第70話 デビルズフードケーキ
ある日、終礼で、俺は部下たちに言った。
「……というわけで、今日も業務終了だ。お疲れ様でしたー。
最後に全社員に社長からの通達がある。
明日はバレンタインデーだ。例年通り、わが社はバレンタイン禁止だ。人間界のバカげた行事に乗らないこと! ルール違反者は見つけ次第、溶けたチョコレートの池に浸けられる。チョコフォンデュになりたくなければ、社内バレンタイン禁止令を厳守すること! 以上だ」
「「「お疲れさまでしたー!」」」
営業部の社員たちはぞろぞろと帰り始めた。
タルトがチルの隣で口説いている。
「チルちゃーん、チョコ買いに行くの? ねぇ、僕の分もある?」
「えーー?! 社内はバレンタイン禁止ですよー」
「あれはね、義理チョコは禁止って意味だから。本命は禁止してないんだよ」
「え、本当ですか?」
俺はタルトを睨んだ。
「タールートー、本命なら、なおさら禁止だ。特にお前の場合はな」
「なんで僕だけ特に禁止なんですか。あれーーー? おかしいなぁ。本部長は、チルちゃんに何かレシピみたいなのを、渡してましたよー。本部長はきっと……」
「しっ! タルト先輩、ダメ!」
本部長が、チルにレシピを……? もしかしたら、チョコの……。
ダメだ、口元が緩む。
せっかく気にしてないという顔をして、今日一日、仕事して来たのに……。
定時になると、わくわくしてしまう。
そんな自分が許せない。
チルはコートを着てカバンを持った。
「では、お先に失礼しまーす」
「えっ、……今日もう帰るのか……?」
「はい、部長! ほらっ、家で作りたい物があるから……」
「あー……」
「社内禁止だから、家で渡すのはいいんでしょ?」
チルの言葉は、俺の平常心を崩すには十分だった。
タルトが俺の耳元でささやいた。
「部長、伝わってますよ。そわそわオーラ」
「なに?」
俺は、タルトの指摘通り、がっつり期待していた。
それだけに、部下にバレたことが恥ずかしい。
「さ、寒いから、……マフラー、しっかり巻いて帰れ」
必死に誤魔化した。
(そうか、やっぱり手作りなんだ。やった!)
「部長、マフラー巻きすぎて、埋もれてます。苦しい……」
気が付くと、チルの頭はマフラーの中に埋もれていた。
「お、おかしいな。チル、お前小さくなった?」
チルは笑いながら退社して行った。
俺は、チルからいい報告が来るのを期待してしまった。
残業を終えて、家の玄関を開けると、甘い香りがしてきた。
俺は小さくガッツポーズをした。
走ってキッチンに向かいたい衝動を抑える。
普段通りに、冷静さを保つ。
「ただいまー」
「おかえりなさーい。お先に、シャワーどうぞ~」
「お、おう……」
俺は毎日のローテーションを崩さない。
チルはそれをよく知っている。
キッチンの様子が気になったが、我慢してバスルームへ直行した。
シャワーをあびて、タオルでわしゃわしゃしながら出てくると、チルが神妙な面持ちで立っていた。
しかも、なぜか背筋を伸ばして立っている。
「どうした、チル」
「報告がありますっ!」
「何を……」
「デビルズフードケーキ。本部長からいただいたミッションであります!」
「デビルズフードケーキ? 本部長からのミッション……(チルが緊張している……?!新しい組織か?)……どこの魔界派閥だっ! 俺が魔界に送り返してやる」
「派閥争いじゃないです。本部長によりますと、ブラックチョコレートをたくさん使ったケーキ、『悪魔のように濃厚で罪深い味わい』だそうです」
「何……、で? そのミッションは……」
「ミッション失敗です! 申し訳ございません!」
チルが差し出した皿には、真っ黒なコールタールのような潰れたオブジェがあった。
俺は思わず口を押えた。
「う……っ」
「た、食べなくていいです。自分で食べますから」
「あぁ……、これは無理だな」
「え! やっぱり?!」
「なんだこれは……」
「……ですよね!」
チルは、うつむいて涙をこぼした。
そんな俺の婚約者に、俺は笑ってみせた。
「もったいなくて、食えるか」
「ぶ、部長、それ、褒めてるの? けなしてるの?」
「……これは、俺のだ。オブジェとして飾っておく」
「ダメ! わたし、毒味しますから……。
あ、でも、部長はきっと他の人からももらうだろうし……、いいです。これはその辺に捨て置いて」
「ばか、お前からもらうからいいんだ。このチョコ以外はいらない」
「ううううう、恥ずかしいですぅ……」
このあと、二人で一緒に食べた。
チル、ミッション達成だぞ。




