#83. 抑止力の目
姫園邸・東棟・特設VRルーム。
一人のメイドが、一人の見習いの上に跨っていた。
傍から見ればうらやまけしからんことこの上ない状況だが、しかし。
メイドは眉間に皺を寄せ、怒りに震えながらボーイを取り押さえ。
対するボーイは表情を変えず、上司の瞳を覗き込んでいる。
「遠野さん、落ち着いて……」
メイドを制したのはボーイではなく、一部始終を見ていたボディーガード・五十嵐柳也。
あくまで第三者として冷静に対応しているが、メイド・遠野菫子の気持ちも分からないでもなかった。
故に、声は掛けども引き剥がそうとはせず。
遠野の言葉を待っていた。
「もう一度、お聞きします。なぜ、止めなかったのですか」
獣のような鋭い眼光が青年を睨み付ける。
質問の意図は単純。
なぜヒメの近くに居ながら、ユヅキの接触を許したのか──?
「恩を返すためだ」
ボーイ・影内透真は端的に、顔色一つ変えずそう答えた。
VR・AR機能を搭載した義眼を受け取っておいて、姫園ユリの命令に背いたことが恩返しと言うのか。
否。そんなものは恩返しではなく──。
「透真さん、あなたがお嬢様に返したのは仇ですよ。これでプレイヤー・ユヅキは疑念を抱いてしまったのですから」
「じゃあ、あんたらはこのままでいいと、そう思っているのか?」
このまま、つまり──特定プレイヤーへの過剰な贔屓を続けさせるのか?
「あんたらが姫園ユリを想うなら、止めるはずだ。こんなことしたって誰も得をしない」
──我ながら、らしくないことを言う。
しかし透真はあくまで利己的だ。
貰った義眼は整備にも金が掛かる。
己が得をするためには、サポーターである姫園ユリが居てもらわなければ困るのだ。
稼げさえすればいい。
自分が得をするなら相手に優れた武器を与える。
そうやって、己の欲を優先しすぎたあまり他人を貶め利用してきたわけだが。
──そんなの楽しくなんてない。
──そんなのゲームじゃない。
その声が、脳裏に焼き付いている。
──あぁ、そこまで言うなら試してみようじゃねぇか。
なに、恐れることはない。
だってこれは『ゲーム』だ。
失敗すれば全てを失いゲームオーバー。
全員が得をして自分はさらに利益を得ればゲームクリア。
なんと分かりやすいハイリスク・ハイリターンだろう。
「公平性を失ったゲームはゲームじゃねぇ。楽しいもクソもない。もしカナメが自分の違和感に気付いた時、つまり自分の力じゃなく、身内の不正で成り上がった事実に気付いた時。あんたら、いったいどうするつもりなんだ?」
「それは……」
「記憶を消すか?」
そう問いを投げると、わずかだが自分を押さえつける手が緩んだ。
やはり、《フルダイバーズ》には記憶を消去する機能があると見ていいだろう。
恐らく限定的。フルダイブの性質上、脳に直接電気信号を送るとはいえ、プレイヤーが使うのはちっぽけなマシンだ。
いくら姫園財閥と言えども、それだけの開発資金は用意できない。
自由な記憶改竄はできず、ゲーム中のログを抹消する程度──と、透真は考える。
それだけでも充分脅威だ。
だからこそ、ここで二人を説得し取り込まなければならない。
「友人の記憶を消したとして、そのあとは? 果たしてうちのお嬢は、友人とのゲームを楽しめるか?」
「────ッ!」
「いや……ひょっとすると、既に姫園ユリはゲームを楽しめていないんじゃないか?」
「……お嬢様のために、お嬢様を裏切れと?」
「いや、もし姫園ユリとカナメの関係性をブッ壊したいとかならそう言ってくれ。それはそれで面白そうだし」
「なにを──!」
「だが俺は恩は返すと約束した。そうする価値が、この義眼にはある」
「…………」
キュイイン……と静かに駆動音が鳴る両目は人のそれより光沢があり、遠野の顔をよく反射していた。
事故で視界を失い、仮想世界だけが自分の生きる場所と思い、がむしゃらに、ひたすらにその世界に没頭した。
形はどうあれ、透真にとってユリは現実を見せてくれた。取り戻してくれた恩人だ。
その恩を忘れるほど落ちぶれてはいない。
「決断しろ。姫園ユリを想うなら、俺に付け」
「わかりました」
「もちろんタダでとは言わ……え?」
即断即決。
遠野は透真を解放し、パンパンと手を払う。
「と、遠野さん!?」
「私の最優先は、お嬢様の幸せです。確かにお嬢様の行動に思うところはあります。五十嵐、あなたはどうです?」
「そんなの……そんなの決まっています。自分の仕事はユリ様の安全の確保。そして危険を未然に防いでこそ、真のボディーガードです」
主を想い、二人は真っ直ぐに視線を交わす。
答えは決まった。
「……なんですが、既にバレてしまった以上、混乱は避けられないのでは?」
五十嵐の疑問は最もだった。
ユヅキ──月崎結依の疑念はやがて確信に至る。
「いや、あー見えてユヅキは臆病者だ。だから警告はしたが引き止めなかった。だが臆病者は馬鹿じゃない。確信してない今は様子見する。その疑惑の目が欲しかった」
「疑惑を抱いたユヅキ様に、お嬢様がどのような対応をするか……ですね。なるほど、今のユヅキ様はお嬢様に対して抑止力になった。となれば表立った行動はできない……考えを改めていただけるかもしれません」
そう上手く事が運べばいいが、と透真は思慮する。
引っ掛かるのは、姫園ユリはなぜこうも事を急ぐのか。
確かに話題性のあるスキルだが、そうでなくてもあの二人なら着実にファンを獲得できたはずだ。
急ぐ理由があるとしか思えない。
「そもそもなんでカナメを贔屓するんだ?」
「お嬢様の隣に堂々と立ってもらうため。そして、いつかのディナーデートのため……と仰られていましたね」
「浮かれてやがるのか……」
──いや、あの徹底っぷりを『浮かれているから』では片付けられない。
やはり何かタイムリミットがあるのか?
と、そこまで考えて──透真は頭を掻きむしった。
それを突き止めるのが自分の役目だと認識する。
まだユヅキが抑止力になっているうちに────。




