【第188話 下野の国の三悪党】
核ミサイル攻撃から二週間後。ワシントンDCのナショナル・モールでは、アメリカ大統領のスミスが追悼の演説を行っていた。集まった国民はおよそ二百万人。誰もが、静かにその言葉に耳を傾けていた。
その時、演説中のスミス大統領が、ふと視線を上げた。
「ん? 塔の上に……誰かが立っている」
白亜の塔――ワシントン記念塔の先端に、一人の男が立っていた。大統領のその一言に、集まった民衆が一斉に塔の頂を見上げる。
塔の上の男は、にこやかに笑いながら民衆へ手を振り、声を張り上げた。
「俺がゾーン! 自由の象徴さ! さあ、民よ! 好き勝手に生きろ! もう君たちは自由なのだから!!!」
民衆がざわめき、戸惑う中、ゾーンはふわりと宙に浮きながら、スミス大統領の隣へと降り立った。大統領のSP達が一斉に銃を放つが、その全てが魔法防壁の前に弾かれる。
ゾーンは変化魔法でスミス大統領そっくりの姿に化けると、腰を抜かした本物の大統領の代わりに、演説を再開した。
「Freedom of the people, by the people, for the people!!! (人民の人民による人民のための自由!!!)さあ、欲しいものは奪え! 我慢することを辞めろ! ここは自由の国なんだ!」
それでもナショナル・モールに集まった人々は、ざわめくばかりで動こうとしない。それを見たゾーンは、小さく溜息をついた。
「ハァ〜。せっかく自由にしてやったのに、君達は何もしないんだね。本能を忘れちゃったのかい? それなら――」
ゾーンは長い詠唱を始めた。異世界の魔道士と戦った経験のある者ならば、耳にしたことがあるかもしれない詠唱。魔法の天才であるゾーンでも、五分近くを要するその呪文を唱え終えると、スミス大統領の姿のまま、マイクへ向けて静かに囁いた。
「ホーリーレイン……」
ナショナル・モール全体に、光の雨が降り注いだ。
かつて異世界で勇者ワタルや来翔すらも一撃で全身を穿ち、叩き伏せた回避不可の殺戮魔法。無数の光の矢が広大な公園と二百万人の民衆を容赦なく穿ち抜き、悲鳴すら上がる隙もなく、ナショナル・モールは一瞬にして血と絶望の海へと変貌した。
その一部始終を見ていたスミス大統領には、もはや抵抗する気力すら残されていなかった。言われるがまま、ゾーンをホワイトハウスへ招き入れると、大統領は即刻辞任を表明し、その座を明け渡した。
◆
こうしてホワイトハウスは、ゾーンの新たな住処となった。キャロラインとソフィア、そしてニューヨークの小さなタブロイド紙の社員や記者達も、そこで暮らすことになる。あのタブロイド紙は、今後のアメリカ全土に無料で配布される『聖書』として扱われることになった。内容はもちろん、ゾーン式の自由の在り方を綴ったものだ。この国での違法行為は、ただ一つ。我慢をすることだけだった。
アメリカ国民の多くは、カナダやメキシコへ逃れようと道路に殺到し、各地で暴動が起きた。街には絶えず銃声が響き、弾薬が品薄になると、民衆が米軍基地に押しかけて国民と兵士が衝突するという矛盾した光景すら、もはや珍しくなくなっていた。
そんな光景を見つめながら、キャロラインはホワイトハウスでゾーンと祝杯を挙げていた。
「ボス、本当に、昔のコナ国の姿がここで見られるなんて、素晴らしいですわね」
「そうだね。ゾーンの民を、早くこの地に引越しさせないとね。地球側の残党は、まだいるんだろ?」
「ええ。本拠地のオーストラリア基地が無くなったので、正確な数まではわかりませんが、ユーロ圏の残党はほぼ無傷で残っていると思います。あちらの十四人も、いずれアメリカへ渡ってくるでしょう。それに――先日のナショナル・モールでの演説を何処かで見てるはずのトンプソンがまだ生き残っているのなら、必ずここへ来るはずですわ」
「うん。きっとそうだね。トンプソンが来たら、ホワイトハウスはあいつに任せて、俺は月へ帰るよ。下界での生活が長すぎたから、久しぶりに歳を取ってしまった気がするよ。トンプソンが来て、俺の帰る準備が整ったら――今度は日本各地に核ミサイルを落とすからね」
ゾーンは、指折り数えるように続けた。
「九州に一発。四国にも一発。関西にも一発。東海にも一発。関東には二発。東北にも一発。最後に江差へ落として、俺は爆発前にゲートを通過するよ。残りのミサイルは、君達の好きにしていいから」
うっかり漏らしたその言葉に、キャロラインは不審げな顔をした。
「え? ボス? あちら側の聖教国と帝国には、落とさないのですか?」
ゾーンにとって、異世界の国々とのしがらみは、もはやどうでも良いものになっていた。だが、ゾーンの民の中には、いまだ聖教国と帝国に恨みを抱いている者も多い。
「おっと、忘れてた訳じゃないから安心しなよ。……わかった、わかったよ。ゲートを通過する時には、俺が核ミサイルを二つ、あちらへ持っていくよ。それを聖教国と帝国に落としてやるから、安心してくれ」
キャロラインは、この時初めて――ゾーンの本当の目的が、実は日本にあったことを知った。それは些細な違和感として、彼女の胸に小さな棘となって残った。
◆
これより少し前。日本の栃木県下野市、SONY小山工場の談話室にて。
トンプソンとレベッカとデビットは、中国で起きた核爆発事件について話し合っていた。
「主任! あの中国の爆発事故が、例の潜水艦の核ミサイルだと?」
この頃のトンプソンは、十三-Bラインの主任に昇格していた。『統御』というスキルは、SONY工場でのマシンオペレーターという職種に、驚くほど適していたのだ。もともと派遣社員の中途採用を多く受け入れていたこの工場では、トンプソンの担当ラインのエラー数の突出した少なさが本社からも評価され、派遣社員でありながら主任の座を任されていた。
「あぁ、あれは間違いなく、俺が潜水艦から持ち出した核ミサイルだ。原発事故なんかじゃない」
「でも! そんな事を誰が? だって、網膜スキャンしなくちゃ、核は起爆出来ないはずですよ?」
トンプソンは、周りに聞こえないよう静かに囁いた。
「いや、俺があの時、網膜スキャンを採用したのには訳があるんだ。ゾーン団の中には『模倣』や『偽装』のスキルを扱える者がいる。つまり、その二人なら、俺が死んでも俺の瞳を模倣したり、偽装したり出来る」
それを聞いて、レベッカが焦ったように尋ねる。
「そ、それじゃ、その二人が犯人!? でも、どうして既に一度トカゲに滅ぼされた中国を、また攻撃したんでしょう? それに、核ミサイルの隠し場所なんて、私とデビットしか知らないはずですよ。あんな場所、バレるはずがありません!」
「隠し場所がバレた経緯は、俺にもわからん。中国を狙った理由も謎だ。ゾーンの奴らは気まぐれだ。ただの気まぐれで選んだだけかもしれん……」
「まさか、次は日本ってことは、無いですよね? この下野市は大丈夫ですよね?」
「うむ。それを確かめる意味でも、一度、残党の連中とコンタクトを取る必要があるな……。次のシルバーウィークにでも、アメリカの東海岸に行ってみるか?」
レベッカとデビットにとって、故郷であるアメリカへの帰郷は、少しだけ嬉しい響きを持っていた。だが、それと同時に、拭えない不安もあった。
デビットが不安げにトンプソンへ尋ねる。
「アメリカ本国に入る時、偽造の身分証で入国できますかね? 私やトンプソンさんは、あの時、指紋を取られてますよ?」
「まあ、入国審査で指紋の照合まではしない。それに、いざとなれば強引に逃げれば良い。ニューヨークにさえ入れれば、そこには偽装スキル持ちのキャロラインがいる。指紋や顔を変えることも可能だ」
「ハハ……力づくで……。たまにトンプソンさんは、ゾーン団的な発想をするから、頼りになります! うん、行きましょうか。シルバーウィークに東海岸へ!」
レベッカもそれに同意して答えた。
「主任! 私にはニューヨークに、頼りになる幼馴染がいます。しばらくの間、その人の家で潜伏するのも良いかもしれません」
「よし、まずはシルバーウィークまでは、ここの工場も増産ラッシュだ。今日もあと二万個、リチウム電池を作らなくちゃいけないぞ。顕微鏡での検査中に眠るなよ、レベッカ」
レベッカは恥ずかしそうに「はい……」と答え、検査室へと戻っていった。
◆
それから数日後。
今度はニューヨークにも核が落とされ、あの街は消滅した。その二週間後には、アメリカ大統領が突然の辞任を発表する。世界は、ナショナル・モールでの出来事を一斉に報じた。
それを見たトンプソンは、社員食堂で思わず割り箸をポトリと落とし、唖然として固まってしまった。
心配したデビットが、新しい割り箸を手渡しながら尋ねる。
「トンプソンさん! どうしたんですか? あのワシントン記念塔の男が、『偽装』か『模倣』スキルの人物なんですか?」
「いや……違う……あれこそが、ゾーン。我々のボスだ……」
レベッカとデビットが、もう一度、テレビの中のゾーンという男の姿を、食い入るように見つめた。
「あの人が……」
レベッカも唖然として、割り箸をポトリと落としていた。
三人は、しばらくの間、言葉もなく、ただ画面の中の男を見つめ続けていた。栃木県下野市の、この慎ましくも穏やかな日々が、静かに軋み始めていることを、三人はまだ、はっきりとは自覚していなかった。
(第189話へ続く)




