第51話 B9フロア(オクト)
――その頃……
俺は、ふと手を止めた。
「……遅いな」
タルトの隣の席が、空席のままだ。
「おい、タルト、チルは戻ったか?」
「まだなんですよ。迷子になっちゃったんじゃないっすかー」
「地図は持たせた」
「部長が描いた地図、……見ましたけど、抽象画のようでしたよ」
「何を言う。……悪魔たるもの、勘で魔界を歩けなくてどうする。あれぐらいでじゅうぶんだ」
「……でも、帰ってきませんねぇ」
「……」
タルトの言うことも一理ある。
俺の芸術的な地図で、迷子になったか?
もう、12時だ。
あいつなら、「お腹すいたあぁ」と言って戻って来てもいい頃だ。
「部長、僕が探しにいきましょうか?」
「いや、いい。お前がチルを見つけたら、どこか遊びに連れ出すだろ」
「いやーん、そんな、僕って信用ない?」
「まあな」
おれは、OJTへ内線電話をかけた。
内線の通信音が鳴って、OJTが出た。
―「はい、OJTです」
「営業部のオクトだが」
―「お疲れ様です」
「うちの部下が、今日、面談でそちらに行ったと思うんですが……、まだ終わりませんか?」
―「営業部……、ああ、チルさんですね。まだ来てませんよ。こちらから、オクトさんに電話しようとしてたところです」
……来ていない?
……あり得ない。
「なっ……。すみません。ちょっと探しに行きます」
―「え? 営業部は出たんですか? まさかの迷子ちゃん……?」
「話は、あとで……」
電話を切ると、俺は急いでオフィスを出た。
「部長、どちらに……」
「すぐ戻る」
俺はロビーまで走った。
そして、エレベーターに乗り地下6階のボタンを押した。
チン!
途中、地下1階でエレベーターが止まった。
急いでいるのに……。
本部長が乗って来た。
「おや、オクトくん。どちらへ?」
「本部長、OJTに行った新入社員が戻って来なくて探しに……。すみません」
「誰が?」
「チルです。……見かけませんでしたか?」
「君……妙なこと言うね。ちゃんと見ていたの? 君の部下でしょ?」
「……そうですね」
チン!
地下6階でエレベーターの扉が開いた。
「では、探しに……」
「あ! そういえば! OJTの魔女とチルさん、このエレベーターに乗ってたよ。たぶん……」
おかしい。
さっき、OJTでは、チルが来ていないと言っていた。
本当に、本部長は……チルを見かけたのか?
それとも、見たのは事実だが、偽物を見たか……。
「本部長……、わたしはここで降りない方がいいみたいですね」
「そうそう、たぶんね。ほら、ここを見て。B9ボタンを誰か押した跡がある」
B9ボタン。
普段は、現れないボタンだ。
資格があるものが乗らないと現れない。
本部長は、ブルーのペンライトを胸ポケットから出し、エレベーターのボタンを照らした。
すると、新しく付いたと思われる悪魔特有の指紋が浮かび上がった。
「しょうがないねぇ。君の部下を、ちゃんと見てあげてね。……最後まで」
そう言って、本部長はB9ボタンを押した。
「……すみません、お手数かけます」
「うん、用事が済んだら、甘いもの奢ってね」
「お安い御用です」
魔界B9フロア。
冷たい……いや、“温度がない”廊下だった。
この先に、いくつかの部屋がある。
ここを探す。
「本部長、ここって……」
「そうだねぇ、たぶん、この辺かな? あ、オクト君、この部屋。先に入って待っててくれる?」
「本部長は?」
「僕、やっぱりお腹すいちゃったから、パンの自動販売機、探してくる」
「えええーーー!? B9フロアにもパンの自動販売機、あるんですかぁー? ってか、チルを探すのを優先してください」
「うん、だから……、この部屋から、よく見えるよ」
「え、よく見える? ここって……」
「取調室だよ」
「!」
俺は、部屋の中に入った。
入って左側の壁が、マジックミラーになっていて、隣の部屋の様子が見える。
そこにいたのは――
“迷子になっているはずのチル”だった。
OJT魔女が座っている、その対面側。
チルは取り調べを受けていた。
ついに、ミスって本契約したことが問題になったか?
「オクト君、僕、ちょっと買いに行ってくるけど、何か欲しいものある?」
「音声……」
「ん? なに?」
「ここの音声、聞こえませんけど?」
「あ、ああ、ごめん、ごめん。はい、ここスイッチね、ポチっとな」
本部長は、ドアを閉め出て行った。
OJT魔女の声が入って来た。
「チルさん……“選ぶ”準備はできてる?」
いきなり、衝撃的な発言だ。
契約内容に触れている。
これは、対価の話だ。
無理だ。
……あいつには、まだ理解できていない。
記憶もないはずだ。
そんなことを聞いても、首をかしげるか泣き出すだけ。
だが、チルの口が動いた。
何かを言っている。
小声でよく聞こえない……。
「チルさん、……はっきりと、大きな声で言いましょうか?」
チルは、顔をあげた。
一瞬だけ、迷ったように見えた。
そして、
「はいっ!!!」
キーーーーーン!
部屋のスピーカーが音割れを起こした。
俺の耳も壊れるかと思った。
あのバカ……。
大きいにもほどがある。




