【第146話 帰ろう!】
お盆休みも佳境となり、デビッカソン一味はかもめ島で最後の夜を過ごしていた。
「トンプソンさん、明日には苫小牧に向かいますけど、本当にこのまま帰ってもよろしいのですか? ゲートは目の前にあるのに……」
最終確認をするようなデビットの問いかけ。だが、トンプソンの統御スキルは、その言葉の裏に微かなバグ――嘘の匂いを見抜いていた。
「デビット。貴様はもしや……」
デビットは見抜かれたことを察し、気まずそうに視線を逸らした。
二人の空気の変化には気づいたものの、何が起きたのかまでは理解できず、レベッカが不思議そうに尋ねる。
「デビット? どうしたんですか?」
デビットは、トンプソンに睨まれながらも、正直に打ち明けた。
「私が異世界に行きたくて……トンプソンさんをけしかけたのを、見抜かれたのさ」
自分が異世界へ行きたいがために、それとなくトンプソンを焚きつけようとしていたことを、統御スキルにあっさりと看破されていたのだ。
「なるほど。さすが社長!」
トンプソンの前では、下心すら隠せないのだと知り、レベッカは感心した。だが同時に、デビットの気持ちも痛いほどわかってしまう。レベッカもまた、奥尻島の方角を見つめながら口を開いた。
「社長! 実は私も、ゲートに行ってみたいという気持ちはあります。明日は奥尻島まで、行ってみませんか?」
トンプソンは、二人が強く異世界へ行きたがっているのだと悟り、渋々といった様子で頷いた。
「わかった。私もコナ国は見てみたいと言ってしまったからな。行くか、異世界へ!」
デビットとレベッカは、旅のしおりに『奥尻島 鍋釣岩へ』と書き加えた。
◆
翌朝の早朝。奥尻島行きのフェリーに乗り、因縁の島へとやって来た。
鍋釣岩を前に、レベッカが呟く。
「あれがゲート……本当に、リングの中に別世界が見える……」
「アチラからも、奥尻島の景色が見えるのだ」
トンプソンがそう答える傍らで、デビットは待ちきれない様子で、鍋釣岩までの渡し船の船頭に料金を支払っていた。
「さあ、トンプソンさん! 行きましょう!」
賞金首の身であるトンプソンは、大きめのマスクとサングラスをつけ、まるで休暇中の芸能人のような格好で渡し船に乗り込んだ。
鍋釣岩の前に立つと、リングの向こうに美しい草原が、手の届く距離に見えた。
「凄い……これが異世界なんですね、社長……」
「こんな所で立ち止まるな。行くぞ」
トンプソンは迷いなくゲートを通過した。それに続くようにデビットも通過する。
鍋釣岩の向こうには、確かにトンプソンとデビットの姿がある。デビットが何かレベッカを呼んでいるようだが、アチラの音声はコチラには一切届かない。すぐ目の前に二人の姿があるのに、声だけが聞こえないという不思議な感覚に、レベッカは一瞬、通過を躊躇った。それでも好奇心が勝り、リングの中へと飛び込んだ。
通過した瞬間、それまでの潮の香りがふっと消え、草原の爽やかな風と、青々とした草の香りに包まれた。
「社長! 草原です! これは草原です!」
デビットとトンプソンが思わず笑ってしまう。
「おいおい、レベッカ。草原くらい、地球にもあるじゃないか!」
そんな異世界初心者丸出しの三人のリアクションを見て、乗り合い馬車の御者が“カモだ”と判断し、高めの料金を吹っかけてきた。
「お客さん! ウチは最南端の街まで五万Qだよ! Qへの両替も、手数料三十パーセントでやってるよ!」
「それなら、ウチは四万八千Qでいいよ!」
「ウチは四万五千Qだ!」
唯一の異世界人であるトンプソンには、それが旧コナ国の街までの相場より遥かに高いことがわかっていた。統御スキルも明確にバグと反応している。ボッタクリ御者たちの声を完全にスルーしていると、みすぼらしいボロボロの衣服を纏った老人が、巨大なザリガニを一匹引き連れて歩いてきた。
トンプソンは迷わず、その老人に声をかけた。
「爺さん、コナ国まではいくらだ。乗るのはこの二人だけだ」
みすぼらしいザリガニ屋の老人に声をかけたトンプソンを見て、レベッカもデビットも唖然としてしまう。
「ワシはザリガニ屋だよ? それでも良いなら一人二千Qだよ」
「それでいい。二人を乗せてくれ」
トンプソンは、五千円札をそのまま手渡した。
「爺さん、日本円でも構わないよな?」
「はいよ。コナ国周辺には日本大使館があるからね。普通に円は使えるんだよ」
トンプソンは、先程まで両替三十パーセントと言っていた御者を一瞥してから、レベッカとデビットに告げた。
「ここは俺の地元だ。つまり、犯罪者しかいない。気を抜くなよ」
トンプソンがいなければ、二人は間違いなくあのボッタクリの馬車に乗り、しかも両替までしてくれる“親切な御者”だと喜んでいたかもしれない。ゾーン団のお膝元という土地を、決して甘く見てはいけないのだと、二人は身をもって思い知らされた。
「社長? このザリガニに乗っても大丈夫なのですか?」
「当たり前だ。こちらの世界では、蜘蛛が最も格の高い公共交通機関とされていてな。ザリガニは主に湿地帯で飼われている交通機関だ。蜘蛛もザリガニも、地球人のお前らから見れば大差ないだろう? せっかく異世界に来たのなら、アチラでも乗れる馬などではなく、ザリガニで良いだろう」
ザリガニ屋の老人は、丁寧にザリガニの背を拭ってから、二人をその背に乗せた。自らも背に跨り、手網を操ると、ザリガニはゆっくりと歩き出した。トンプソンは、その隣を並んで歩いていく。
「社長は乗らないのですか?」
「俺は良い。先程から久しぶりに異世界の空気を吸って、身体の調子がかなり良くなっているのだ。コチラの空気には魔素が含まれていてな。久しぶりに天然の魔素を吸って、全細胞が目覚めていく感覚なのだ」
◆
やがてザリガニは、ゾーン団がかつて治めていたという旧コナ国へと辿り着いた。
ザリガニを降りると、三人はトンプソンの案内で地元民御用達の食堂へ入り、本日のランチを注文した。
出てきたのは、日本でもよく見かけるような普通のサンドイッチだった。それを見てトンプソンが目を見開く。
「こんなものが出せるようになったのか……」
「社長? これはただのサンドイッチですよ?」
「元のコナ国には、食パンなどを作れるパン職人がいなかったのだ。いや、コナ国だけではない。この世界には、そもそも食パンというもの自体が存在しなかった。パンといえば、アチラの世界で言うナンのような簡素なものしか無かったのだ」
三人が地球でも馴染みのあるサンドイッチを味わっていると、デビットがふと気づいた。
「トンプソンさん! あのウォーターサーバー、異世界人用と書かれてますね?」
「あぁ、言い忘れていたが、お前らはこちらでは異世界人用の水しか飲んではいけない。この世界の水には魔素が含まれていてな。お前ら異世界人が飲むと、中毒死する。あとは魔物の肉もダメだ」
「ああ、なるほど! そういえば、コチラで地球の大使館を建設する時に一番苦労したのが水だったって、ニュースで聞いたことがありました!」
レベッカが、大使館建造ラッシュの頃の報道を思い出しながら答える。
トンプソンはそんな話をよそに、久しぶりに魔素を含んだ水を一気に飲み干していた。
「やはり、コチラの水の方が俺には合っているな」
◆
次に三人は、かつての闘技場を見に行った。
「ここがかつての闘技場だ。今は監獄になっているがな」
ローマのコロシアムを思わせる壮大な建造物を見上げ、感心したデビットが呟いた。
「コナ国には、こんな闘技場を建造する技術があったんですね?」
「フフフ、デビットよ。お前はまだゾーンの事を甘く見ているな。俺たち無法者に、このような設計ができるはずがないだろう。カリーナたちがどれほど頑張っても、こんな美しい建築物は作れん」
「それでは、どうやってこの闘技場を?」
「簡単なことだ。ドワーフを攫った」
デビットとレベッカは、妙に納得してしまった。
「設計はドワーフにやらせて、石の切り出しは魔道士が行い、石の搬送は戦士がやるのだ。俺たちはドワーフを攫い、ドワーフにこき使われるという捩れた構図の中で、この闘技場を作り上げた。法と秩序が無くても、案外、俺たちも上手くやっていたという――ある意味では象徴的な建造物なのだ」
◆
そして、トンプソンは闘技場の近くにあったBARへ、二人を案内した。
「ここは俺たちの行きつけのBARだ」
カウンターにいたバーテンダーが、サングラスとマスク姿の大男に目を留めた。
「アンタは……トンプソンか?」
サングラスを外しながら、トンプソンも懐かしそうに答える。
「久しぶりだな、オヤッサン」
バーテンダーはすぐに、店奥の個室へと三人を招き入れた。個室に入ると、トンプソンはしみじみと呟いた。
「この部屋、まだ残してたんだな」
「まあな。いつかゾーンの奴らが戻ってくるんじゃないかと思って、残してたのさ」
バーテンダーは気を利かせたのか、そのまま部屋を出ていった。個室には三人だけが残された。
「社長? ここはいわゆるVIPルームみたいなものですか?」
「まあ、そんなものだと思って間違いはない」
そう言いながらトンプソンは、壁にかかった一枚の絵画を外した。その奥には隠し扉があり、開けるとさらにもう一部屋、隠された空間が現れた。
「コチラが、本物のVIPルームだな」
◆
部屋の中には、様々な魔導具が所狭しと並んでいた。
「社長! こ、これ全部魔導具なのですか!?」
レベッカが宝石箱のような小箱を開けると、中にはリジェネリングが無数に収められていた。
「こ、これ全部が、リジェネリングなのですか?」
「あぁ、そうだ。我々ゾーンの民は、この世界でも最も古い歴史を持つ。だからこそ、他国よりも多くの魔導具を蓄えているのだ」
デビットとレベッカが室内を見渡すと、勇者ワタルが持つものと似た魔法剣まで、数本並べられていた。
「魔法剣まである……」
その中から、トンプソンは指輪を三つ取り出すと、デビットとレベッカにもそれぞれ手渡した。
「これさえあれば完璧だ」
二人は貰った指輪を嵌めてみたが、特に何が起こるわけでもなく、ごく普通の指輪にしか見えなかった。少しだけ拍子抜けしたものの、三人お揃いの指輪を身につけていること自体が、今の三人にとっては十分に意義深く、良い旅の記念になると思い、あえて何も言わずにおいた。
トンプソンも、指輪について特に説明はしなかった。
「社長? 持ち出すのはこの指輪だけで良いのですか? 魔法剣とか、よろしいので?」
「レベッカよ。今の我々はSONYの派遣社員だ。魔法剣を、一体何処で使うのだ?」
レベッカとデビットは顔を見合わせて笑った。トンプソンも、つられて笑ってしまった。
「さて、今のコナ国も見られたことだし、俺にはもう何の憂いも無くなった。さて――帰るか。栃木県下野市へ」
◆
三人はバーテンダーに別れを告げ、ゲートへ向けてコナ国をあとにした。
帰りはザリガニ屋を利用せず、トンプソンが二人に飛行魔法をかけ、一気にゲートまで飛んで帰ることにした。
初めての飛行魔法に、レベッカもデビットも恐ろしくて、高さわずか一メートルの低空飛行しかできなかった。それでも二人にとっては、空を飛ぶという感覚を味わえただけで、異世界へ来た甲斐があったというものだ。低空飛行をしながらも、二人の顔はずっとニタニタと緩みっぱなしだった。
そうして三人は、何事もなくゲート前に帰り着いた。
「社長、本当にここから奥尻島が見えますね!」
草原の中に鍋釣岩があり、そのリングの向こうには、奥尻の青い海が広がっている。
「あぁ、そうだな……」
トンプソンは、初めて異世界へ旅立った日のことを、静かに思い出していた。
たった六人で、このゲートを通過した日のことを。
(あの時の六人で……生き残ったのは、俺だけになったな)
センチメンタルになりかけたトンプソンを励ますように、デビットが明るく声を張った。
「さあ、トンプソンさん! 来週からはまた生産生産の日々ですよ! 本当にこのまま日本へ帰っても良いんですね!」
「フッ、当たり前だ。今の日本のリチウム電池は、我々がいなくては成り立たん! 行くぞ!」
三人は、奥尻島へと帰ってきた。
◆
江差港に帰り着く頃には、ちょうど雨が降り出していた。
「社長、すいません。かなり窮屈になりますが、幌を閉じますね」
「レベッカよ! 幌は閉じるな。そのままで良い。騙されたと思って、オープンカーのままで走ってみろ!」
レベッカは半信半疑のまま、雨の中を幌なしで走らせた。
だが――一向に雨が当たらない。それどころか、ワイパーすら必要ないほど、フロントガラスにも雨粒一つ落ちてこないのだ。
思い当たるとすれば、先程トンプソンから貰った指輪しかない。レベッカとデビットは、雨の中、自分の指輪をまじまじと見つめた。
「社長、まさか……この指輪が?」
「よく気づいたな、レベッカよ。そうだ。この指輪こそが、リフレクションリング。雨風を防ぐだけでなく、寒さや暑さからも守ってくれる代物だ。このCITYにはエアコンが無かっただろう? これさえあれば、最北端でも最南端でも快適に走れるぞ。ただし、風まで防いでしまうから、オープンカーの意味も無くなってしまうがな。まあ、それは天気の良い日には指輪を外せば済むことだ」
レベッカとデビットの顔に、途端に笑顔が咲いた。大雨の中、三人を乗せたオープンカーは、栃木県下野市へ向けて、軽やかに走り出した。
彼らの長い長い日本のお盆休みも、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。
(第147話へ続く)




