第23話 対価って何
オクト部長がいない、契約営業部。
代わりに本部長が顔を出した。
「みんな、頑張ってる? オクト君の出張が長引いてごめんね。困ったことがあったら、わたしに言ってくださーい」
本部長って、まんまるい顔にメガネをかけた、優しそうなおじさんに見える。
優しいのかな……オクト部長を一人、出張先に置いて来て……。
「チルさん」
げっ!
ボーっとしてたら、本部長に声をかけられた。
「君の指導係のオクト君、出張を長引かせて、悪いね」
マズい、読心術、使われた?
「オクト君の代わりに、わたしになんでも相談してね」
「はい、ありがとうございます」
「今日は、どんな作業をしているのかな?」
「はい、契約書の願いに対する対価を、種類別に集計しています」
「ほう……、難しい作業なのに、すごいねー」
「いえ、全然すごくありません。書いてあるものをピックアップしてるだけで……。
本当は……意味がわからないんです」
「そっかー……。チルさん? 君とオクト君の契約書を参考に見ると、わかるかもよ」
「は……い……」
契約書?
わたしの契約内容。
そう言われてみると、練習用に作ったとき以来、見ていない。
「そうだ。タルトくん?」
「は、はい! 本部長。何でしょう」
「チルさんに、対価がわかるように教えてあげて」
「わかりました! では、チル……さん。僕が説明しましょう」
本部長は、にこにこしながらオフィスを出て行った。
「あ~、お腹すいちゃった……」
え、本部長、もう空腹なんですか?
まだ午前中ですがっ。
タルト先輩に肩をツンツンされた。
「チルちゃん、自分の対価、ちゃんと見た?」
「え、見ていません」
「あー……そっかぁ」
「本部長って、わたしの契約内容、知っているんでしょうか」
「そりゃ、部下同士の契約だからねー。知らないはずないでしょ」
「マズいですよね。わたし意味も分からず資料つくりしてるって、バレちゃった」
「……見ればいいじゃん」
「え」
「会社にコピーあるよ」
そういえば、オクト部長は契約内容を確認するとき、コピーした書類を見ていた。
「コピー機の裏の棚、三段目」
「そこって、わたしなんかが開けても、いいんですか?」
「じゃ、外回り行ってくるねー」
「タルト先輩、逃げるんですか? 説明は?」
「チルちゃん、自分の契約書を見るのに、許可要ると思う? ……じゃ、いってきまーす」
そして、もう一度振り向いた。
「見ないほうがいいと思うけど……、本部長からの課題でしょ? 説明より見た方が早いって」
そう言い残して、行ってしまった。
余計、気になる。
他の営業マンも外出した。
残っているのは、事務の先輩魔女とわたしだけ。
自分の契約書を探して、見るだけだから、問題ないよね。
そもそも、会社の書類。
事務作業で疑問があったら、普通に確認するよね。
コピー機の裏の棚……三段目……。
あった。
契約者 チル。
ファイルを開く。
「えーっと……」
嫌だ、法文だわ。
・契約者
・対価
・譲渡
・選択権
目に入って来る言葉が、とても難解。
「えっと……選択権?」
何だろう。
「将来における意思決定権の一部を……なんたらかんたら……」
……え?
一瞬だけ、胸の奥がざわついた。
バサッ
理解不能。
ファイルをデスクに置いた。
「むずかしい……わかんないや」
わたしのつぶやきに気づいて、事務の先輩魔女が、パソコンの向こうからこっちを見た。
「どうしたの」
「あは、すみませーん。契約書の文章って難しいですねー。棚に戻しまーす」
先輩魔女は、肩をすくめてから、またカタカタと入力を続けた。
わたしも、自分の席に戻る。
わたし、何を支払ったんだろう。
……何もあげた覚え、ないのに。
支払った記憶がないんですけど……。
本当に、わたし、対価を支払ったの?
その夜、オクト部長からの電話はなかった。
終礼、しなくてもいいのかな。
誰もいない部屋で、ひとり。
眠れない。
ギターの音があればいいのに……
すると、突然、着メロが鳴った。
オクト部長からだ。
―「すまない、遅くなった。終礼をはじめる」
「もう、遅いから、今日はないと思いましたよー」
―「こっちは、今、仕事が終わったんだ。今日の業務は?」
「はい、資料つくりの続きです。今日は、本部長が来てくれました。契約用語について理解できていないので、自分の契約書を参考にするようにと言われました」
―「見たのか」
「うーん、……でも、よくわかりませんでした」
―「何だそれ」
「夕飯は、コンビニ弁当です」
―「作らなかったのか」
「一人分って、作るの大変です。早く部長が帰って来ればいいと思いました」
―「夏休みの日記か」
「でも、今日も部長の声が聞けて、嬉しいです」
―「よく寝ないで、電話を待っていたな。契約の法文は慣れだ。最初は難しくても……」
ああ、安心する。
オクト部長の声。
ずっと、ずっと、聞いていたい……
ところで、対価って、何なんだろう……
「……というわけだ。分かったか? ……おい、チル……聞いているのか?」
翌朝、スマの画面を見て固まった。
通話画面のままだ。
電話は切れている。
オクト部長の終礼の途中で、寝落ちしちゃったのかな?
メールが一通来ている。
『寝落ちしたようだな。いい夢、見られたか?』
やってしまった。
もう、部長と顔を合わせられない。
あと、10年くらい出張してくれないかな……。
嘘。
早く帰ってこないかな。




