【第104話 海底大脱出】
あと三十八分で沈没と聞いて、トンプソンはマーガレットの監禁部屋に飛び込んだ。
「来い! 急げ! 切り札のお前を、ここで殺すことは出来ん!」
マーガレットは、このまま死んだ方がワタルに迷惑をかけずに済むと考え、動こうとしなかった。
「貴様が来ないのなら、俺はレベッカも助けないぞ!」
トンプソンは、マーガレットが隷属の魔道具をレベッカの方に付けていた時も、レベッカを殺してでも逃げようとしなかった事を、十分に理解していた。
それを言われると、マーガレットも動くしか選択肢は無かった。
「わかりました……。私が行けば、レベッカを助けて貰えるの?」
「わからん! ここは水深三百メートルだ! 生きて帰れる保証は無い! それでも、何とかしてみせる。着いてこい!」
トンプソンは次に、レベッカがいるはずの自室へ向かった。まさかトンプソンが自分のために戻ってくるとは思っていなかったレベッカは、思わず涙が溢れてきた。
「しゃ、社長……」
「レベッカ! 急げ! 減圧ルームまでついてこい!」
◆
三人が減圧室に着くと、他の乗組員のゾーン団五人が、慌てながら大気圧潜水服を着て酸素ボンベを背負っていた。
「トンプソンさん! 貴方も急いで! 我々はもう準備は整いました!」
トンプソンから潜水服を渡されたレベッカが、マーガレットに着方を教えながら、二人とも脱出の準備を整えていく。
「マーガレットはスキューバの経験は?」
レベッカが焦りながら尋ねた。
「ありません……凄く怖いです!」
マーガレットはガタガタと震えだしていた。
ふと見ると、トンプソンだけが潜水服を着ていない。
「社長! 潜水服!! 早くしてください!」
トンプソンは最後の一本のタバコに火をつけ、妙に落ち着いていた。
「俺はいらん。お前とマーガレットを担がなければならないからな。潜水服を着ると、二人を担ぐことが出来ん」
トンプソンが潜水服を着ていない事を、他のゾーン団のメンバーも不思議がる様子は無かった。レベッカ以外の団員は、トンプソン用の潜水服すら用意していなかったのだ。
そんな中、トンプソンが説明を始めた。
「船内に海水が充満するまで、外へは気圧差で出られん。密閉空間で水が充満すると、恐怖で過呼吸になることがある。レベッカとマーガレットは、水位が腰あたりになったら、水面に出るまで目を潰れ! パニックになった時点で死ぬぞ!」
生々しい説明が、二人の恐怖心をより一層煽っていた。
「レベッカ。お寿司の約束!」
「うん、わかってる!」
二人は潜水服を着ているので、抱き合うことも出来なかった。ちょうどその時、減圧室の床に海水が侵入してきた。
ゾーン団の一人が、潜水艦のハッチに手をかける。そんな中、さらに恐ろしい事をトンプソンが言ってきた。
「水面に出られても、ここは太平洋だ。もう陸地は見えないところまで進んでいるはずだ! 浮上中も地獄だが、浮上したあとも地獄になる。二人とも、それ相応の覚悟はしておけ!」
ゾーン団のメンバー五人は水中スクーターをそれぞれ持っていたが、トンプソンだけは潜水服も酸素ボンベも水中スクーターも、何も持っていなかった。そんなトンプソンを見て、レベッカもマーガレットも、さらに怖くなっていた。
◆
やがて、海水が二人の腰まで侵入してきた。二人は目を閉じた。
あっという間に顔まで海水が侵入してくるのが、目を閉じていてもハッキリとわかった。
(海水が冷たい……)
初めての酸素ボンベからの呼吸に戸惑いながら、マーガレットは海水の冷たさに、さらなる恐怖を感じていた。
(ここからは、会話も出来ない……)
すると、トンプソンが両肩に、レベッカとマーガレットを担ぎ上げた。二人はトンプソンの肩の上でくの字になり、大人しく目を閉じて酸素ボンベからの呼吸を繰り返す。
やがて、ハッチを開ける音が聞こえ、いよいよ潜水艦から全員が飛び出した。水中スクーターを持つ五人は、スクーター任せに浮上していく。トンプソンは無呼吸のまま、二人を担いで潜水艦を思い切り蹴り、五人を置き去りにして一気に浮上していく。トンプソンの周囲には、魔法防壁が展開されて水圧から守られていた。
魔法防壁というものが身近にあったマーガレットには、目を閉じていてもトンプソンが防壁を展開していることが感覚でわかった。だが、生まれて初めて魔法防壁に守られたレベッカは、目を閉じながらも何の水圧も感じないことに、少しだけパニックになっていた。
(何も感じない……これって、本当に大丈夫なの……?)
やがて、水面が見えるところまで浮上すると、トンプソンのMPがついに切れ、魔法防壁が砕け散った。それでも、すでに水面まであと五メートルだったので、そのままバタ足で浮上し、ようやく水面から顔を出した。
「おい、もう目を開けろ! クソッ! 陸地はどっちだ?」
レベッカとマーガレットを肩から下ろしながら、トンプソンが荒く息をついた。
「社長、潜水病は大丈夫なんですか?」
「当たり前だ。俺は魔法も使えるハイブリッドだ。簡単な防壁くらいなら展開できる。ただ、もうMPはカラだ。これは不味いぞ。飛ぶことも出来んから、陸地がわからん!」
海のど真ん中で、しばらく漂っていると、ようやく他の五人のゾーン団員が水面に浮上してきた。
「トンプソンさん! ご無事でしたか!」
「当たり前だ。おい、ケラー、コンパスを持ってるな! 陸地はどっちだ!」
唯一の女性団員であるケラーが、コンパスで方角を調べる。
「あちらが東です。とりあえず東へ進みましょう!」
全員がケラーのあとについて泳ぎ出した。ただ、MPを使い切ったトンプソンだけが、息切れを起こしていた。
「社長! 大丈夫ですか? 私に捕まってください!」
団員から水中スクーターを借りていたレベッカが、トンプソンの手を引いて走り出す。
「ハァハァ……すまんな、レベッカ……ハァハァ……」
「社長! MPが尽きると、異世界人はどうなるんですか? 私に出来ることはありませんか?」
トンプソンは大丈夫だとジェスチャーをしたが、水中スクーターにしがみついているマーガレットが、代わりに答えた。
「私たち異世界人は、MPが尽きると強制的に眠ってしまうの。だから、トンプソンはかなり危ない。……こんな所で強制的に眠ったら……」
マーガレットは、最後まで言うことを躊躇った。
それを聞いたレベッカが、泣きそうになった。
◆
すると、彼らの上空から、鳥の鳴き声が聞こえてきた。
「ピヨピヨ!」
「ピヨピヨピヨ!」
全員が空を見上げると、黄色いセキセイインコが、彼らの周りに輪を描いて飛んでいた。
「レフト!」
マーガレットが思わず叫んだ。
「ピヨピヨ!」
インコはそのままどこかへ飛び去ってしまったが、マーガレットの顔にだけは、安堵の色が浮かんでいた。
やがて、一隻の船が――船首に「オルカ号」と書かれた釣り船が、ポンポンとエンジン音を唸らせて現れた。
「ピヨピヨ!」
「ピヨピヨ!」
黄色いセキセイインコが、ドヤ顔で彼らの上を円を描いて飛んでいた。
マーガレットは、囁くように呟いた。
「ありがとう。レフト」
(第105話へ続く)




