3章9節
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湿度が高い。
肺に吸い込む空気は重く、肌にまとわりつく。
かつて市街地だった場所は、崩れたコンクリートと錆びた鉄骨の隙間を、巨大化した熱帯植物が容赦なく覆い尽くしていた。
まるで、文明の残骸を土台にしたジャングルだ。
「……視界、最悪だな」
ヤヒロが低く言う。
「足場も不安定。嫌な感じ」
ヤチヨが舌打ちし、ユイは言葉を発さず、すでに周囲の“流れ”を探っている。
そのときだった。
――号令。
――複数人の足音。
――金属が擦れる、訓練特有の乾いた音。
「止まれ」
ツダが即座に手を上げた。
少し先、崩れたショッピングモール跡の吹き抜け空間。
そこではギルド職員の部隊が、明確に訓練とわかる動きで魔物と対峙していた。
五人一組。
前衛二名、中衛一名、後衛二名。
前衛の一人が大型盾で正面に立ち、突進してくるアーマード・ボアの動きを受け止める。
もう一人の前衛が横から入り、関節部や腹下――装甲の薄い箇所を狙って打撃を叩き込む。
中衛は全体を見渡し、声を飛ばす。
「右、もう一段来る!」
「前、踏ん張れ!」
後衛は射撃ではない。
投擲用の杭状武器や打撃具を、確実に当たる距離まで詰めて投げ、動きを削ぐ。
――ダンジョン内では、火器は通用しない。
その前提を、部隊全員が理解している動きだった。
「訓練だな」
ツダが小さく言う。
「実戦形式か」
「最近、沖縄はきな臭いからね」
その瞬間。
「……ん?」
吹き抜けの向こうから、間延びした声が聞こえた。
「おい、あれ……ツダじゃないか?」
後衛の一人がこちらを見て、目を細める。
そして、はっきりと驚いた表情になった。
「久しぶりだな」
「やっぱりカワセか」
ツダが軽く手を上げる。
カワセと呼ばれた男は、ヘルメットを外し、額の汗を拭った。
三十代前半。
沖縄勤務が長いせいか、日焼けした肌と、少し疲れた目をしている。
「こんなところで会うとはな」
「……ってことは、噂の件か」
「勘がいい」
「ギルドの巡回に、公安の人間が混じる理由は限られてる」
そこへ、部隊長が歩み寄ってきた。
ツダが簡潔に身分と立場を示すと、部隊長は一瞬だけ表情を引き締め、すぐに頷く。
「非公式、ですね」
「ええ。協力要請という形で」
「了解しました」
形式ばった会話が終わると、カワセが一歩前に出た。
「最近の事件、現場が妙に繋がってる」
「強盗ってより、“奪うこと自体が目的”に見える」
「同感だ」
「なら、俺たちも協力する」
カワセはきっぱり言った。
「訓練名目で、この中層はかなり回ってる」
「魔物の動きも、人の出入りも、情報は全部流す」
「助かる」
ツダは素直にそう言った。
「ただし」
カワセは声を落とす。
「市民団体と、米軍、どっちも過敏だ」
「ギルドが深く関わってるのも、いずれ気づかれる」
「……だろうな」
ツダは視線を、植物に覆われた吹き抜けの上部へと向けた。
「派手にやるつもりはない」
「それならいい」
カワセはそう言ってから、ヤヒロたちを一瞥する。
「……そちらは?」
「俺の協力者だ。若いのもいるが、実力はある」
ツダは少しだけ笑った。
「なるほど」
カワセの目に余計な詮索はなかった。
「気をつけろ」
「ここは、沖縄だ」
その言葉に、ヤヒロは静かに頷いた。
ギルド職員の部隊と別れ、
ヤヒロたちは再び、ダンジョン中層の奥へと進んでいた。
「……よし。ここからは、俺たちだけだな」
「さっきの彼らの連携、悪くなかったわよ」
ヤチヨが肩を回しながら言う。
「向こうは訓練、こっちは実戦。差はあったけどね」
「……うん。ワームが複数の場合も考える」
ユイは弓を構え直し、周囲を見回している。
「……地面、まだ不安定」
ツダは何も言わず、モノクル越しに地形を眺めていた。
さっき倒したワームが掘り返した地面は、
まるで大地そのものが呼吸しているかのように、わずかに脈打っている。
――来るな。
そう判断した瞬間だった。
地面が、沈んだ。
次の瞬間、
二体目の巨大ワームが、先ほどよりも荒々しく地表を突き破った。
「もう一匹か!」
ヤヒロが即座に前へ出る。
「いい? 今度は長引かせない!」
ヤチヨが駆ける。
戦闘は、さっきよりも洗練されていた。
ヤヒロは、全部を受けない。
盾を正面に構えつつ、地面に叩きつけられる顎を逸らす。
衝撃が盾を通して逃げ、
反転した力がワームの体勢を崩す。
ユイの矢が、正確に節目を射抜く。
ツダの指示は短く、的確だった。
「次、三秒後に潜る。――今だ、踏み込め」
ヤチヨの剣が、
暴れる肉体の内側へと深く突き立てられる。
断末魔のような振動が、
ダンジョン全体を揺らした。
やがて、巨大ワームは完全に沈黙した。
「……終わった、わね」
ヤチヨが息を整える。
ユイも弓を下ろし、肩で呼吸している。
ヤヒロは盾を下ろし、
周囲を見回した。
そのときだった。
「――待て」
ツダの声が、低く響いた。
「……終わってない」
「え?」
地面が、再び――いや、違う。
さっきまでの不規則な脈動とは異なる。
今度は、規則的だった。
――トン。
――トン。
――トン。
まるで、心臓の鼓動。
「……反応、変わった」
ユイが呟く。
ヤヒロも気づいた。
倒したワームの死骸。
その周囲の土壌だけが、異様に沈み込んでいる。
「おい、ツダ。これ――」
「ワームそのものじゃない」
ツダはモノクルを押さえ、目を細める。
「ワームを“餌”にしてる何かだ」
次の瞬間。
地面が、裂けた。
今度現れたのは、
巨大ワームのような単体の魔物ではない。
無数の影だった。
ワームの死骸に群がり、
肉を喰らい、骨を砕き、
それぞれが不完全な形のまま蠢いている。
「……なに、あれ」
ヤチヨが、思わず一歩引いた。
「生態系の……二次段階」
ツダの声が、わずかに弾んでいる。
「強敵の死をトリガーにして、下位の異常が一斉に活性化するタイプだ」
場違いなほど、楽しそうだった。
「面白いな」
「沖縄中層は、ただ強い敵が出る場所じゃない」
「富士と同じ、勝利そのものが次の災厄を呼ぶ構造だ」
ヤヒロは、盾を握り直す。
「つまり――」
「つまり、これからが本番だ」
群れが、一斉にこちらを向いた。
ワームの死を喰らって生まれた異常。
数で押し潰す、消耗戦の兆し。
ヤヒロは、前に出る。
「……来い」
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