。雪が溶けたら、ありがたく使わせてもらおう。アンタらは、ここから先はどうするね?」
モニカがニカッと笑って答える。
「また盗むよ!」
そう言ってモニカとフライが握手をかわしてから、フライはスーパーの中に入っていった。
◆
三人はそこから、街の中心部目指して歩き出した。
しばらく歩くと、街の中心にある大通りが見えてきた。ちょうど、何処かの教会の牧師が演説を行っていて、街の人がその演説を黙って聞いていた。
「ゾーンの教えを守る事が、今のアメリカで必要な事です! 我々は神に試されている! 衝動的に何でも盗める時代になった! が、しかし! それではいけない! ゾーンの教えは、そんなものではないのだ! 神は! ゾーンは! 己の中の欲求を試しておられるのだ!」
そんな奇妙な演説を聞いて、ビズが思わず笑ってしまった。
「アハハ! ゾーンのことを何も知らない奴が、何を馬鹿なことを!」
牧師と街の人が、一斉に三人を見た。誰も口を開かない、音の無い街の大通りに、ビズの笑い声だけが、いつまでも響き渡っていた。
モニカが怖くなり、ベスの後ろに隠れた。それでもツボに入ったビズは、笑いが止まらなくなっていた。
(第207話へ続く)




