第24話 誘惑
タルト先輩が、会社帰りに家に遊びに来た。
「チルちゃん、お疲れー。ご飯もう食べたー?」
「お疲れ様です。ご飯、まだでーす」
「じゃ、外に……」
「今、作っているところなんで、よかったら家で食べます?」
「あ、ああー……そうなんだ。じゃ、ごちそうになろうかな?」
「なんか、残念そう……だけど」
「そ、そんなことないよー。チルちゃんのご飯ひさしぶりだなー」
ささっと簡単に、麻婆豆腐を作って食べた。
「辛くない? 大丈夫ですか?」
「うん、辛くないよ。おいしい」
「よかった。オクト部長が作ると、いつも辛いから……」
タルト先輩は、ご飯を食べる手を止めた。
「最近、オクト部長いないと寂しい?」
「……ちょっとだけね」
「じゃあさ」
「ん?」
「僕が埋めてあげようか?」
タルト先輩が、上目づかいにわたしを見た。
「埋める? ……寂しさって埋まるんですか?」
「ぷっ! 冗談だよ、冗談! 僕にオクト部長の代わりが、務まるわけないじゃーん」
タルト先輩が笑ったので、わたしもつられて笑った。
「えへへへ」
「でも……、チルちゃんさ、自分の対価ちゃんと分かってないでしょ」
痛いところを突かれた。
いくら勉強しても、バカなわたしは法文を理解できない。
「……難しくて」
「だよね」
しばらく、無言のまま食事した。
わたしが食べ終わった食器を片付けようとすると、
「それ、……知らないままでいいの?」
タルト先輩がわたしの手首をつかんだ。
「え……、どういう意味ですか?」
「知りたい?」
わたしは、持っていた食器をテーブルに戻した。
「……対価って、何なんですか? 先輩、教えてください」
わたしの言葉に、タルト先輩の口角がゆっくりと上がった。
そして、わたしの手首を離すと、タルト先輩は床からほんの少し浮いた。
「チルちゃん……」
その声だけ、少し低かった。
いつものタルト先輩と様子が違う。
タルト先輩の体は空中に浮きあがり、鋭い視線でわたしを見下ろした。
「今のって、命令?」
部屋の空気が重くなった。
「どういう意味……? タルト先輩……」
「今までも、機会はあったんだけどさ~。部長が居る前じゃ、勝手なことできなくって」
タルト先輩は、ゆっくりとわたしに近寄った。
わたしは、思わず一歩さがった。
ジリ……
「チルちゃん、君は甘くて優しい」
タルト先輩はわたしの手を優しく握ってきた。
「お願い、……僕の契約者になって」
タルト先輩の黒い影が、わたしを包み込む。
「先輩、わたしはもう、オクト部長と契約してますが……」
「大丈夫、多重契約は違反じゃないから……、
あれ? 違反だっけ? まあ、いいや。とにかくさ……」
シルエットのせいか、わたしには、先輩が大きくなって見えた。
「僕、気が付いたんだよ。
嫌いな人間の無茶な命令きくより、好きな子の優しい願いを叶える方が、ずっと簡単だって」
タルト先輩の目が赤く光った。
「チルちゃんは、僕を助けたいよね?」
「……はい、力になれるのなら」
「じゃあ、願いを言って、僕に支払って」
空気の流れが、ぴたりと止まった。
「支払う……何を……」
わたしは、思い出そうとした。
記憶の扉が、開こうとしている。
えっと、何だっけ……。
そうだ、練習用の契約書。
あれを作ったとき、確認したんだ。
確か……何かの選択権を……
そのとき、空気が、ひどく重くなった。
地の底から大きな声が聞こえた。
「選択権の譲渡……」
その声に、タルト先輩の顔色が変わった。
次の瞬間……
先輩は、ものすごい重力に押しつぶされた。
「ぎゃっ!」
べちゃっ……!
目の前の出来事に、わたし驚いて固まった。
「タールートー……?!」
この声は……!
オクト部長が現れた。
部長が、家に帰って来ている。
え、いつの間に?
タルト先輩は、ニヤニヤと笑ってごまかしてる。
「あ~あ、……もっと、ゆっくり帰って来てほしかったです……部長」
「忠告したはずだ。忠告その1!」
「はい、手を出すな」
「その2!」
「絶対に、手を出すな」
床に押しつぶされたまま、タルト先輩は答えた。
オクト部長は、タルト先輩を指さし、怖い顔で見下ろしていた。
「さっそく命知らずのモダンタイプを、どうしてくれようか」
タルト先輩、万事休す。
ヘラヘラと笑って誤魔化すしかないのか。




