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【第197話 野間峻祥GT-i】

 ゾーン(坂本)が日本での取り調べを終えて、数日後にはMI6により英国へと護送されていた頃、サキュバスからの精神汚染で入院していたワタルが退院してきた。入院中もずっと付き添っていたマーガレットも帰ってきたことで、夫婦揃って大破したSUZUKIカルタスGT-iの確認のために、上ノ国にある板金屋のミカミ板金までやって来ていた。


 ミカミ板金の駐車スペースには、フロント部分が根こそぎ潰れていたカルタスが完全に死んでいた。


「カルちゃん……」


 そんなショックを受けているマーガレットに、板金屋の主人が更に追い打ちをかけてきた。


「奥さん。残念だけど、これは新しく買った方が安いよ。直すとなれば、新車よりも金がかかる」


「カルちゃん…………」


 マーガレットはその場で泣き崩れてしまった。ワタルもそんなマーガレットを、隣で支えることしか出来なかった。







 一方、本日、来翔はとても緊張をしていた。ネーラから恒例となっていた散髪を頼まれていたからだ。


 フェアリーは心が通じ合っていないと見えない。つまり、フェアリーを見ることのできる美容師は江差にはいなかった。ネーラは髪が伸びると、いつも来翔に切って貰っていた。来翔は、小さなフェアリーの髪を切るのが毎回毎回、緊張をするのだ。


「来翔〜、早く切ってよ」


「わかったよ。ちょっと待って! ネーラの頭が小さ過ぎて怖いんだよ。慎重にやりたいから焦らせないでくれ」


 恐る恐る来翔がネーラの髪を少しずつ切っていた、その時――最も気を使うネーラの前髪を切ろうとしたその瞬間、突然、来翔の肩にセキセイインコのレフトがパタパタと飛んできて、とまったのだ。


(チョキン!)


 ビクッとなった来翔は、思わずハサミを握ってしまった。目を閉じてじっとしていたネーラの前髪が、パッツンになっていた。


「あ!」


 来翔は思わず声が出てしまったが、その場は何とかやり過ごそうとした。来翔は、広島カープの野間峻祥がエラーをしても必死で全力プレイをしているフリをするために、更に必死になり――またエラーをしてしまう時のような顔をして、誤魔化そうとした。


 が、前髪パッツンのネーラの顔が面白すぎて、レフトが既に肩の上で大爆笑をしていた。


「ピヨヨヨヨ〜」


 レフトが大笑いしたことでネーラが来翔の顔を見上げると、そこにはまさに野間峻祥の顔をした来翔が、ハサミを持って真面目なフリをして立っていた。


「は? 野間峻祥じゃん! 来翔! また顔が野間峻祥になってる!! って事は……ミスったんだ! 何したの!? 野間! いや! 来翔!」


 来翔は黙ったまま、野間峻祥の顔をして答えようとしなかった。が、肩の上のレフトが腹を抱えて笑い転げて「ピヨヨヨヨ〜」と抱腹絶倒しているので、ネーラはついに洗面所の鏡の前に飛んで行った。


 そして、洗面所の鏡の前で、ネーラの叫び声が聞こえてきた。


「いやーー!!!」


 来翔は黙ってハサミを持ったまま、野間峻祥の顔で必死に誤魔化そうとした。


 それが、いつもの江差の光景だった……。







 そんな前髪パッツンになってプリプリと膨れっ面のネーラと、必死で野間峻祥顔で誤魔化そうとしている来翔の元へ、久しぶりに、先日の戦闘で精神汚染で入院していた勇者ワタルがやって来た。


「ど、どうしたんですか? 来翔さん、顔が………いや、気のせいか……」


 ワタルの胸ポケットからチックルが飛び出して、前髪パッツンのネーラの隣に来て、二人でアルフォートを食べながら前髪パッツンを興味津々に見つめていた。


「ワタルさん、退院おめでとうございます。無事に退院出来て良かったです。マーガレットさんも敵にクラッシュした後遺症は無かったんですか?」


 ワタルもネーラの前髪パッツンをガン見しながら答える。


「ほら? あのカルタスには何故か、サベルトの四点式シートベルトが最初から付いていたでしょ? だから、マーガレットはムチ打ちにもならずに無事だったのですが……ある意味で俺よりも精神的に参ってるみたいで、そのことを相談したくて来たんです」


 ワタルは、マーガレットがカルタスの全損・修理不可を聞いて塞ぎ込んでいることを、来翔に打ち明けた。


「なるほど。カルタスGT-iは一度乗ると誰でも魅了されますからね……。しかも超レアなので、また同じ型を探すのも難しい……」


「そうなんです。板金屋からもニコイチの修復でも不可能だとハッキリ言われました。球数が少なすぎるからと……」


「そういえばワタルさんはアイドル活動もしてたんで、芸能人の織田という俳優さんとは繋がりはありませんか? あの刑事ドラマの織田さんです。彼なら二代目のカルタスを持っていたはずですよ? デザインはかなり変わっちゃいましたが、二代目のカルタスもオススメですよ?」


 ワタルはすぐに自身のマネージャーに電話をして、俳優の織田とコンタクトをとってもらい、その場で交渉を始めていたが、織田が所有するカルタスは完全に競技車用の改造を施されていたために、公道で走らせるにはさらにお金がかかるとして、ワタルの方から辞退を申し出た。


「マーガレットに競技車なんて怖すぎます! 現時点で無自覚なスピード狂なんですもん……」


「確かにマーガレットさんは速い! 僕も車には自信がある方なんですが、マーガレットさんには勝てる気がしない……それならば、カルタスの中でも大人しめの不人気車なんてどうですか? カルタスには不人気車のマイルドなやつもあるんですよ?」


 そう言って来翔がカルタスの中でもかなり遅いモデル、SUZUKIカルタス コンバーチブルというオープンカーの画像を見せた。


「へぇ〜。こんなスポーティなデザインなのに遅いんですか?」


「はい。エンジンはツインカムじゃないし、屋根がないけど車重はカルタスGT-iよりも百キロも重いんです。カッコだけのオープンカーなんですよ! それに屋根がないから、お宅のファルコも乗れますよ? そろそろファルコは大きくなってますよね?」


 ファルコとは、チックルとマーガレットが育てているヒクイドリの事だ。もう育ち過ぎて、体高が百八十センチを越えているのだ。それを聞いていたチックルが目をキラキラさせて、スマホの中のカルタスコンバーチブルを見つめてワタルに懇願した。


「ワタル! コレ! コレ! これが良いよ! ファルコも一緒に乗れるならマーガレットも喜ぶよ! 新しいカルちゃんを買うならこれが良い!」


 ワタルもネット上の価格を見ても、不人気車という事でかなり安かったので、最後にもう一度、来翔に確認をした。


「来翔さん、本当にこのカルタスコンバーチブルは今までのカルタスGT-iよりも遅いんですよね?」


 来翔はニコッと笑って答える。


「はい! イライラするくらい遅いです。下手すりゃ軽自動車よりも遅いかもしれません。あ、ただ、古い車なんで買ったとしても幌だけは新品に張り替えないと雨漏りします。幌の張替えくらいは僕が出来ますので、任せてください」


 ワタルは安心したように、その日は上ノ国へ帰り、カルタスを預けていたミカミ板金にやって来て、店主のミカミに買い替えの事を報告しに来ていた。







「ミカミさん! 決まりました! やっぱり買い換えようと思います。次の車も決めました。またカルタスを買おうかと思ってます」


 ワタルが来翔から聞いたカルタスコンバーチブルの事をミカミに告げると、意外にもミカミの口からコンバーチブルの名前が出てきた。


「あぁ、いい選択だね。コンバーチブルなら暴走狂の奥さんにピッタリだ! しかも、勇者様。運のいいことに、俺の従兄弟が函館でミカミオートという中古車販売店をやってるんだが、そこにあるよ! カルタスコンバーチブルが! ずっと売れなくて困ってたはずさ」


 ミカミが従兄弟だと言うミカミオートに電話をかけると、トントン拍子でカルタスコンバーチブルの購入が決まった。


「ありがとう! ミカミさん、ただ、幌だけはミカミさんのとこで新品をお願いします! 幌の貼り替えは俺の知人が出来るそうなんで、新品の幌が届いたら工場だけ貸してください」


 ミカミはカルタスコンバーチブルと、それのための新品の幌を注文していた。







 それから数日後。ミカミ板金には、中古の真っ赤なカルタスコンバーチブルが届けられた。ワタルと来翔が程度を見るために、ミカミ板金までやって来た。


「来翔さん。どうですか? 何処か他に直すとこはありそうですか?」


 来翔とミカミがその場で色々と点検を始めて、二人の出した答えが――。


「ワタルさん、やはり古いだけあって足回りは死んでました。なので、社外品の頑丈な物に買い換えましょう」


「社外品? ですか? 純正ではダメなんですか?」


「残念ながら、これだけ古いともうメーカーでも在庫が無いんですよ。ただ、前のカルタスGT-iのリアショックがカヤバショックのいいやつが入ってたので、前のカルタスからリアだけは移植できます。なので、フロントだけ、リアに合わせてカヤバショックを買い足します。あと前のカルタスから四点シートベルトも移植しておきますね! オープンカーなんでシートベルトだけはガッチリした物がオススメです」


 来翔とミカミの説明を聞いて、ワタルも納得して頷いた。







 それから数日後。新品の幌が届いたという事で、ミカミと来翔が二人でカルタスコンバーチブルの仕上げに取り掛かった。


「それじゃ、来翔さんはGT-iからリアショックを外してくれ。俺はコンバーチブルのリアショックを外すわ」


 二人は長年連れ添った間柄のように、息ピッタリと移植作業を進めていく。


 およそ一時間でリアショックの交換は終わった。


「来翔さん、アンタ随分慣れてるな? 整備士かい?」


「いえ、僕は趣味で弄ってただけですよ。昔はAE111に乗ってたんです」


「ほう! 良いね。111か。当時はVTEC至上主義だったけど、111はその時代に乗れなかった悲運なエンジンだったな……」


「はい。だからこそ、僕は妥当、VTECで割と楽しい弄り屋生活をしていたんです。このカルタスGT-iもVTECに隠れていたけど、本当にバイクのようなレスポンスで憧れでしたよ」


「そうだよなぁ。でも、このGT-iのエンジンはまだ生きてるぜ? アンタのkeiに載せ替えたらどうだい?」


「いえ、今のkeiは僕も気に入ってるので載せ替えはしなくてもいいかな? それにGT-iのエンジンがまだ生きているのなら………」


 来翔とミカミは、真っ赤なカルタスコンバーチブルをしばらくの間、見つめていた。







 それから二日後。ついに来翔とミカミはカルタスコンバーチブルの整備を終えて、マーガレットにサプライズで自宅にカルタスコンバーチブルを届けた。


 カルタスコンバーチブルを見たマーガレットは、涙を流して喜んでいる。


「カルちゃん……」


 ワタルが和やかにマーガレットへ囁いた。


「君のために新しいカルタスを見つけてきたんだ。今度のカルタスは屋根が無いから、ファルコも乗れるだろ?」


「えぇ、本当に美しいカルちゃんね。ねぇ。ワタル。乗ってみても良い?」


「良いね! 二人で海岸線を走ろうか? オープンカーだから気持ちも良さそうだ! 来翔さん! ミカミさん! 本当にありがとう! 早速、妻と二人でドライブしてくるよ!」


 ワタルから礼を言われた来翔とミカミの顔は、何故か揃って野間峻祥の顔になっていたが、有頂天のワタル夫妻にはそんな事は全く気づかないまま、マーガレットが運転席に座り、四点シートベルトを装着した。ワタルも助手席に飛び乗ると、真っ赤なカルタスコンバーチブルは海を目指して走り出した。甲高い高回転の音色と共に。







「ねぇ。ワタル。このカルちゃん。なんだか懐かしい感じがするわよ? エンジン音が私の『翻訳』スキルに語りかけてくるの。『また君と走れるよ! マーガレット』って……」


「ああ、それはリアショックとシートベルトが、前のカルタスからの移植品だからじゃないかな?」


「ショックとシートベルト? でも翻訳スキルにはこの甲高いエンジン音から聴こえるんだけど……。まあ、良いわね。屋根がないと本当に爽快だわ!」


 そんな中、上ノ国の複雑なグネグネとした海岸線に出た。その刹那、マーガレットの『爆走』スキルに火がついた。


 隣に乗っているワタルの顔が、一瞬で青ざめた。何故なら、回転数は九千RPMに達していて、前のカルタスGT-iを彷彿とさせる高回転の音色が、ボンネットからハッキリと聞こえているのだ。


 更にマーガレットはますます加速させる。コーナーごとにタックインで、コーナーリングスピードが全く落ちない。タイヤもコーナーごとに鳴りっぱなし、シートに押し当てられる強烈なG。


(なぜだ!! コンバーチブルは遅いはず!!)


 マーガレットは『爆走』スキルを満足させるまで、海岸線を責め続けていた。隣のワタルはもはや疲れ果てて、助手席から降りられなくなるほど腰が抜けていた。


(は? そういえば来翔さんとミカミさんの顔が……)


(あ、あれは間違いない! エラーを隠そうとして、もう一度エラーした時の、広島カープの野間峻祥の顔だ!!!)


(あの二人……野間峻祥のように『やらかした』んだ!!)


 来翔とミカミはワタル夫妻を見送ったあとは、そのままダブルで野間峻祥の顔をしながら、静かに家路についていた。


(ダブルエラー……)


 それは、まるで外野フェンスの広告を賑わせた、あの伝説の「Wエラー」そのものだった。


 誰も責めることの出来ない、そんな二人の後ろ姿だけが、上ノ国の夕暮れに長く伸びていた。




 (第198話へ続く)







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(あとがき)

・広島カープの野間峻祥選手は、通称「野間峻祥(野間愛)」として親しまれ、エラーや走塁ミスをしても不思議と憎めないキャラクターとして有名です。とあるダブルエラーを演じた試合では、たまたま映り込んだ外野フェンスの広告(清水建設)がSNSで大きな話題となり、球団公式もそれにあやかったグッズを展開するほどの人気ぶりでした。

・来翔さんが「何かをやらかした時」に見せる野間峻祥の表情は、こうした「憎めない失敗」の象徴として、江差では一種のジンクスのように扱われています。

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(あとがき②)


後日談



・実は作中では明言されていませんが、来翔さんとミカミさんが最後に見せた「野間峻祥の顔」の原因は、読者の皆様のご想像通りです。

・二人は当初、「カルタスコンバーチブルなら遅いから安心だろう」という善意から作業を始めました。

・しかし作業中、

「GT-iのエンジン、まだ元気だな」

「勿体ないですね」

「せっかくだし載るんじゃないか?」

「載りますね」

「……やるか?」

「……やりましょう」

という、車好き特有の発作を発症。

・結果として、

 GT-i用エンジン

 GT-i用リアショック

 四点式シートベルト

を移植した、世界に一台しか存在しない謎のカルタスコンバーチブルが完成しました。

・なお、二人とも途中までは「これはマーガレットさんの安全のための作業だ」と本気で思っていました。

・完成後、試運転をしたミカミ氏の第一声は、

「これ、絶対に奥さんに渡しちゃダメなやつだ」

でした。

・来翔氏の第一声は、

「うわぁ……GT-iより曲がる……」

でした。

・しかし、その時には既に登録変更も保険手続きも終わっており、後戻りは出来ませんでした。

・こうして誕生したのが、

『カルタスGT-iコンバーチブル』

通称――

『屋根の無いGT-i』

です。

・なお、当のマーガレット本人は大変お気に入りの様子で、

「新しいカルちゃんの方が速いわ!」

と満面の笑みだったそうです。

・ワタル氏は現在も助手席で失神しない方法を模索中です。

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