【第156話 搾りたて】
最北端で貝の養殖が始まる頃、ランドによるトロッコの試運転もまた始まっていた。
領民の子供たちがトロッコに乗り込んで何往復も楽しんでくれるので、試運転はもっぱら子供たちが進んでやってくれている。そんな子供たちに混ざり、フェアリー達も一緒になってトロッコで何往復も遊び回っていた。
一方、田んぼの方も四反にまで拡張が進み、次々とひとめぼれの苗が植えられていく。まだまだ貧しいカグヤ領ではあったが、領民たちの表情には、確かな希望が満ちていた。
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そんな折、日本の七飯町で酪農を営む小澤が研修を歓迎してくれるという話を、来翔がカグヤへ伝えた。
「日本で酪農の研修を受けてくれる領民はいませんか?」
これには、領民の中の女性陣が数名、迷わず名乗りを上げた。
だが、来翔が何より驚いたのは――カグヤ自身も研修に加わると言い出したことだった。カグヤはしばらく日本で暮らしていた経験があり、日本語も話せることから、自ら通訳を買って出てくれたのだ。
「なるほど。姫様がいらっしゃれば、通訳を頼まなくても済むということですね? 一応、僕の江差の家には通訳のできるエルフや、翻訳スキルを持つ勇者の奥さんもいるんですけどね」
「通訳なら私にお任せくださいまし。少々、言葉遣いは古臭いかと思いますが、すぐに今の日本語も覚えられるでしょう。それに、今の日本には私も大変興味があるのです」
カグヤが向かうとなれば、領地に数少ない男衆の中から護衛が付き添うことになった。睦月と如月という、いかにも強そうな武者姿の二人が護衛を買って出てくれたことで、来翔もひとまず安心していた。
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定期便のエアウルフが到着すると、カグヤと睦月、如月、そして他三人の女衆を乗せ、七飯町の牧場を目指して飛び立った。エアウルフのマッハ三という速度には、さすがの武者である睦月と如月も、機内でしばらく震え上がっていた。
エアウルフが七飯町に到着すると、小澤が笑顔で一行を出迎えてくれた。
「アンタらが研修に来た人たちだね! 今日から数週間、よろしく頼むな!」
代表してカグヤが礼を述べる。
「この度は、我々を暖かく出迎えていただき、ありがとうございます。私はカグヤ、後ろに控えるは睦月、如月。その後方の女衆が、弥生、卯月、皐月にございます」
小澤はまず、彼らが寝泊まりする単身用のアパートへと案内した。
「このアパートを好きに使ってくれや。鍵はカグヤさんに預けとく。家具家電も全部あるが……と言っても、家電の使い方も湯沸かし器の使い方も知らねぇか!」
そう言いながら、小澤は一つ一つ丁寧に説明してくれた。
一同が何よりも驚いたのは、蛇口から延々と流れ出す水だった。
「姫、これは妖術でしょうか?」
睦月が不信感を隠せない顔でカグヤへ尋ねると、それを聞いていた小澤が説明を挟んだ。
「それは水道っていうものだ。確か、来翔さんからも言われてたけど、アンタらは魔素水を飲んでるんだろ? ちょっと味見してみてくれ。こっちの水は消毒してっから、口に合わないかもしれないぞ? ウチには農地用の井戸もあるから、口に合わなきゃ井戸水を使ってくれや」
カグヤたちが恐る恐る水道水を口にしてみると、意外にも全員が問題なく飲むことが出来た。
「我々はこれで大丈夫ですわ」
小澤は、来翔から水の違いについて事前に聞かされていたが、来翔の家に居候している異世界人たちも水道水を平気で飲んでいると聞いていたので、カグヤたちも大丈夫だろうと、心のどこかで確信していたのだった。
「今日は仕事はしなくてもいいから、部屋の使い方に慣れておいてくれや。今夜は母屋でアンタらの歓迎会だわ! アンタら、焼肉は食えるか?」
「はい! 頂きます!」
カグヤが笑顔で即答した。
◆
夜になると、小澤の自宅ガレージでBBQが催された。
初めて口にする日本の缶ビールに、一同はしばし困惑してしまう。
「これは、麦から作ったお酒なのですか?」
「そうそう、麦だ! 苦いかい?」
「はい。とても苦いですわ」
「でも、慣れると癖になる。頑張って慣れてくれや! この苦味と、ウチの牛肉がビタッと合うんだわ!」
そう言って、小澤は次々と牛肉を焼いていく。
カグヤたちが恐る恐る口に運ぶと――これまで魔物肉しか食べたことのない彼女たちは、腰が抜けるほどの美味さに驚愕してしまった。
「なんですか!? このお肉は!」
「これがアンタらがこれから育てるホルスタインよ! 食って良し、絞って良しの家畜用の牛だわ! 家畜用だから、人の手が無いとすぐに死ぬ。毎日毎日欠かさず世話をしないと、本当に生きられないのさ! どうだい? アンタらに、ホルスタインを毎日面倒見るという覚悟はあるかい?」
カグヤとメンバーたちは顔を見合わせたが、たった今味わったホルスタイン肉の美味さの前には、迷いなど無かった。
「はい! 必ず育てて見せますわ!」
護衛の睦月と如月も、肉とライスを豪快に頬張っていた。
「姫! 私も国に帰ったら、小澤氏のような酪農家になりますぞ!」
「我らが必ず、ホルスタインを増産して見せようぞ!」
研修初日は、まだ何の苦労も知らないまま、一同は意気揚々とそう宣言してしまった。
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そして、翌朝の夜明け前。
容赦なく小澤が彼らのアパートまでやって来て、ハイエースのクラクションを派手に鳴らし、全員を叩き起こした。
「アンタら異世界人には時計なんてものは無いんだろうけど、日本では一分の遅刻も許されねぇぞ! ほら、早く支度しろ!」
カグヤたちは眠い目を擦りながら作業服に着替え、ハイエースに乗せられて厩舎へと運ばれていった。
小澤は、冷酷なまでに淡々と初日の仕事を告げた。
「まずは厩舎の掃除だ! 床に散らばってるもの、全部掻き出せ!」
全員で厩舎の中を懸命に掃除していく。家畜特有の強烈な臭いに一瞬たじろぐ者もいたが、昨夜の肉の美味さを知ってしまった以上、もはや後戻りは出来なかった。誰一人、弱音を吐かずに掃除をやり遂げた。
「次は餌! 餌箱にじゃんじゃん餌を入れてけ!」
言われた通りに餌を入れていく。よく見ると、ホルスタインはとても人懐っこい顔でこちらを見つめてくる。女衆たちは、この牛を食すことに、少しばかりの抵抗を覚え始めていた。
餌やりを終えると、今度は乳しぼりだった。小澤の牧場では機械による全自動搾乳が主流だが、異世界にはそんな機械は存在しない。小澤は一頭の牛を使って、手絞りのやり方を丁寧に教え始めた。
「手絞りは最初から出来ねぇとは思うけど、見て覚えろや! ホルスタインってのは、毎日この乳しぼりをしないとすぐに死ぬ。これだけは本当に毎日やれ!」
小澤は慣れた手つきで、あっという間に絞ってみせたが、カグヤをはじめ他のメンバーも、初日から上手くいくはずもなかった。乳しぼりを終えると牛たちを放牧し、朝の仕事はようやく一段落した。
小澤から搾りたての牛乳をもらって飲むと――昨夜の焼肉の感動が吹き飛ぶほど、その牛乳は美味かった。搾りたての一杯を飲み干した一同は、ますます酪農とホルスタインという生き物に夢中になっていった。
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朝の仕事を終えた小澤は、別の厩舎も案内してくれた。そこには真っ黒な牛が、放牧されることなく飼われていた。
「コイツらは和牛だ。放牧はしない。その方が肉が柔らかくなるからだ。アンタらもいつかホルスタインを極めたら、和牛に手を出しても良いと思う。ホルスタインはメスでも十万で買えるけど、こっちの和牛は四百万もする。当然、肉にしても高値がつく。手間が同じなら、高値で売れる方が良いのはわかるよな?」
一同は、まるで別世界の生き物を見るように黒毛和牛の厩舎を見つめ、カグヤがぽつりと呟いた。
「上には上がいるのですね……。ここへ来て、本当に良かったですわ……」
その言葉に、男衆も女衆も、揃って黙って頷いていた。
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昼間はさほどすることも無かったので、小澤は全員を連れて函館市内の牛丼チェーン店へとやって来た。
「今日はここで昼飯だわ!」
小澤が代表して注文すると、あっという間に全員分の牛丼が並んだ。促されるまま口にしてみると、昨夜の焼肉とはまるで別物の牛肉に、一同はまたしても衝撃を受けてしまう。
「これも、牛肉なのですか?」
「そうだ。牛肉は日本では高価な肉だけど、外国ではそこまで高くないから、こんな庶民でも味わえる料理にも化ける。この牛丼というのはこの国で最も手頃な食べ物の一つなんだ。牛肉は焼くだけじゃなく、煮ても美味いだろ?」
一同は、夢中で牛丼をかき込んでいた。その様子を眺めながら、小澤も同じように牛丼をかき込んでいた。
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「何も出来ない」と嘆いていたはずのカグヤ姫は、こうして小澤のもとで研修を受け、日に日に酪農の知識と技術を身につけていった。
やがて彼女たちには『乳しぼり』というスキルが派生し、異世界人特有のスキルという現象に、小澤も興味深そうに観察を続けていた。
「アンタらに『乳しぼり』スキルが派生した今は――ホルスタインを安心して渡すことが出来るな」
懸命に手絞りを続けるカグヤの姿を見つめながら、小澤は、静かにそう呟いていた。
(第157話へ続く)




