第75話 丸い輪っかの証(オクト)
今日は休日。
俺が朝のジョギングから帰ってくると、チルは寝転がって雑誌を見ていた。
シャワーを浴びて、タオルでわしゃわしゃしながら出て来ても、チルの姿勢はさっきのままだった。
「チル」
「はい?」
「なんだ、起きてるのか。ずっと同じ姿勢で寝転がっているから、寝てるのかと……」
「部長、見てください。これウェディング専門誌なんです。見て、この写真素敵でしょ~」
「白いドレスなら、このあいだ試着しただろ」
「そこ! そこですよ。あれは試着ですよね。ということは、……本番があるんですよね」
「……ま、そうなるな」
「わたし、この写真みたいに、青い海が見える白い教会で、結婚式を挙げたーい!!」
チルは完全に夢見る乙女だった。
「無いな」
「え? よく聞こえなかった……」
「無い。俺たちは悪魔だ。教会は無い。教会なんて入ったら、魔力が焼かれる。場合によっては命を落とすこともある」
「ひぇ~、そんな……、恐ろしい。教会ってそんなに恐ろしい所なんですか? でも、この雑誌のカップルは幸せそうですよ」
「こいつらは人間だからな。俺たちは悪魔だ。神に愛を誓うなんて魔王への冒涜だぞ」
「ごめんなさい。わたし知りませんでした」
チルは、がっくりと肩を落とした。
人間界の結婚式に感化されているようだ。
「部長、じゃあ、白いウェディングドレスはどこで着るんですか?」
「正式には黒を着る。黒いウェディングドレスで、魔界の宮殿に魔法陣を描き、大魔王を召喚して儀式を行う」
「そ……そうなんだぁ。なんか、思ってたのと違―う……じゃあ、なんで白いウェディングドレスの試着に付き合ってくれたんですか」
「あれは、魔界TVの企画だ」
「そんな……、ショックです。夢も希望も壊れました」
「まぁ、儀式は任意だ。しなくてもよい」
ますます、チルの顔色はさえない。
「ひとつ聞いていいですか、部長」
「何だ」
「魔界にも海ってありますか? 教会がダメならせめて海で……」
「海はある」
「やった! ほんとに?!」
「ああ、血の海があるぞ」
「……聞かなきゃよかったです」
チルはソファーにうつ伏せになってしまった。
鼻をすする音が聞こえる。
泣いているのか。
想えば……
仕事上のミスから突然、同居が始まり、
俺の勝手なプレゼンで新たな契約を、つまり、婚姻届けを出したのだ。
チルが夢見るようなことは、何一つしてないのではないか。
俺は、テーブルでノートパソコンを開いた。
人間界での結婚とは、どのような段階を踏むのが一般的なのか……。
検索することにした。
そして、俺は重大なミスに気が付いてしまった。
人間は、プレゼンではなくてプロポーズをするのだと。
その際に、婚約指輪を贈るだと?
オーマイデーモン!
やってしまった。
俺は婚約指輪をすっ飛ばして、婚姻届けを提出してしまった。
チルは専門雑誌を読んでいる。
当然、婚約指輪の存在を知っているだろう。
これは、どこかで名誉挽回しないとまずい。
「なぁ……チル、気落ちするな」
「してませーん」
「俺たち、試用期間ではあるが夫婦だ。その……夫婦の形って証が欲しくないか?」
「なんですか? それ」
「その証を一緒に買いに行こう」
「だから、それって、どんな証でどういう物なんですか?」
「……」
おっと、チルは指輪を知らないのか?
それとも、わざと俺を試しているのか?
ふーん、それなら、こっちも抽象的に言おう。
「丸い輪っかのやつだ。仲良くなった印によく使う」
どうだ、クイズ形式だ。
ちょっと、ヒントが甘かったかなぁ……。
チルは顔を上げて手を叩いた。
パチン!
「わかった!」
「わかったか」
「うん、首輪!」
なぜだ!
俺は頭を抱えた。
「お前、そういう性癖あったのか?」
「セイへキ?」
「わからんのなら……もういい。次のヒントだ。軽く手のひらにのる、指で触って、日常的に使える物だ」
チルは悩んだ。
「うーん、手のひら? 指? 日常的な輪っか……わかりましたよ、部長」
「わかったか。正解は……」
「輪ゴムですね。よく田舎のおばあちゃんが手首に巻いてます!」
「お前……。夫婦の形が、輪ゴムでいいのか?!」
「いろんな色ありますよね。赤、黄色、緑、アハハ、信号みたい。わたし赤がいいなぁ」
俺はどっと疲れが出た。
「お前、赤で一生そこに止まってろ」
「ん? やだー。部長の後を一生ついていきます!」
「丸くて穴が開いている。お前は絶対見たことがある」
「竹輪?」
「違う。そうじゃない!」
「怒らないでーー。うぇーん」
「だーかーらー! はい、時間切れ! 指を出せ、指を! サイズを測る!」
「サイズ? え、まさか……」
俺は、チルの手をギュッと握った。
「ぶちょ……。待って、やだやだ」
俺は、すぐに手を離した。
「わかった……」
嫌がられるくらいなら、急ぐ必要はない。
別に、無理に嫌われることはない……。
俺は何事もなかったかのように、リビングから出て行こうとした。
すると、俺の袖をチルが引っ張った。
「待って」
「?」
「ゆ、指輪ですよね。……欲しいけど、部長に指のサイズ測られるのは緊張しちゃって、汗かいちゃうし、恥ずかしいし、不快に思われたくな……」
俺は、チルの顔を見た。
不安そうで、
でも逃げていない。
だから――
俺は、チルを引き寄せてその口を……俺の口で塞いだ。
「ばーか」
チルは驚いた小動物のように固まっている。
俺は、もう一度チルの手を握った。
「そんなの、……かわいいとしか思わねーよ」
「手、熱い……」
「お前だろ、熱いのは。俺は冷血だ」
「あ……もう、部長のいじわる!」
「はいはい、ごめんごめん。結婚指輪で許せ」
こいつ、やっぱり、ちょー可愛いんだが……。
「言っとくが、教会は無いぞ。だが――誓う場所は選べるから」
チルはこくんとうなずいた。




