#84. ひまわりのように
2047年7月1日・月曜日。平均気温30℃──。
気温が上がれば、気分も上がっていくようで。
世の高校生たちは夏休みまでひと月を切ったことに浮かれ。
ゲーマーたちは夏の新イベントに胸を躍らせる。
その両方ともなれば、クーラーの効いた保健室でさえ、胸の高鳴りは鎮まらない。
ソファーに寝転がり、淡い光を放つスマホ画面に映し出された『レイドバトル開催』の文字を眺める少女は、まるで夏の太陽のように目の奥を輝かせていた。
「せんせぇ! 見てよこれ! レイドバトルだって! 久々だよね!」
ソファーから勢いよく起き上がった少女は、ショートヘアを揺らしながら画面を『せんせぇ』に見せる。
オフィスチェアに腰掛け本を読んでいた保健医・小塚文芽は、髪を耳の後ろへ流し、脚を組み替えた。
具合が悪いからと保健室へ来るのはいつものことだが、スマホを眺めてはしゃいでしまえばそれは紛うことなき『サボり』である。
ここは先生として、否。
大人として、キチンと叱ってやらねば──。
「名雲、私の視力を過信してくれるな。この距離では君の顔しか見えない」
小塚文芽は眼鏡を指で押し上げ、興味津々に目を光らせた。
そう。彼女もまた仕事中に本を読むサボり魔である。
名雲と呼ばれた女子生徒は嬉しそうに跳ねると、小塚の膝元に腰を下ろす。
この暑さで密着しようとしてくるのは天性の人懐っこさが原因か。
暑苦しいが、少女の体重を感じ、ふと──小塚は少女のお腹まわりに触れた。
「ひゃあっ!? ちょ、先生!?」
「あぁすまない。ようやく太ってきたと思ってな」
「フトッ!? ……せんせー、それは禁止呪文だよ。特に美人から言われるそれは凶器だよ」
女子から見ても美人と評判の保健医。
感情は読めないが気品のある顔立ち、サラサラとした光沢のある長髪、すらりとした美脚を持つモデル体型。
校内で顔を合わせればどの女子生徒も黄色い声を上げる憧れの的。
それが小塚文芽という養護教諭だ。
対する名雲少女は活発さの中にあどけなさが残る顔立ちで、いかにも運動が好きそうなボーイッシュ少女。
しかし彼女の性格に反して、体は肉付きが少なく、陽の光を知らない真っ白な肌がどこか儚さを帯びている。
これでも以前よりは太ってきたので、小塚はほんのりと口角を上げて彼女の頭を撫でた。
「健康的になってきた、と訂正しよう。すまなかったな、ツバサ」
「うーむ……許し難いことではありますが、お膝元が心地よいので許す!」
猫が甘えるように、少女──名雲ツバサは小塚に頬を擦り寄せた。
「しかし、確かにDDOのレイドバトルは実に一年ぶりだ。いったいどんな……」
ツバサのスマホ画面を眺め、小塚は絶句した。
画面に映るそれは正しく新イベントの告知。
だが視覚情報から得られたのは『大漁』の二文字と、海から飛び出た巨大マグロだった。
「……ツバサ、ひとつ言っておく」
「ん、なーにせんせ?」
「マグロ服で空を飛ぶのはやめてくれ」
小塚──いやビブリオフィルはツバサを膝から下ろし、切実に、それはもう切実に頼み込んだ。
デカいマグロの隣に立たされる自分の姿を想像したら、ゲンナリもする。
私は漁師ではないのだ。と、小塚は目で訴える。
「先生ミニコンだもんねー!」
卓上に飾られたミニチュアを横目に、ツバサはにぱーっとした笑顔で言った。
ミニコン。またはミニ・コンプレックス。
その特性は、小さなものしか愛せない。
高身長に生まれ、日々『大きい』に悩まされてきた小塚にとって小さきものは心の癒しだった。
──確かに邪魔そうだ。
ツバサは小塚のメロン級バストを眺めて思う。
先程から後頭部に感じていた分には、心地よい枕であったそれが自分にあったらと想像し──それはそれで面白そうだと呑気に妄想を膨らませる。
「私の体を見て何を連想・妄想しているかは想像にかたくないが、君はまだ15だ。きちんと食事を摂ってたくさん寝ていれば、今からでも育つだろう」
そう言いながら時計を指さす。
もうじき12時。昼休みを迎えようとしていた。
「はーい! 購買いってきまぁす!」
「私の分も頼む。どうせここで食べていくだろう?」
「おにぎり? パン?」
「穀物の塩化ナトリウム漬けが好ましい」
「塩むすびね!」
そんなやりとりを経て、ツバサは保健室の扉に手を掛け──「あっ」と何かを思い出し、くるりと振り返った。
「空の飛び方なら見つけたから、大丈夫だよ!」
そう言って、購買競争へ赴くのだった。
走り去っていくその背中を見送り、小塚は顎に手を添える。
「……空の飛び方。なにかクエストを見つけたか?」
昔から『空』に憧れを抱いていることは知っていた。
それが日に日に膨らんでいることも。
「……姉さん。私も大人になったようだ。ちいさな少女の夢が叶うことを願わずにいられない」
一息ついて、蝉の鳴き声に耳を傾ける。
しばらくすると廊下からバタバタと足音が聞こえてきて、保健室の扉が勢いよく開けられた。
「先生先生〜っ!! 見てよこの特大爆弾おにぎり! なんと唐揚げと山賊焼きと竜田揚げとチキン南蛮が詰め込まれた玉手箱や!」
「……そうか、デカいな。それで私の分はどうした?」
「これ買ったらお小遣い全部ないなった。ふたりで食べよ♡」
顔よりデカいおにぎりを見て楽しそうにはしゃぐ姪っ子に、小塚は眉間を摘む。
いったい幾ら使ったのか、聞こうとして──やめた。
「はぁぁ〜〜っ、仕方あるまい」
「食べ切れるかなぁ! 攻略しがいがあるぅー!」
「本気を出せ。ツバサが買ってきたものなのだからな」
二人で特大のおにぎりにかぶりつく。
どういうわけか、ひと口で具材にたどり着かない。
これは長期戦になりそうだと、小塚は引き出しの中に胃薬があったことを思い出しながら二口目に突入する。
当たったのはチキン南蛮だ。味は正直、美味い。
「もぐもぐ……それで、飛行スキルを見つけたのか?」
「ガツガツ……まだ! でもそれらしいエクストラクエスト見つけてさ。もしかしたら飛べるようになるかも」
「そうか。もぐ…………ん?」
飛行が可能になるエクストラクエスト。
《機械仕掛けの晦冥》以外で見つけたなら、それは。
──新たなユニーククエストではないか?




