第22話 小さな嘘
カタカタカタカタ……
キーボードを叩く音。
オフィスの電話が鳴り響く。
いつもと同じオフィスなのに、何か物足りない。
ストイックな部長の声……無い。
オクト部長の不機嫌な声が無い。
ホワイトボードのオクト部長の欄、出張中の日程がまた延びた。
カタカタカタカタ……
「チールちゃん、お仕事、頑張てるねー」
「タルト先輩は、外出ですか?」
「うん、そーだよ~。今日は、外出先から直帰しまーす」
「あ、ホワイトボードに書いておいてくださいね」
「イエッサー! チルちゃんもオクト部長がいないんだから、適当にやればいいのに」
「できません。電話で業務内容とか、健康管理とか、報告しなきゃいけないんですよぉ」
「うげ! オクト部長、チルちゃんに厳しすぎ。ってか、そんなに心配なのかなぁ」
「新卒だからでしょ。指導せずにはいられない。きっと、部長の頭の中に鬼が居るんですよ」
「クラシックタイプは、頭固いからねー。でも、頑張るのもほどほどにねー」
そう言って、タルト先輩は外出した。
そうか……外回りって、直帰できるんだ。
いいなぁ。
わたしはいつになったら、営業に出られるんだろう。
夕方、定時。
「お疲れ様でしたー」
「お疲れー」
他の皆は定時に帰って行く。
わたしは、ミスをして資料の作成し直しだ。
こんなとき、オクト部長だったら、なんて言うかな。
「帰れ―」と、にらんでくるだろうな。
誰もいないオフィス。
しーんとしている。
カタカタカタカタ……
エンターキーを押す。
タン!
「終わったぁー」
思わず机にうつ伏せになった。
誰もいないのに、とりあえず言う。
「お疲れさまでしたぁー」
残業で、いつもよりも遅い帰宅。
ガチャガチャ……
鍵を開けて、玄関で靴を脱ぐ。
「ただいまー」
返事はない。
……静かすぎる。
リビングの照明をつけて、鍵をチェストの上に置いた。
オクト部長がくれた合鍵。
大好きなYoshiel & The fallenのキーホルダーを付けてある。
部長とお揃いにしようと言ったら、断られたやつだ。
歩きながら、バックを置き、上着を脱ぎ、靴下も脱いだ。
こーんなに、だらしないことしているのに、誰からも叱られない。
ソファーに倒れるように座った。
「あーーー、疲れたぁ」
誰か何か言ってよ。
「お疲れー」って誰か言ってよ。
夕飯作るの、面倒くさい。
いっか、適当で。
……待てよ。
終礼で、夕飯の内容、聞かれる……。
見てないんだから、作ったことにしとけばいいじゃない。
……静かすぎる。
テレビでもつけようとリモコンに手を伸ばした。
すると、
ピンポーン
わたしは玄関まで、スリッパをパタパタさせて走った。
「はーい」
ガチャ
「チルちゃーん、来たよー。はい、プリン」
「タルト先ぱーい! 嬉しい……」
「おっとっと、そんなに飛びついて、犬みたいだなー」
「お疲れ様です! わたしにも、そう言ってください!」
「ん? いいよ。お疲れー、チルちゃん」
わたしは、タルト先輩が来てくれて、舞い上がっていた。
「あれー? ひょっとして、チルちゃん、寂しいの? ……僕がいるのに?」
「そ、そうなのかなぁ」
「オクト部長いないから?」
「でも、もうすぐ電話がかかってくるはず。終礼の時間なんです」
「えっ!? 電話で報告するって言ってたの……、家で報告するの?」
その時、わたしのスマホの着メロが鳴った。
♪Forever Lie Forever Lie
嘘でもいいから そばにいて♪
「あ、オクト部長からだ」
「え、この曲……、マジで?」
「はい、お疲れ様です。オクト部長」
―「定時だ。終礼を始める」
「はい」
後ろで、タルト先輩がオロオロしている。
―「ん? 誰かいるのか?」
「すっごーい! よくわかりましたね。悪魔の勘ですか?
じゃあ、誰がいるかわかります?」
―「タルト」
「大当たりー!! 凄い。勘が冴えてますね、部長」
―「いや、お前が平気で家に入れる奴って、タルトしかいないだろ。勘の問題じゃない」
「そっかー。えへへへ」
―「おい、タルト。今すぐ出て行け」
タルト先輩は、わたしの背中に隠れた。
「チルちゃん、助けて。部長の怒ってる声が聞こえたよー」
「でも、今さらわたしの後ろに隠れても……」
オクト部長の声が低く響いた。
―「俺の留守中に、契約者に近づくな。今すぐ出て行け。
さもないと、コンプライアンス部に連絡して、監視を強化してもらう」
「わ、わ、わかりました。出て行きますよ。僕は、チルちゃんが疲れていると思って、甘いものをもってきただけです」
―「プリンか」
「ひぇ~! どうして、わかっちゃうのー?」
―「お前も、チルも、単純すぎる。だれでも想像できることで、いちいち驚くな」
「もう、部長にはかなわない。じゃあね、チルちゃん、また明日、会社でねー」
「はい、お気を付けてー」
タルト先輩が出て行くと、オクト部長はさっそく終礼を始めた。
―「今日は、疲れているとタルトが言っていたが、どうした」
「はい、えっとー……ミスして資料を作り直し、残業してました」
―「何? ミスはしょうがない。残業しなければならないほどのミスなのか?」
「さぁ、わかりません。自分でそう判断しました」
―「正しいと思うか」
「わかりません……。だって、アドバイスしてくれる人がいないから」
―「ふむ。……夕飯は?」
「……食べました」
―「何を」
「……」
―「いや、残業で遅くなったのに、よく作ったな。普通はめんどくさいと投げ出す。偉いぞ」
わたしは、胸がチクリと痛くなった。
これって、良心だろうか。
悪魔に良心があれば、こういう風に痛いのかな。
「オクト部長……」
―「今日は、疲れているだろう。早く風呂に入って、寝ろ」
「あの、オクト部長!」
―「なんだ」
「嘘です」
たった一つの小さな嘘が、
こんなに苦しいなんて思わなかった。
―「何が」
「夕飯を作っていませんし、食べてません。ごめんなさい!」
―「……」
怒られる。
でも、嘘をつき続けるより、怒られた方がいい。
―「うん、知ってた。お前、嘘つくの下手だからな。
よく、正直に言ってくれたな。いい子だ」
「怒らないんですか?」
―「部下が成長したようで、嬉しい」
「オクト部長……」
―「終礼を終わる」
「待って! 待ってください。オクト部長、早く……」
喉の奥がギュッとなった。
「早く……帰って来てください」
―「あ、ああ、……そうだな。そうする」
オクト部長は、そこで通話を切った。
わたしは、スマホをそのまま抱きしめていた。




