【第144話 抜くなら意味無し】
羆との激闘の翌朝。
レベッカはテントの前で、ちいさなコッヘルにお湯を沸かしていた。
そこへ、寝起きのデビットがモゾモゾと這い出てくる。
「おはよう、レベッカ。私にもコーヒーを貰えるかい?」
「はい、どうぞ」
レベッカは既に三人分のお湯を沸かしていたので、ニッコリと笑ってインスタントコーヒーへお湯を注いだ。
「社長はまだ寝てるんですか?」
「いや、今、起きたよ」
◆
「それにしても、この礼文華キャンプ場が――日本一の秘境駅と呼ばれる小幌駅のある町で良かったですよ。昨日の羆騒動、ネット上で話題にもなってませんね!」
「そりゃそうだよ。こんなキャンプ場だとスマホが圏外な人が多いからね。昨夜の騒動をSNSに投稿することも出来やしない。ZON時代に我々が出資した米AST SpaceMobile社の衛星を使えれば、こんな秘境駅でも高速通信が可能なんだけどね……日本ではまだサービスを開始してないし」
そんな会話を聞きながら、トンプソンもテントから出てきた。
「デビット、それは少し違うぞ。日本人はあえて圏外に来ているのだ。いわゆる、デジタルデトックスというやつだな。俺もゾーン時代はネットもスマホも無かった。こういったスマホの使えぬ場所に来るだけで、心が落ち着くものだ。デビットもレベッカも、少しネットから離れてみろ。たまには異世界の気分を味わってみるのも悪くないぞ」
デビットとレベッカは、感心したようにスマホの電源を切った。
「さすが社長! 私もデビットも、少しネットの世界に浸かりきっていたのかもしれませんね! 今日はアナログ時代のように、道路標識だけで江差を目指してみましょうか? ナビに従ってばかりでは、自らの意思が無いのと同じことですもんね」
こうして、三人はナビ無しで礼文華をあとにした。
◆
国道五号線を南下していくと、八雲町あたりで道が函館方面と熊石方面とに分かれた。
「社長。熊石方面が確か江差ですが、どちらに進みますか?」
悩むトンプソンに、デビットが力強く進言した。
「トンプソンさん、ここはやはり遠回りしてでも、函館方面へ向かうべきです!」
「なぜだ、デビット」
「函館には、ハセストという新たなコンビニがあるからです! このコンビニには、やきとり弁当という謎の弁当が売られていると、レベッカが作ってくれた旅のしおりに書いてあります!」
デビットは旅のしおりをトンプソンへ差し出した。
「なんだ!? このやきとり弁当というものは!」
旅のしおりを作った張本人であるレベッカが、申し訳なさそうに答える。
「すいません、私にもわからないのです。焼き鳥という食べ物は、既にアメリカの和食料理店にもあるので知っているのですが……やきとり弁当というのは、しおりを作った私でも最後までわかりませんでした。ハセストというコンビニも、道南だけのローカルコンビニらしく、ホームページも子供が作ったような簡易的なものしかありません。それこそデジタルデトックスにはピッタリなコンビニです。今どき、スマホ用のアプリすらありませんから。セイコーマートでさえアプリがあるのに……」
その話を聞いた瞬間、トンプソンの統御スキルが反応した。
「ハセスト……行かねばなるまい! レベッカよ、進め! 函館方面へ!」
「はい!」
レベッカは熊石方面を捨て、CITYカブリオレを函館方面へと進めた。
◆
やがて、函館市に隣接している七飯町の長いトンネルを抜けると、念願のハセストが見えてきた。
「ありましたよ、社長! あれがハセストです!」
「ほう。普通のコンビニに見えるな」
三人は念願のハセストへと足を踏み入れた。すると、レジカウンターの中で店員が、レジを操作しながら串を回し、同時に焼き鳥を焼いていた。
「ば、馬鹿な! 片手でレジを打ちながら、片手で焼き鳥を焼いているだと!?」
驚くトンプソンに、レベッカも興奮気味に同意する。
「す、凄い! まるで社長のように、戦士と魔道士の二刀流……このハセストの店員は、社長と同じハイブリッド戦士なのでしょうか!?」
恐る恐る、デビットが声を上げた。
「焼き鳥、三つ」
だが店員は、串を裏返しながら無愛想に答えた。
「口頭のオーダーは受けないよ。そこの紙に書いてくれ」
デビットがカウンター横を見ると、束になったメモ紙が積まれている。他の客たちは皆、そのメモ紙にボールペンで『焼き鳥弁当(大)と焼き鳥弁当(小)』などと書き込み、書き終えるとそれを黙って店員に手渡していた。
そんなアナログなオーダーシステムを見たことがないレベッカとデビットは、思わず笑いそうになってしまったが、地元客たちは何の迷いもなく、次々とメモ紙にオーダーを書き記していく。函館では、これが当たり前の光景らしい。
「トンプソンさん! これがデジタルデトックスってやつですね?」
デビットが今朝の会話を思い出しながら語りかけると、トンプソンは統御スキルを駆使して答えた。
「いや、デビット。これはデジタルデトックスではないぞ。ただの――田舎者の集まる場所なのだ。タブレット式のオーダーシステムや食券機を置いても、田舎者にはうまく扱えん。だからこそ、こんな田舎町にはセルフ式のガソリンスタンドすら定着しないと聞いているぞ? “セルフ”と看板に書いてあるのに、毎度毎度、律儀に店員を呼んでしまうそうだ。呼ばれた店員も懲りずに毎度毎度、接客をしてしまうから、いつまで経ってもセルフが根付かないのだ。このハセストも、タブレットや食券機を導入した瞬間に、客足は遠のくのだろう――と、俺の統御スキルが告げている!」
函館市といえば、世間では国際観光都市として名が通っている。だが実際のところは、ごくありふれた地方都市と変わらない。全国的に見ても「暮らしたい街」の上位に名を連ねる一方で、県外へ引っ越す者は極端に少ない。そのせいで、生粋の地元っ子だけが色濃く残り続けているのだ。
つまり――道南の人々は、望んでデジタルデトックスをしに礼文華キャンプ場へ来ていたわけではなかった。圏外であることが、彼らにとっては最初から当たり前。SNSに何かを投稿するという発想自体、そもそも頭の片隅にも無い。下手をすれば、アカウントすら持っていない者も少なくないのだ。
この函館の地に来て、トンプソンは初めて、自らの統御スキルの答えが外れることを知った。
「すまん、レベッカ。デビット。どうやら礼文華キャンプ場の連中は、デジタルデトックスをしていたわけではなかったようだ。道南というところは……未だに、ただの田舎だっただけらしい」
デビットとレベッカは、少し気まずそうにスマホの電源を入れ直した。
◆
気を取り直したデビットが、メモ紙にサラサラと『焼き鳥弁当 三つ』と書いて店員に差し出す。すると、メモ紙をチラリと一瞥した店員が、少しムッとした調子で聞き返してきた。
「大中小のどれ?」
焦ったデビットは、
「……小で」
とだけ、小声で答えるのが精一杯だった。
◆
それから数十分後。念願のやきとり弁当(小)が完成し、三人はCITYカブリオレに乗り込んで、さっそく頬張ろうとした。
「社長! 周りを見てください!」
レベッカに言われて周囲を見渡すと、駐車場に停まった車の中で弁当を食べている客たちが、皆、判で押したようにやきとり弁当の串を一本一本抜いてから食べていたのだ。
それを見たトンプソンの統御スキルが、再び反応した。
「串を抜くならば……もはや、“やきとり弁当”ではないのではないか? レベッカよ! これはどういうことだー!?」
レベッカはとても気まずそうな顔をしながら、旅のしおりの『やきとり弁当』の項目をボールペンでぐちゃぐちゃに塗りつぶすと、自分の弁当の串も、周りの客に倣ってスルスルと引き抜いていった。
三人は周りの客と同じように串を抜いてから食べ始めると――意外にもそれが実に美味くて、三人ともいつしか、無言のまま黙々と食べ進めていたのだった。
(第145話へ続く)




