第32話 理解できない願い(オクト)
Yoshiel & The Fallenのアリーナツアーが終盤に差し掛かっていた。
これが終われば、海外ツアーに出ると、Yoshielは言っていた。
ここは、ライブの打ち上げ会。
俺は、仕事で立ち寄っていた。
先日、シラス兄さん(=Yoshiel)から頼まれた仕事の打ち合わせだ。
「オクト、悪いな。しかし、よくあのコンプライアンス部が、データ処理だけ請け負ってくれたよな。お前、脅したのか?」
「まさか、人聞きの悪い。……交渉したんだよ」
「そうか……」(こいつ、絶対脅してる)
交渉と言ったが、兄さんはお見通しだ。
それは、わかっていた。
「オクト……」
兄さんは、組んでいた足をほどいて、改まった。
「僕ってさぁ、フリーランスじゃん。コンプラって苦手で……」
「わかるよ」
「へへ、でさー。オクトは、チルちゃんという悪魔と契約したじゃん?」
「それが、どうした。先に言っておくが……、チルは渡さないぞ」
「誰がくれって言った。違うよ」
「……今のは、忘れろ……」
「悪魔同士でも、願いを叶えたりできるんだね」
「対価を払えばな」
「それは、例えば……、『誰かの心を手に入れる』ことも、叶えられる?」
俺は、水割りを飲んでいた手を止めた。
「……」
「ごめん。突拍子もないことを……」
「いや、久々に定番の願いを聞いて、当惑したんだ」
「そう……?」
最近、俺が聞いている願いは……
・公園で遊びたい
・鬼ごっこしよう
・タルト先輩を助けて
「誰かの心を手に入れる願い。その誰かとは、……マネージャーのアカネさんのことか?」
ヨシフォー(Yoshiel & The Fallen)のマネージャーは、人間の女性だ。
「はは……いいや、まさか」
兄さんは笑った。
「彼女は、僕の良い友だちだよ」
……友達
……friend
兄さんの口から“友達”という言葉を聞いて、驚いた。
「……友達……友人関係を構築することが出来るとは……、なかなか見上げた悪魔だな、Yoshiel」
「ありがとう」
「Yoshielに問おう。どのような線引きで、アカネさんを友達と認識している?」
「難しいことを聞くんだな、オクト……」
兄さんは、酒場の店内を眺めた。
いろんな人間たちが、飲んで話している。
しばらく考えてから、答えがきた。
「そうだな……何でもない、ふとした瞬間に、
相手の幸せそうな顔が浮かんだら……かな」
その言葉を、俺は頭の中で咀嚼した。
ふと、チルの笑顔が浮かんだ。
——なぜ今、あいつの顔が出てくる。
「兄さん、いや、Yoshiel。『幸せ』の定義はなんだ……?」
「難しいことを聞くね……」
兄さんは、ワインを飲み干し、再び考えようとした。
そのとき……
マネージャーのアカネさんが顔を出した。
「ねぇ、二人とも。もしかして、あたしのこと話してる?」
「他愛のない雑談だよ。……君を良い友だちだと」
Yoshielの言葉に、アカネさんの顔は雲った。
「……友達……そう……。わたしはただの遊びだったのね」
「真顔でジョークを言うのはやめようね……」
俺は、大きくため息をついた。
「なんだ……Yoshielも所詮は、俗世に染まった悪魔か……」
「ほらー、オクトが信じちゃった」
アカネさんは、ふくれっ面をした。
「だって、オクトさん、こっちから絡んでも、全然なびかないんですもの。ねぇ、オクトさん?」
「君、オクトに絡んだのか……?」
「ちゃんと、仕事の話もしたわ。ファンクラブの名簿データを作って欲しいって」
「わかってるよ。なあ、オクト。彼女ってなかなか美人だろ?」
「有能なマネージャーだ」
「いや、そうじゃなくて」
「仕事ができる」
「そこじゃないんだよ」
アカネさんは、俺のネクタイをグイっと引っ張って引き寄せた。
「ねぇ、オクトさん。普通、こういうときって、少しくらいドキッとしない?」
「?」
「……ほらね、オクトさんって全然なびかないのよー」
兄さんは、わかった風な顔をした。
「そっか、そういうことか」
「何だ」
「オクトが、友達の定義を聞いてくるのは、契約者さんのせいだな」
「それがどうした」
「お前、気が付かないの? ……チルって子さ」
「部下だ」
「それだけ?」
「契約者だ」
「……ほんとにそれだけ?」
「もう、よしてくれ。Yoshielこそ、願いの相手は誰だよ」
「え? ちょっと、Yoshiel! バンドは恋愛禁止よっ!」
「わかってるよ。……さてと、家に帰ろうかな。オクト、ちょっと僕のところに寄ってくれ」
アカネはまたふくれっ面をした。
「兄弟そろって、鈍感なんだから、もうっ!」
兄さんの家まで付いてきた。
何かしら願いの話が、あるのだろう。
「ただいま……」
ドアを開けて、家に入る兄さん。
「Yoshiel……誰かが、家で待っているのか?」
「うん、帰ったよ……ミランダ?」
兄さんは、部屋を見回して、同居人を探した。
そして、テーブルの下に見つけた。
「ミランダ?」
そこには、猫。
う……っ、実は猫好きの俺には、たまらない破壊力……!
猫のミランダと、兄さんは目が合った。
「シャーー!!!」
耳を後ろに引いて、完全に威嚇のポーズだ。
「ふぅ……、君の心は、どうしたら僕を受け入れるんだろうね」
「Yoshiel……、契約するまでもない。無償で手なずけてやる」
このあと……
俺は、至福のモフモフタイムを味わったことは、言うまでもない。
俺は兄さんに言った。
「……なるほど。これが“心を手に入れる”という願いか」
「……ああ、そうだね」
「やはり、強引な契約は不要ということか」
「うん。信頼関係の構築が先なんだねー」
「なるほど……」
ミランダは、俺の手からするりと逃げた。
「……」
「……」
「まだ、完全には構築できていないようだな」
「うん、長期戦だねー」
猫と戯れる兄弟だった。




