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あくまでも部長です ― 悪魔契約コーポレーション営業部 ―  作者: 白神ブナ


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第74話 振り向けない花婿(オクト)

 俺たちはウェディングドレス専門店に来ている。

試着中のチルは、フィッティング・ルームのカーテンの向こう側だ。


店内には、さまざまデザインのウェディングドレスが飾ってある。

こういう環境は苦手だ。

フィッティング・ルームの前で待っているのも、気恥ずかしい。

俺は、フィッティング・ルームに背を向けて立っていた。


「そういえば……部長」


試着室のカーテンの向こうから、チルの声が聞こえた。


「正式に婚姻したら、わたしの名前ってどうなるんですか?」


「苗字のことか」


俺は視線をそらしたまま答えた。


「試用期間中は保留だ。正式受理後に変更される」


「ふぅーん、じゃあ……そのあとって?」


「俺の苗字が付く」


「そうなんだ……」


一瞬、チルの息が止まったのがわかった。


「あのぅー、夫婦って苗字で呼び合うことはないですよね」


「それはそうだ。苗字同じだからな」


「……えっと、正式に夫婦になったら、部長を何て呼べばいいのかなーと思って」


「何か問題でも?」


「夫婦で“部長”って呼び方、おかしくないですか?」


沈黙。


「……確かに」


「ですよね!? 結婚してるのに“部長”って変ですよね」


「なら、変えるか」


「え、どう呼べばいいんですか?」


俺は少し考えてから、……言った。


「役職名は昇進すれば呼び方も変わる。本部長、専務、副社長……」


「ストップ! そういうことじゃないです!!」


「……では、名前で呼ぶか?」


「無理です」


即答だった。


「なぜだ」


「だって部長、婚姻届けを見てわかったんですけど、名前……読めないじゃないですか」


俺はわずかに目を細めた。


「ふむ、俺の正式名は古代語だ」


「……あれ全部ヘブライ文字ですよね?」


「そうだ」


「呪文かと思いましたよ」


「近いな」


「呼んだら何か召喚されそうで怖いです!」


「正確には契約が発動する」


「余計ダメじゃないですか!!」


「……じゃあ、今まで通りでいい」


俺はぽつりと言った。


「部長でいい」


「え?」


「その呼び方が、一番お前らしい」


チルの声は、少しだけ笑った。


「……じゃあ、昇進しても一生変えませんからね」


「それは困るな」


俺はかなり照れていたと思う。

そんなタイミングで、お店の人が教えてくれた。


「オクトさま、そろそろ、花嫁さまの着替えが終わります」


「はい? 花嫁……」


急にそわそわしてきた。

背後のカーテンがそっと開いた音がした。

チルのウェディングドレス姿なんて、見ていいのか?

見たら、目が潰れるなんてことないだろな。


「あの……」


チルの小さな声が聞こえた。

さっきまで、名前の呼び方で普通に喋っていたくせに、急にか細い声だ。

俺は振り向かない。

いや――振り向けない。

背中を向けたまま、俺はチルに聞いた。


「どうだ?」


「どう……って」


チルは、カーテンの内側で立ち尽くしていた。


「似合ってるかどうか……部長が、見てくれないとわからないです」


「そうだな」


それでも、振り向く勇気が出ない。


挿絵(By みてみん)


しばらく、沈黙。


店内のBGMはモーツァルトのピアノソナタだった。

俺の指は曲に合わせてピクッと動いた。


カーテンが、またほんの少し開いた。

チルの気配を感じる。


俺は斜め後ろに視線だけ動かした。


(カーテン開いたな)


気づいている……だが……、動けない。


「……部長?」


「なんだ」


「見ないんですか?」


「見ていいのか」


カーテンの隙間から、白いドレスの裾が見えた。

ほんの少しだけ。

それだけで、息が止まりそうになる。


チルは、慌ててカーテンの後ろに隠れてしまった。


「やっぱ……まだ、ダメ!」


「そ、そうか……」(俺も良かった)


また沈黙してしまった。

チルも、外に出られない。



――その頃。

壁の向こうには、婚姻試用期間で、審査員が待機していた。


「……おい」


小声でゼットセダイ。


「何で見ねーんだよ、あいつ」


「理性でしょうね」


ノリマキが静かに言った。


「クラシックタイプは慎重だから」


「いや、今は違うだろ!」


タルト・アシスタントディレクターが、小声でツッコんだ。


「ここ、“撮れ高”だよ!? でもちょっと、部長が振り向かないところ、尺長すぎだねー」


「君たち、静かに!」


と、本部長があんパンをかじりながら注意した。


「ここ、いいシーンだから」



――試着室の前。


チルは、ついに一歩踏み出し、カーテンが、もう少し開いた。


「……部長」


俺は、ゆっくりと深呼吸した。


そして――


「振り向くぞ」


覚悟したように、チルも呼吸が止まったのが分かった。


「……はい」


俺は、ゆっくりと振り向く。


挿絵(By みてみん)


その瞬間……



「はよ振り向かんかい!!」


壁の向こうから絶叫が聞こえた。

あの声は、ゼットセダイだな。


「ゼットセダイさん、台無しだよー!!」


おい、タルト。

お前もか……。

あいつらに先にチルを見られるのは悔しい。

だったら、俺が見る。

俺は、ついに振り向いた。


その瞬間、あまりの美しさに俺はフリーズした。


目の前にいる純白の花嫁姿のチル。

チルがそこにいるだけで、人間界は天国に。

俺は、その眩しさにやられた。


「……綺麗だ。天使か……いや、女神か」



「部長! しっかりしてください。大変です、部長が初期化しちゃいました。本部長!」


「むふっ、いいね。将来像適応力……◎にしちゃう」


ノリマキは、


「反応が昭和っぽいです。△」


ゼットセダイがカードを上げた。


「フン、おまけしてやるよ……〇」


タルトが叫んだ。


「ハイ、撮れ高、オッケーでーす!! チルちゃんのウェディングドレス姿は神回決定っすね!」


審査員とタルトの浮かれ具合が、俺は面白くない。


「……綺麗だ。だが……、なぜチルのこの姿を、他のやつが見る必要が?」


俺は、バックヤードを睨みつけた。

本部長がにこやかに空気を変えようとした。


「ごめん。別の話しようか、オクトくん」


「チルは俺の花嫁だ。ドレス姿が可愛いことは俺だけが知っていればいいので、

絶対に、誰 に も 見 せ な い!」


本部長は、穏やかに言った。


「はい、カット!」


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