第58話 報酬
きっと屋上にいる。
わたしの同行営業の初日を思い出した。
タルト先輩と帰ってくると、オクト部長は屋上で腕組みをして待っていた。
それからもうひとつ。
以前、家にコンプライアンス部が来た夜も、部長が屋上に行く姿をわたしは見た。
オクト部長は、メンタルがザワザワするとき、整理するために屋上に行くことが多い。
屋上の扉を開けた。
いた。
オクト部長は、真っ赤な夕焼けをじっと見ていた。
「やっぱり、ここにいた」
わたしの声に驚いて、オクト部長は振り向いた。
「何でわかった」
「本部長に教えていただきました。
それに、わたしの初同行営業の日も、コンプライアンス部が来た夜も、
心を整えるとき、よく屋上に登るんですね」
「ああ。魔界は鬱陶しいからな。ここなら空が見える。今、夕日が最高に美しい」
「……きれいですねー」
わたしとオクト部長は、一緒に夕日を眺めていた。
オレンジ色の空。
ここだけ時間の流れが違う。
「お前、強くなったな」
「え?」
「契約は既に履行されても、終わりにしないって。
自分の道を選んだろ。あんな顔して、自己主張するんだな。
俺はお前を見くびっていた。弱くて何もできないと思っていた。
だから、守らなければと思い、お前が俺から離れる権利を奪ったんだ」
「それは、もういいですよ」
「浅はかだった。お前はこの短い期間で成長した。
俺は助けているつもりで、実はお前に助けられていたのかもしれない」
オクト部長は、一呼吸した。
「友達からでもいい……と言いたいところだが、俺は欲が出て来た。今朝、タルトを叱ったのは……」
視線を落とした。
「妬いたんだ」
「焼いた? 何を?」
「……やきもちだ」
「あの……人間がお正月に食べるアレですか?」
「違う」
「えーーーっと、わからないです」
「わからないなら、もういい!」
「いいえ、わからないことは教えてください」
「バカッ……」
「バカだから、教えてくださいってば」
「もう……話題を変えよう。……面談で、本部長と何を話した?」
「はい、自分で選びたいものは見つかったかと、聞かれました」
オクト部長は、クスっと思い出し笑いした。
「ああ、入社面接のとき、何もないって言ってたな」
「そうそう! それで、オクト部長に怒られました。絶対、落ちたと思いました」
あれは悪夢じゃなかった。
忘れていた記憶だった。
「で? 見つかったのか?」
「はい」
「ほう、俺が選択権を削ったのに、何を見つけたって?」
「削られても関係ないです。わたし、もう決めてるので。
……それに、部長は未来というポテンシャルは、残してくれましたし」
「……」
オクト部長は、あきらかに動揺し始めた。
「部長は、社会のいろんなルールを教えてくれたし、人間界の楽しさも教えてくれました。
部長がいたから、楽しいこといっぱいあって……。今だって、こうして綺麗な夕日を見られるのだって、部長が側にいるからです」
「チル……」
「決めました」
「?」
「だから、これからも部長の隣にいます。部長が頑張りすぎてバグるとき、弱音を吐きたいとき……」
「バカな! 俺が弱音など……!」
「弱音は吐いていいんです。わたしが聞きますから」
「おい、よーく考えろ。俺は、お前が離れる選択を消した男だぞ。それでもいいのか」
「違います。“それでもいい”じゃなくて、わたしが選びました。つまり……」
わたしは、なんだか急に照れくさくなって、もじもじした。
「例えるなら……、わたしは部長にとってのモフモフ癒し動画です!!」
「ここで、それ、言う? 今すっごくロマンチックな場面だよな?……俺の好きな動画……、何故知っているんだ」
「猫の癒し動画を8分見る。それって、休日のルーティンですよね。それがわたしじゃダメですか?」
オクト部長は、動揺を隠せない。
心なしか顔が赤く見えるのは、夕日のせいかな。
「バ、バーカ! お前が癒しになったら……、8分じゃ終わらねーだろ!」
そして、わたしを引き寄せて抱きしめた。
「なんで……、なんで、お前はいつも……、俺の望んでいることがわかるんだ。……お前を失うのが怖かった」
「え……?」
オクト部長の匂いが、すぐここにあった。
「そりゃ同居してますから」
オクト部長は、わたしの頭をなでなでした。
「弱くねー。全然、弱くねーよ、お前」
オクト部長の腕の中で、わたしはドキドキしていた。
「新人研修の最終試験は、合格だな。で? 希望の報酬は何だ?」
わたしは、驚いてオクト部長の胸から離れた。
「ぶぶぶぶちょぉぉ! さっき、本部長に最終試験は無しでと、取り消しちゃいましたぁ!」
「な、なにぃ?! バカだなぁ、お前はすごいことを成し遂げたんだぞ。当然、報酬があってしかるべきだ。よし、俺が再交渉してやろう」
「やめてください。一回取り下げたのに、やっぱりもらいますなんて言えません」
オクト部長の目がメガネの奥で光った。
「ほう……、それじゃ……。確か、お前……俺のこと、割と好き……だったよな?」
「え、今、それを思い出します? ロジックツリーに書いたやつ!」
オクト部長の唇が、わたしの頬に近づいてきた。
……え?
距離が、近い。
ほっぺにチュ。
はぁーーー?!
「スキあり! とりあえず、これは報酬の練習な。どうだ、悪くなかったろ?」
ドヤ顔の部長に「うん、悪くなかった」なんて言えない。
わたしは、照れながら背中を向けた。
「チル?……怒ったか?」
「わ、わかりました。れ、れ、練習ですね?」
「?」
オクト部長がわたしを心配して顔をのぞきこんだ瞬間―――
わたしは、思い切って部長の唇めがけてキスをした。
「?! そこって練習じゃない……」
「え? 違った?」
「……報酬の練習のしかた! 違う! むしろ、俺にご褒美だな」
わたしの顔は、オクト部長の大きな両手にバシっと包まれた。
「お前なぁ……俺が選んだリップ。似合いすぎだろ」
わたしの顔は、かぁーっと熱くなった。
オクト部長の顔が赤いのも、きっと夕日のせい……。
「あ、夕日が沈んじゃいますよ、部長?」
とたんに、オクト部長は企業戦士に戻った。
腕時計で時間を確認すると、叫んだ。
「おっと、終礼の時間だ! 急ぐぞ、チル! 付いて来い!」
「はい!」
わたしは、大好きなオクト部長の背中を追いかけた。
顔は、まだ熱いままだった。
たぶん、明日も……付いて行く。




