第21話 出張(オクト)
契約トラブルが発生した。
本部長が行くクレーム対応に、俺も同行することになった。
「……と、いうわけで、明日から出張だ。二・三日は戻らない」
チルが作ったカレーを食べる。
確実に、こいつの料理は上達している。
「え? 行っちゃうんですか?」
「業務だ」
「その間……わたし一人……」
「ああ、そうだ。料理の腕も上がったみたいだし、問題ないだろ」
「放置……するんですか?」
「違う。クレーム対応で本部長と出張だ」
「その間、放置するんですよね」
「……放置はしない。いいか? 俺の指示は守れよ。
その1,戸締りは確認しろ。
その2、……夜更かしするな。
その3,栄養バランスをとれ。
以上、三つを終礼時に報告すること」
「終礼って……でも、家に部長はいないじゃないですかー」
「毎晩、電話する」
「……え?」
「メールでもいいが、声の方が状況把握できる」
「毎晩ですか?」
「嫌か?」
「……嬉しいですっ!」
「バカか? 業務連絡と終礼だぞ。喜ぶやつがいるか」
「うううん、オクト部長の声が聞けるなら、寂しくありません」
「やめろ」
全く、最近の新卒は……、調子が狂う。
出張先。
本部長と俺は、取引先の契約者に頭を下げた。
「申し訳ございませんでした。なにとぞ今後ともよろしくお願いいたします」
契約者は、なかなか首を縦に振らない。
本部長と俺は、一旦、宿泊先へと戻ることにした。
「はー、厳しいね。オクト君、一旦引き返そう」
本部長はタクシーを呼んだ。
タクシーの中。
エンジン音だけの車内。
若干の揺れに、気分が滅入りそうになる。
本部長は、紙袋をガサガサと開けた。
「クレーム対応、疲れちゃうねぇ。ちょっとこれ、別のアプローチ法のほうがいいかもしれないね」
丸顔の本部長は、あんパンを取り出した。
俺は窓の外、流れる風景を見ていた。
「別のですか……」
本部長は、あんパンにかじりついた。
「お腹すいたよ」
「……じゃあ、私もうしばらく、ここに残ります」
「悪いね。オクト君に頼りっきりで」
「いえ、全然問題ないです」
「オクト君も食べる?」
「私は……」
本部長は、もぐもぐとあんパンを食べている。
いつも、何か食べている上司だ。
唐突に、本部長は切り出した。
「もしもさ、オクト君ひとりで大変なら誰か来てもらおうか?」
「あー、そうですね……」
俺は、メガネの縁を持ち上げた。
「いや、一人で大丈夫です」
「そう? 無理しないでよ。……オクト君、本当に辛くても、言わないタイプだから」
あんパンで口いっぱいにしながら、本部長は続けた。
「あとで、僕がびっくりしちゃうのよ」
「……」
「孫に似ているから、心配になっちゃう」
「お孫さん、いらっしゃるんですね」
「あの子も言わなくてねー」
本部長は、目を細めながら孫の話をしはじめた。
「ご飯食べないなーと思ったら、発熱してるなんてことも。僕たち悪魔って、熱があるだけで大騒ぎでしょ?」
「あれ、お孫さんおいくつですか?」
「うふっ、7歳」
俺は、軽くショックだった。
7歳児と一緒にされた。
「いや、言わないとね……」
「……」
「オクト君の契約もそうなんだけど、ミスならやめてもいいんだよ?」
「それでは、コンプライアンス部が……契約は履行します」
「そっかぁ……」
本部長は、あんパンの最後の一口を食べた。
少しだけ、視線を落とした。
「その契約……、君が終わらせられなくなってるだけじゃない?」
タクシーのエンジン音。
「……」
返す言葉が見つからない。
「言わないとね。わからないこと多いから。それだけ頼むよ」
「……はい」
「あんパンも欲しかったら言ってね」
「あ、本当に結構で……いや、いただきます」
本部長は、一言も威圧的なことを言わない。
だが、本部長の言葉に、ほんの少し、心が動いた。
夜、チルに生存確認の電話をした。
「生きているか?」
―「はい」
「定時だ。終礼を始める」
―「家なのに、定時とは?」
「俺がいない間は、毎晩7時半、終礼だ」
―「はい」
「で? 今日の業務内容を報告しろ」
―「はい。今日はオクト部長から頼まれた資料を作りました」
「夕飯は?」
―「夕飯?」
「栄養管理だ」
―「はい、夕飯は昨日の残ったカレーと野菜サラダを食べました。……でも、ひとりで食べても味がしませんでした。タスクをこなす部長がいないから、冷蔵庫のビールも減りません。いつも部長が飲んでたから……
でも、わたし、飲みませんから……ちゃんと冷やしておきます」
「うむ……」
俺は、上司として連絡した。
「あ、しばらくこっちに残ることになった。留守をたのむ」
―「ええー? 出張、延びるんですかー?!」
「自分を見つめ直す、いい機会だと思え。自分を顧みない者に、成長はない」
―「はい」
「それと、……ネイルのケアの方法、教えてくれないか」
―「ぷっ、部長。保湿ですよ、ポイントは保湿。わたしのおすすめ動画、URLをメールしますね!」
なんだ、もっと凹んでいるかと思った。
意外と元気な声じゃないか。
……いや、無理しているだけかもしれない。
明日は、チルに教えられたネイルオイルを買いに行こう。




