【第132話 勇者】
「勇者様! 本当に魔法剣無しで大丈夫なんですか?」
天野は、リアシートでフリーズしている勇者に尋ねた。ようやくワタルも状況を飲み込んだので、何とか呟くことが出来た。
「あぁ……、とりあえず、近くで見たいかな?」
天野は戦車部隊を追い越して、アワビの前に出た。
「たぶん、こちら側が頭です! 進行方向が頭だと仮定した場合ですが……」
巨大アワビは、およそ時速五キロという遅さで、ノソノソと少しずつ進んでいた。ワタルは車から降りて、アワビの貝殻をコンコンと叩いてみた。
「こ、これは……かつてのカメ男よりも遥かに硬いな……。天野君! 残念ながらカメ男の甲羅でも、俺の魔法剣も詩音さんの貫通弓もダメージを与えられなかったんだよ。このアワビはカメよりも硬い。どちらにせよ、魔法剣は使えないよ」
ワタルが全面降伏したようなセリフを吐いたため、天野は青ざめてしまった。
「そ、そんな〜。コイツは戦車部隊の砲撃にも耐えるんですよ! もう我々もお手上げなんです!」
ワタルは、少し呆れ顔で答える。
「天野君。基地に五メートルサイズのブルーシートがあるよね? それと、パワーショベルを持って来るようにイズミさんに伝えてくれるかな」
勇者からの命令は絶対なので、天野は素直に基地に連絡を入れた。そして、三十分後にブルーシートとパワーショベルが現場に到着した。
◆
すると、ワタルはアワビの進行方向に、自衛隊員達にブルーシートを敷かせた。アワビはブルーシートなどお構い無しに、その上をノソノソと歩き続けている。そして、アワビの足がブルーシート全体に入ったところで、ワタルがパワーショベルに乗っていた隊員に叫んだ。
「今です! コイツをひっくり返して!」
パワーショベルのアームがアワビの足をブルーシートごと持ち上げて、ゴロン! とアワビをひっくり返した。戦車部隊の隊員達が、唖然とその光景を見つめていた。
裏返しになったアワビは、仰向けになるとウネウネと元に戻りたそうに頑張ってはいるのだが、アワビは自力では起き上がれない生き物なので、巨大化したからと言っても自力では起き上がれなかった。
そして、ワタルはすぐに電話をかけ始めた。
「もしもし、マーガレット。ガレージの魔法剣を持ってきてくれる?」
愛妻に魔法剣を頼むと、天野には別の頼み事をする。
「天野君は、この貝殻が満たされる分の焼酎と酒、醤油、味醂、砂糖と塩。あとは鶏肉、白菜、人参、キノコ類、あとは油揚げもあると嬉しいかな? あ、それから昆布もね!」
天野は勇者の命令は絶対マンなので、すぐに地元のスーパーであるショッピング小林へと車を走らせた。
◆
やがて、マーガレットがママチャリに乗ってバスターソードを背中に背負ってやって来た。チャイルドシートには、ヒクイドリのファルコも乗っている。
「ワタル〜! 持ってきたわよ〜。凄く重いの〜!」
マーガレットはヨタヨタしながらも懸命にママチャリを漕いで、現場に到着した。そして、巨大なアワビを見て驚いている。
「ワタル? これってアワビなの?」
「うん。アワビ…だよな?」
「へぇ〜、生きたアワビって初めて見るのだけれど、こんなに大きな貝だったのね〜」
ワタルは苦笑いしながら答える。
「うん……そうだね。上ノ国ではよくある事だ……気にしちゃダメだ……」
すると、天野も帰ってきたので、ワタルがアワビの上に乗り、魔法剣でアワビを細かく切り刻んでいく。アワビは仰向けのまま絶命した。
ワタルは細かく切り刻んだあとは、天野や他の隊員に指示を出す。
「皆さんは、この貝のなかにビッグマン焼酎を並々に入れて、アワビを洗ってください!」
隊員達が貝の中へ、ビッグマン焼酎四リットルのボトルをトプトプと注いでいく。ワタルは並々と注がれた貝のなかで、アワビの身を魔法剣でかき混ぜながら洗っていく。ちょうどアワビの貝には、焼酎が流れ落ちるための穴が空いている。呼水口と呼ばれる穴からは、程よく焼酎が流れ落ちていった。
そして、ワタルが次の指示を与える。
「今、焼酎が流れた穴に昆布を詰め込んで水が漏れないようにしてください! そして、穴を埋めたら余った昆布を貝の中へ入れて、水、醤油、酒、味醂、砂糖と塩で味を整えて下さい! 買ってきた食材も一緒に入れて、貝の下から焚き火をして加熱しましょう! 今日はこのままここでアワビ鍋をします! 上ノ国町民にも町民放送で呼んで下さい! 皆で食ってしまいましょう!」
ようやく自衛隊員達も、ワタルの粋な計らいの真意を理解して、何故か万歳三唱が起こってしまった。
自衛隊員達は基地から野外炊具1号というご飯を炊ける災害用のトラックを出してくれて、鍋が出来るまでにご飯も炊いてくれている。
町民放送で上ノ国町民が集まる頃、基地からはイズミも駆けつけて、町民が巨大アワビに恐れることなく鍋の完成を楽しみにしている様子を見て、勇者に尋ねた。
「勇者様、町民が皆さん喜んでる…。本当にこれが上ノ国ではよくある事なのですね?」
もちろん、こんな事は普段は絶対に起こらないのだが、上ノ国町民は勇者が倒したのだとわかっているので、巨大アワビは怖いものではなく、美味そうなただの豪快な鍋料理としか見えていない。恐れる者は誰もいなかった。
ワタルも先に「よくある事」と言ってしまった以上、後戻り出来なかったので、
「まあ、よくある事ですよ……上ノ国なんでね……」
とだけ、恥ずかしそうに答えていた。
そして、巨大アワビ鍋はグツグツと美味そうな音とともに、磯の香りが辺り一面に広がっていて、誰もが腹を空かせて完成を心待ちにしていた。
特に天野は、魔法剣無しでも勇者が強いところを目の当たりにしてしまったので、ますます勇者の事を尊敬してしまっていた。
秋の心地よい風が、巨大アワビ鍋の香りを上ノ国町全体に漂わせる、素敵な海のめぐみとなっていた。
(第133話へ続く)
(あとがき)
北海道の「大いなる男」、ビッグマン(Big Man)とは?
みなさん、第132話でワタルたちが巨大アワビを豪快に洗うために使った**「ビッグマン」**をご存知でしょうか?
これは、北海道の酒飲みなら誰もが一度はお世話になり、誰もがその圧倒的な存在感にひれ伏す、合同酒精(旭川工場)が誇る**「甲類焼酎の王者」**です。
その特徴をいくつかご紹介しましょう。
* **サイズがとにかく「ビッグ」**
北海道のスーパーやコンビニのお酒コーナーで、ひときわ異彩を放つ**「4リットル」の超巨大ペットボトル**。取っ手がついており、もはや見た目はお酒というより「お徳用の液体洗剤」か「車のウォッシャー液」です。持ち上げるだけでちょっとした筋トレになります。
* **北海道の「インフラ」である**
キャンプ(道民風に言うと『焼肉』)の買い出しの際、ビールと一緒に「とりあえずビッグマン1本」とカゴに放り込まれる定番中の定番。これさえあれば、お茶割り、炭酸割り、ジュース割りなど、無限のバリエーションで全員をベロベロにできる魔法の聖水です。
* **空き容器は第二の人生へ**
中身を飲み干した後の4リットルペットボトルは、道民の手によって「湯たんぽ」「漬物石」「川釣り用の重り」「じょうろ」、あるいは「小銭貯金箱」へと華麗に転生を遂げます。上ノ国では、一家に1つはビッグマンの空き容器があるとかないとか。




