第42話 隣に立ちたい
応接室のドアの前で、わたしは深呼吸した。
「……よし」
ノックしようとした手が、少し震えている。
そのとき、後ろから声がした。
「チル」
「は、はい!」
振り向くと、オクト部長が立っていた。
「緊張しているな」
「してません!」
「している顔だ」
即、バレた。
くっ……。
「最初は俺が同席する。だが、主導はお前だ」
「……はい」
「いいか。今回の案件は、魂を対価とする契約ではない」
「ファンクラブのグッズとサービス……でしたよね」
「ああ。つまり、“価値”を提示して対価を得る」
部長は、わたしをまっすぐ見た。
「お前の仕事は、“なぜそれが価値になるのか”を説明することだ」
――ロジックツリーだ。
頭の中で、枝が広がる。
「……やってみろ」
その一言で、背筋が伸びた。
コン、コン、コン
「失礼します」
ドアを開けると、アカネマネージャーがソファに座っていた。
「アカネさま、お待たせしました」
「まあ、今日はあなたなのね」
にこやかな笑顔。
でも、その目は冷たい。
「オクトさんは?」
「こんにちは、同席させていただきます」
部長は、わたしの一歩後ろに立った。
「本日のご提案は、チルという社員が担当します」
「……へぇ」
完全に“試されている”。
わたしは席に着いて、資料を開いた。
手が、震える。
でも……
「では、本題に入ります」
……あれ?
最初、何から話すんだっけ。
(落ち着け……分解しろ)
「今回のグッズ展開ですが、“ファンの満足度の最大化”を軸に設計しています」
「抽象的だわ」
アカネさんが即、切ってきた。
「具体的には?」
きた。
「はい」
深呼吸。
……分解する。
「ファンの“好き”を分解すると、大きく三つに分けられます」
ペンを取って、紙に簡単な図を描いた。
「一つ目、“所有欲”。二つ目、“共感”。三つ目、“参加感”です」
アカネさんの視線が、少し変わった。
「……続けて」
「今回のグッズは、“所有欲”だけでなく、“参加感”を強化する設計にしています」
「どういうこと?」
「例えば……」
わたしは、提案資料をめくった。
「購入者限定のデジタルコンテンツ連動、
ライブ演出との連携、
ファン同士の共有体験の設計」
言葉が、つながる。
頭の中の枝が、一本の線になっていく。
「つまり、“持っている”から“参加している”へ価値を変えます。
あったら嬉しいライブグッズは、もちろんのこと。チケットを入手できなかったファンにも参加している感を!」
「……これって、市場調査は?」
「いただいたファンクラブの名簿データを利用しました。
ヨシファーのファン層は広いです。古参のファンから新規のファンまで年齢層は様々、女性も男性も。つまり、ターゲットは絞りにくい。ですから、グッズの価格も500円のガチャから2万円のパーカーまで考えています。これで漏れなくファンを引き込みます」
アカネさんが、黙った。
「……なるほどね」
腕を組んで、こちらを見る。
「悪くないわ」
!
「でも……」
来た。
「それ、本当に機能するの?」
「はい」
即答した。
自分でも驚いた。
「なぜ?」
「ファンの行動データから、既に“参加型コンテンツ”に反応が高い傾向が出ています」
「具体的には?」
「SNSでの拡散率、滞在時間、リピート率です。
それらは、“共有したくなる体験”と強く相関しています」
オクト部長が一言。
「……続けろ」
わたしは、まっすぐアカネさんを見た。
「今回の企画は、そこを最大化する設計です」
沈黙。
たった数秒が、長く感じた。
アカネさんは、ふっと笑った。
「……へぇ。……思ってたより、やるじゃない」
「ありがとうございます」
「最初は“ひよっこ”かと、思ったけど」
ちくっと刺さる。
でも、わたしは逃げない。
「訂正するわ。“まだ伸びるひよっこ”ね」
……それ、褒めてる?
「オクトさん」
アカネさんが、部長に視線を向けた。
「いい人材、拾ったわね」
オクト部長は営業スマイルで応えた。
「アカネさんが、あのとき楽屋に誘ってくださったお陰で、微力ながらお役に立てそうです」
「ま、そうでしょうね。でなきゃ、ここまで適任な子、いないもの。ここで使えなかったら、うちの事務所で拾ってあげてもいいわよ」
「それには、及びません。チルはうちの秘蔵っ子なんで」
その一言で、胸が熱くなった。
アカネマネージャーは、ふいと横を向いた。
「なるほど、……そういうことね。いいわ、チルさん、これ進めてください。当然、いい結果を出しますわよね?」
「はい、おまかせください!」
商談が終わり、応接室を出た。
ドアが閉まった瞬間、力が抜けていった。
「はぁぁぁ……、無事、終わりました……」
「そうだな」
部長は、いつも通りの顔だった。
「悪くなかった」
!
「“なぜ”の分解も、筋が通っていた」
「ほんとですか……」
「ただし」
出た。
ダメだしだ。
「詰めが甘い部分もある。後で修正だ」
「はい!」
でも、嬉しい。
めちゃくちゃ嬉しい。
少し歩いたところで、部長は足を止めた。
「チル」
「はい?」
「ところで、……例のロジックツリーだが」
心臓が止まりそうになった。
「は、はい……?」
「お前の結論……」
う、逃げられない。
「“ずっとそばにいたい”=“隣に立ちたい”……か」
終わった。
人生終わった。
「……すみません」
「なぜ謝る」
「だって……その……」
「非現実的だと思ったか?」
顔を上げる。
部長は、真剣だった。
「難易度は高い。だが……」
一歩、近づいてきた。
「不可能ではない」
……え?
「その目標は、現実的だ。段階を踏めば到達できる」
ん? “ずっとそばにいたい” が、業務に変換されてない?
「……いいだろう」
わたしをまっすぐ見て、部長は言った。
「やってみろ。お前が本気なら……」
オクト部長は、メガネをくいっと上げた。
「俺が引き上げる」
頭が、真っ白になった。
「……はい」
声が震えた。
でも、いっか。
業務でも、部長のお役に立てるなら……本望だ。
「……やります」
ちゃんと、言えた。
部長は、小さくうなずいた。
「いい返事だ」
そして、いつもの調子に戻る。
「まずは次の資料修正だな」
「はいっ!」
「15時までに提出しろ」
「さすが、そこはブレないんですね!?」
「当然だ」
ですよねー!
でも……
昨日までと、全然違う。
同じ言葉なのに。
同じ距離なのに。
(部長の……隣に立つ→嬉しい!)
わたしは、小さく拳を握った。
よーし、できる限り駆け上がってみよう。
「部長、わたし、欲が出てきました」
「言ったな?」
オクト部長の琥珀色の目が光った。
「それは、意欲か? 物欲か?」
「両方です。仕事に対するモチベが上がりました。それから……」
「それから?」
「欲しいものも、見つかりました」
「どうせ、プリンとかぬいぐるみか? その程度……」
「それは、オクト部長のメガネ!」
(あ、言っちゃった)
「!」
「部長のメガネのレンズ、傷だらけだから、わたしが買ってプレゼントします」
「お前……!」
部長は小声で言った。
「……楽しみだ」




