4章3節
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慌ただしく準備を整えたわけでもなく、かといって何もしなかったわけでもない。
装備は点検し直し、必要なものだけを鞄に詰め、あとは淡々と時間が過ぎていった。
季節だけが、確実に前へ進んでいた。
――羽田空港。
構内は年末特有のざわめきに包まれている。
大きなキャリーケースを引く家族連れ。
スーツ姿で足早に歩く出張客。
土産物売り場に群がる人々。
そのどれもが、ヤヒロには少しだけ遠く感じられた。
「寒そうだなあ、北海道」
ツダが、搭乗口の椅子にだらしなく腰掛けながら言う。
いつも通りの軽い口調だが、目の下には薄く影が残っていた。
「真冬ですからね」
ヤヒロが答えると、ツダは肩をすくめる。
「だよなあ。夏は沖縄で、冬にこれは極端すぎる」
「……でも、ツダが行こうって言い出したんでしょ」
ユイが、静かに指摘する。
フードを目深に被り、視線は窓の外――滑走路に向けられていた。
「まあね」
否定はしない。
むしろ、少し楽しそうですらある。
その様子を、ヤチヨが横目で見ていた。
「調査って顔じゃないわよ、あんた」
「ん?そう?」
「知りたいものがあるときの顔」
ヤチヨの言葉に、ツダは一瞬だけ口をつぐむ。
そして、すぐに笑った。
「さすが。よく分かってる」
それ以上は語らない。
語らせるつもりもない。
――まだ見つかっていない、最後のレジェンダリー。
色欲。
北海道。
その二つが、どこかでつながっていることを全員が予期していた。
「搭乗開始、だって」
ヤヒロがアナウンスを聞いて立ち上がる。
列に並び、機内へと進む。
金属の床。
独特の匂い。
座席に身を沈めると、外界との距離が一気に生まれた。
窓際の席。
エンジン音が低く唸り始める。
ヤヒロは、シートベルトを締めながら、ふと考える。
沖縄でのこと。
守れなかった選択。
壊れかけた仲間。
そして、自分自身。
あれから数か月。
立ち止まったままの部分と、前に進んだ部分が、まだ噛み合っていない。
それでも――
行くしかない。
次の場所へ。
次の問いへ。
飛行機が、ゆっくりと動き出す。
滑走路を走り、加速し、地面が遠ざかっていく。
東京の街が、模型のように小さくなる。
ユイは目を閉じている。
ヤチヨは窓の外を見て、何かを考えているようだった。
ツダは、いつの間にか眠りに落ちている。
それぞれが、それぞれの思いを抱えたまま。
雲を突き抜け、空の上へ。
飛行機のドアが開いた瞬間、
空気そのものが、殴りつけてきた。
――冷たい。
それは「寒い」というより、
皮膚の表面から、体温を奪いにくる感触だった。
ヤヒロは、思わず息を止める。
沖縄では、冬でもこんな空気はなかった。
湿り気を含んだ、生ぬるい風。
肌にまとわりつく熱。
だが、ここは違う。
乾いている。
澄んでいる。
そして――静かだ。
吐いた息が、白くなる。
それを見て、ようやく「本当に来たのだ」と実感する。
「……寒っ」
小さく呟くと、
隣でヤチヨが肩をすくめた。
「北海道だしね」
「覚悟してきたつもりだったけど、これはキツいわ」
口調は軽い。
けれど、吐く息はヤヒロと同じく白い。
ユイは黙って、マフラーを引き上げていた。
目元だけが覗くその表情は、いつもより硬い。
ツダは――
楽しそうだった。
「いいな、この空気。頭が冴える」
そう言って、深く息を吸う。
「……変態か」
ヤチヨが即座に突っ込む。
「失礼だな。
知識欲が刺激されてるだけだ」
いつものやり取り。
それなのに、ヤヒロの胸は、どこか落ち着かなかった。
沖縄では、
常に音があった。
怒号。
ヘリの音。
人のざわめき。
怒りと恐怖が混ざった、濁った空気。
それに比べて、ここは――
静かすぎる。
空港のロビーには人がいる。
だが、その足音さえ、吸い込まれていくようだった。
雪国特有の、
音を殺す空気。
ヤヒロは、無意識に肩をすくめる。
沖縄では、
守るべきものが、常に目の前にあった。
市民。
仲間。
そして、敵ですら守ろうとした自分。
ここでは――
まだ、何も起きていない。
それが、ひどく不安だった。
「……ヤヒロ」
ヤチヨの声に、はっと顔を上げる。
「大丈夫?」
「……ああ」
短く答える。
けれど、本心は違った。
大丈夫じゃない。
沖縄で、
あれだけのものを見て、
あれだけの選択をして、
それでも――
何一つ、終わっていない。
むしろ、
ここからが始まりだと、
空気そのものが告げている気がした。
冷たく、澄んだこの場所で。
ヤヒロは、白い息を吐きながら、
初めて見る北海道の空を見上げた。
クリスマスが近いという実感は、
相変わらず、どこにもなかった。
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