4章4節
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雪は、音を立てずに降っていた。
北海道の朝は、
沖縄とはまるで別の世界だ。
怒号もない。
ヘリの音もない。
誰かを責める声も、
誰かを守れなかった悔恨も――
この空気の中では、すべてが薄くなる。
ヤヒロは、宿の窓から外を眺めていた。
白。
ただ、それだけの景色。
街路樹も、歩道も、
すべてが雪に覆われ、
輪郭を失っている。
「……静かだな」
独り言のように呟く。
沖縄では、
静かな瞬間の方が少なかった。
何かが起きる前触れ。
怒りが溜まる音。
人が壊れていく兆し。
それに比べて、ここは――
何も起きていないように見える。
だが、
何もない場所ほど、
“壊れかけた人間”には危険だ。
ヤヒロは、自分の胸に残る感覚を確かめる。
守れなかったという事実。
守ろうとしたという意志。
そのどちらも、消えてはいない。
ただ、
ここではまだ、
答えを求められていないだけだ。
「……起きてる?」
背後から、ヤチヨの声。
振り返ると、
コートを羽織った彼女が、
少し眠そうな顔で立っていた。
「雪、すごいね」
「ええ」
短く答える。
会話は、それ以上続かない。
以前なら、
気まずさを感じたかもしれない。
だが今は、
この距離感がちょうどよかった。
無理に話さなくていい。
無理に笑わなくていい。
救いとは、
きっとこういう“余白”なのだ。
やがて、
ユイとツダも部屋に集まる。
ユイはいつも通り静かで、
ツダは――少しだけ、言葉数が多い。
「北海道、やっぱ落ち着くな。
沖縄の後だと、なおさらだ」
冗談めかした口調。
だが、
ヤヒロは気づいていた。
ツダが、
以前よりも頻繁にモノクルに触れていることを。
知識を欲している。
理由を探している。
それは、
“強欲”の兆しであり、
同時に――
誰よりも真剣に、この状況を終わらせたいという焦りでもあった。
「今日は、休もう」
ツダが言う。
「ダンジョンに潜って調査するのは、明日以降」
「今日は街を歩いて、空気を掴む」
戦闘ではない。
救出でもない。
奪取でもない。
ただ、生きる側の時間。
雪は、相変わらず降り続いている。
白く、
冷たく、
そして――
すべてを一度、覆い隠すように。
札幌の空は、低かった。
雲が近い。
そのせいか、街全体が少しだけ活気を失っているように感じられる。
時計台の前に立ったとき、
ヤヒロは、無意識に周囲を見回していた。
人の流れ。
立ち止まる観光客。
スマートフォンを構える手。
危険は、ない。
少なくとも――
ここには、盾を構える理由はない。
「有名だけど……思ったより、普通ね」
ヤチヨが、少し拍子抜けしたように言った。
「……うん」
ヤヒロは、短く返す。
普通だ。
平和だ。
誰も、何も、壊れていない。
それなのに――
胸の奥が、落ち着かない。
(……何を警戒してるんだ)
自分でも分かっている。
今は、守るべき戦場にはいない。
それでも、
視線が高くなり、
人の動きを追ってしまう。
ヤチヨは、それに気づいていた。
「そんなに肩、入れなくていいでしょ」
少しだけ、柔らかい声。
「ここ、ダンジョンじゃないんだから」
「……はい」
分かっている。
分かっているのに、
身体が、言うことを聞かない。
札幌テレビ塔に登ったときも、同じだった。
展望台から見下ろす街は、
白と灰色のグラデーションで、
どこまでも穏やかだ。
「綺麗だね」
ヤチヨが言う。
「……はい」
同じ返事。
ヤチヨは、少しだけ首を傾げた。
「ねえ、ヤヒロ」
「なんですか?」
「……ちゃんと、見てる?」
その言葉に、
ヤヒロは返事ができなかった。
見ているのは、街ではない。
人でも、景色でもない。
万が一。
もしも。
何かが起きたら。
そんな想定ばかりが、
頭の中を占めている。
それは、
守る側としての癖であり、
同時に――
休めない傷だった。
小樽へ向かう電車の中、
ヤチヨは窓の外を見ていた。
ヤヒロは、その横顔を盗み見る。
沖縄のときより、
剣を握っていないときの彼女は、
少しだけ年相応に見えた。
「……小樽、好きなんだ」
ぽつりと、ヤチヨが言う。
「綺麗なものが、ちゃんと綺麗なまま置いてある」
ガラス細工の店に入ると、
光を受けた器が、静かに輝いていた。
壊れやすくて、
触れれば簡単に割れてしまう。
それでも、
守られて、並んでいる。
ヤヒロは、
その光景に、胸が少し痛んだ。
「……ヤヒロ」
「ん?」
「もしさ」
ヤチヨは、
ガラスの小さな置物を見つめながら言う。
「守れないものがあったとしても……」
「全部、自分のせいだと思う必要はないから」
ヤヒロは、
その言葉をすぐには受け取れなかった。
だが――
否定も、できなかった。
札幌へ戻る途中、
人混みの中で、
一瞬だけ――
すれ違う影があった。
女性。
地味なコート。
控えめな歩き方。
だが、
ヤヒロは、なぜか足を止めた。
(……今の)
理由は分からない。
危険でもない。
知っている顔でもない。
それでも、
“何か”が、引っかかった。
その女性は、そのまま人波に消えた。
ただの日常。
ただのすれ違い。
そのはずだった。
雪は、静かに降り続けている。
だが、
確かに――
この静かな時間が、
彼らを少しずつ、
戦場の外へ引き戻し始めていた。
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