第六章 天環の谷
エリオスの研究室では、朝早くから剣を振る音が響いていた。
――シュッ!
セレナがエクリシアを振り抜く。
銀色の刀身に、淡い白と黒の光が流れた。
「《フレイム・エッジ》!」
炎を纏った斬撃が、目の前の石柱を切り裂く。
――ズバァン!
続けて。
「《ウィンド・カッター》!」
風の刃が空気を裂く。
「《ウォーター・レイ》!」
水が地面を撃ち抜く。
「《アース・バインド》!」
土の鎖が石柱へ絡みつく。
さらに――
セレナはエクリシアを構え直した。
「《光弾》!」
白い光弾が一直線に飛ぶ。
その直後。
「《ダーク・エッジ》!」
黒い炎を纏った斬撃が、光弾の横を通り抜けた。
二つの攻撃が別々の軌道を描き、石壁へ同時に叩き込まれる。
――ドォォン!
研究室の奥が揺れた。
「……」
エリオスは何も言わなかった。
ただ、目の前の光景を見つめている。
セレナは息を切らしながら振り返った。
「どうですか?」
エリオスは答えない。
「エリオスさん?」
「……もう一度」
「え?」
「今の魔法を、最初から全部やってみろ」
セレナは首を傾げながら、もう一度構えた。
火
風
水
土
光
闇
さらに聖の力による身体強化。
魔の力による魔力干渉。
セレナは一つずつ使い分けていく。
エクリシアが、その流れに合わせて淡く輝く。
やがて、最後の一撃を終える。
静寂。
エリオスはゆっくりと歩き出した。
床に残った炎の跡。
砕けた石。
消えかけた雷の痕跡。
黒い魔力の残滓。
そして、白い聖光。
一つずつ確認していく。
「……火」
「風」
「水」
「土」
最後に、白と黒の力を見る。
「……光」
「そして……闇」
エリオスの表情が変わった。
「君は……」
セレナが振り返る。
「はい?」
「聖と魔、両方の力を持っているだけではないのか」
「……?」
エリオスはセレナを見る。
「火も、風も、水も、土も扱える」
「さらに光と闇まで……」
言葉が途切れる。
「そんな……」
エリオスは目の前の少女を見つめた。
何十年も古代剣を研究してきた。
聖剣使いも見てきた。
魔剣使いも見てきた。
複数属性を扱う魔術師も知っている。
だが――
「一人の人間が、ここまで多くの力に適性を持つなど……」
エリオスの声が震えた。
「聞いたことがない」
セレナは驚く。
「そんなに珍しいんですか?」
「珍しいどころではない」
エリオスは即答した。
「君は、自分が何を持っているのか分かっていなかったのか?」
「……うん」
セレナは少し困ったように笑う。
「使えるから使ってただけで……」
エリオスは黙り込んだ。
そして、ふとエクリシアを見る。
銀色の刀身。
白と黒の力を受け止めながら、火や風、水、土の流れにも対応している。
「……分かったぞ」
セレナが顔を上げる。
「何が?」
エリオスは、長年の研究で初めて答えに辿り着いたような顔をしていた。
「君が……エクリシアに選ばれるわけだ」
「……私が?」
「ああ」
エリオスは頷いた。
「エクリシアが求めていたのは、聖と魔を持つだけの者ではなかった」
「一つの力に偏らず、いくつもの力を抱えながら、それでも自分自身を失わない者」
「君は、それを自然にやっている」
セレナは自分の手を見る。
「……私が?」
「そうだ」
エリオスは静かに笑った。
「私が何十年も研究して、ようやく理解した」
「エクリシアは、力の多さだけを求めたわけではない」
「それぞれ違う力を抱えながら、それを一つの自分として扱える者を選んだのだ」
セレナはエクリシアを見る。
「……だから、私を」
「ああ」
エクリシアが淡く輝いた。
まるで、その言葉に応えるように。
◆
しばらくして。
エリオスは、研究室の壁に背を預けた。
「だが――」
「君には問題がある」
セレナが振り返る。
「問題?」
「ああ」
エリオスは真剣な顔になる。
「君は、使える力が多すぎる」
「……それって、悪いこと?」
「力が多いこと自体は悪くない」
「だが、今の君では、その全てを長時間使い続けることはできない」
セレナは黙った。
確かに。
魔法を連続して使えば、すぐに息が切れる。
エクリシアを使っていても、魔力そのものが無限になるわけではない。
「だから、次の修行が必要だ」
セレナの表情が変わる。
「……次の修行?」
「ああ」
エリオスは少し考えた。
「前にも話したと思うが――」
エリオスは古い地図を取り出した。
「魔力総量を上げるための地がある」
地図の中央。
山々に囲まれた場所に、古い文字が記されている。
「《天環の谷》だ」
セレナが地図を見る。
「天環の谷……」
「そこは、大地に魔力が集まり続けている場所だ」
「魔力の濃度が、普通の土地とは比較にならない」
「そこで身体を鍛え、魔力を使い続ければ、君の魔力の器も少しずつ広がるはずだ」
セレナは頷いた。
「……行きます」
迷いはなかった。
「私には、まだ足りないから」
エリオスは地図を渡す。
「そうだ」
「君には、まだ伸びしろがある」
セレナは地図を受け取った。
◆
ふと。
セレナはエリオスを見る。
「エリオスさんは……どうして行かなかったんですか?」
エリオスの手が止まった。
「天環の谷へ?」
「うん」
「知っていたんですよね?」
「ああ」
エリオスはしばらく黙っていた。
やがて、小さく笑う。
「……行く必要がないと思っていた」
「え?」
「私は、自分の知識があれば十分だと思っていた」
「エクリシアについて研究すれば」
「古代の記録を読み解けば」
「いつか剣が私を認めると思っていた」
セレナは黙って聞いている。
「だが、本当は違った」
エリオスは自分の手を見る。
「魔力が足りないなら、増やせばよかった」
「身体が弱いなら、鍛えればよかった」
「なのに私は、努力するより先に――」
少し苦笑する。
「選ばれることばかり考えていた」
セレナは何も言わなかった。
「それが、私の失敗の一つだったのだろう」
エリオスは地図を指す。
「だから、君には同じ失敗をしてほしくない」
「自分を変えるために必要なら、行け」
セレナは強く頷いた。
「はい」
◆
数日後。
セレナは封印の地を出発した。
背中には荷物。
腰にはエクリシア。
胸元には、エリオスから渡された研究ノート。
そして手には、月蝕の羅針盤。
「行ってきます」
エリオスが頷く。
「無理はするな」
「はい」
「だが、限界は自分で決めるな」
セレナが笑う。
「……難しいこと言いますね」
「研究者は難しいことを言うものだ」
「ふふっ」
セレナは歩き出した。
◆
数日後。
天環の谷。
セレナは谷の入口に立っていた。
「……ここが」
霧のようなものが、谷全体を覆っている。
だが、普通の霧ではない。
魔力だった。
空気そのものが淡く輝いている。
セレナは一歩踏み込む。
――ズン。
身体に重圧がかかった。
「……っ」
足が止まる。
「これが……魔力の濃さ……」
一歩。
また一歩。
歩くだけでも身体が重い。
それでも進む。
やがて、谷の中へ入った。
◆
最初の修行は、単純だった。
走る。
剣を振る。
魔法を使う。
そして――
休む。
また走る。
セレナは毎日、それを繰り返した。
「はぁ……はぁ……」
足が震える。
それでも立つ。
「もう一回……」
エクリシアを握る。
「《フレイム・エッジ》!」
炎の斬撃。
「《ウィンド・カッター》!」
風の刃。
「《ウォーター・レイ》!」
水の弾丸。
「《アース・バインド》!」
土の鎖。
さらに――
「《光弾》!」
白い光弾。
「《ダーク・エッジ》!」
黒い炎の斬撃。
一つずつ。
混ぜない。
それぞれの力を、それぞれの役割で使う。
そして、魔力が尽きかけたら休む。
また回復したら使う。
少しずつ。
少しずつ。
身体が、谷の魔力に慣れていく。
◆
一週間。
二週間。
三週間。
セレナの動きは変わっていった。
最初は一つの魔法を使うだけで息が切れていた。
だが今は違う。
「《アース・バインド》!」
土の鎖。
「《ウィンド・カッター》!」
その隙間を風の刃が走る。
「《光弾》!」
さらに光弾を撃ち込む。
そして。
「《ダーク・エッジ》!」
黒い炎の斬撃。
エクリシアが、セレナの魔力の流れに合わせて輝く。
火から風へ。
風から水へ。
水から光へ。
光から闇へ。
切り替えが、以前より自然になっていた。
セレナは驚く。
「……エクリシア」
刀身が淡く輝く。
「私の魔力の流れを覚えてるの?」
答えはない。
だが。
次の魔法へ切り替える瞬間。
エクリシアの力が、先回りするように流れを整える。
「……すごい」
セレナは笑った。
「一緒に成長してるんだ」
◆
ある日。
谷の奥で、巨大な湖を見つけた。
水面には、魔力の光が浮かんでいる。
「綺麗……」
だが――
湖の中央。
水面が大きく盛り上がった。
「……え?」
――ゴォォォン!
巨大な魔物が姿を現した。
全身を黒い鱗で覆った、水棲の魔物。
これまで戦った魔物とは比べものにならない。
「……大きすぎる」
魔物が咆哮する。
――グオオオオオ!
水面が爆発する。
セレナはエクリシアを構えた。
「……やるしかない!」
魔物が突進してくる。
「《アース・バインド》!」
土の鎖が地面から伸びる。
魔物の脚に絡みつく。
――バキィン!
一瞬で砕かれた。
「なら!」
セレナが横へ跳ぶ。
「《ウィンド・カッター》!」
風の刃。
「《ウォーター・レイ》!」
水の弾丸。
魔物の身体が一瞬だけ止まる。
「今!」
「《光弾》!」
白い光弾が直撃する。
だが――
魔物は倒れない。
「まだ……!」
魔物の口から黒い魔力が噴き出す。
セレナはそれを感じ取った。
「……闇の魔力」
「だったら!」
エクリシアを構える。
「《ダーク・エッジ》!」
黒い炎を纏った斬撃が走る。
魔物の身体を切り裂く。
だが、その傷口からさらに黒い魔力が溢れる。
「くっ……!」
セレナは後退する。
魔物が再び突進する。
「来い!」
セレナは踏み込んだ。
「《フレイム・エッジ》!」
炎を纏った斬撃。
魔物の動きが止まる。
その瞬間。
「《ウィンド・カッター》!」
風。
「《ウォーター・レイ》!」
水。
「《アース・バインド》!」
土。
三つの力で魔物の動きを封じる。
そして。
セレナはエクリシアを両手で握った。
白い光。
黒い闇。
二つの力が、それぞれ刀身を流れる。
「光も……」
白い光が強くなる。
「闇も……」
黒い力が強くなる。
「全部、私の力!」
セレナは踏み込んだ。
「《エクリシア・ツインレイ》!」
白と黒。
二つの斬撃が交差する。
一つは魔物の身体を切り裂き。
もう一つは、傷口から噴き出していた闇の魔力を断ち切る。
――ズガァァァン!
巨大な魔物が崩れ落ちた。
湖面が静かになる。
セレナはその場に膝をついた。
「……はぁ……はぁ……」
身体は限界に近い。
それでも。
「……まだ、魔力が残ってる」
セレナは驚いた。
以前なら、とっくに動けなくなっていた。
エクリシアも淡く輝いている。
「私も……」
「エクリシアも……」
セレナは笑った。
「強くなってる少しづつ」
◆
その夜。
湖畔。
セレナは焚き火の前に座っていた。
月を見上げる。
「リュウガ……」
「カイル……」
二人の顔を思い出す。
「私も、少しは追いつけたかな」
エクリシアが淡く光る。
「……まだまだだよね」
セレナは笑った。
「じゃあ、もっと強くなる」
その瞬間。
腰に下げた月蝕の羅針盤が震えた。
「……え?」
セレナが取り出す。
針が動いている。
これまでとは違う。
天環の谷を指していた針が――
ゆっくりと別の方向へ向きを変える。
「……どこへ?」
針が示した先。
そこには、遠い山々。
そして、そのさらに向こうに広がる――
何もない空。
「空……?」
セレナは眉をひそめた。
羅針盤の裏蓋を見る。
白い線。
黒い線。
そして――
銀色の線。
銀色の線が、ほんの少しだけ伸びていた。
まだ、完全には繋がっていない。
セレナはそれを見つめる。
「……何かが変わった」
エクリシアが静かに輝く。
「エクリシアが目覚めたから……?」
答えはなかった。
ただ。
羅針盤の針だけが、遠くを指していた。
◆
その頃。
遠く離れた山では、リュウガが木刀を振っていた。
「遅い」
ゼインの声が飛ぶ。
「……はい!」
リュウガが踏み込む。
受ける。
流す。
そして――
最後に斬る。
以前とは違う動きだった。
ムーンブレイドの力に頼るのではない。
自分自身の力で戦う。
ゼインは頷いた。
「少しは形になってきたな」
リュウガは息を切らしながら笑う。
「まだまだです」
その時。
地面に置かれていたムーンブレイドが――
かすかに震えた。
「……?」
リュウガが振り返る。
白銀の刀身に、一瞬だけ銀色の線が走った。
「今の……何だ?」
ゼインは何も答えなかった。
ただ、遠くの山を見つめていた。
◆
別の場所。
カイルも修行を続けていた。
深い森の中。
その前には、三体の魔物がいた。
狼に似た姿。
だが、その身体は黒い毛に覆われ、足元には濃い魔力がまとわりついている。
――影狼。
素早い動きと連携を得意とする魔物だ。
三体が低く唸る。
カイルはヴァルグレイヴを構えた。
「……三体か」
次の瞬間。
――ダッ!
三体が一斉に駆け出した。
カイルは動かない。
一体目。
二体目。
そして三体目。
その動きを、冷静に見ている。
「……右」
一体目が飛び込んでくる。
カイルは半歩だけ身体をずらした。
爪が頬をかすめる。
そのまま懐へ入り込む。
「そこだ!」
――ズガァン!
ヴァルグレイヴの一撃が影狼を吹き飛ばす。
残り二体が左右から迫る。
カイルは後ろへ下がらない。
左の影狼が踏み込む。
「来る!」
身体を低くする。
爪をかわす。
そのまま横へ回り込む。
「――《ヴァルグレイヴ・ファング》!」
黒い炎を纏った斬撃が走る。
――ズガァン!
二体目が倒れる。
最後の一体が背後から迫る。
カイルは振り返らない。
足音。
地面を踏む感触。
魔力の流れ。
それだけで、位置が分かる。
「……そこだ」
カイルは身体を捻った。
――ガキィン!
ヴァルグレイヴが爪を受け止める。
「捕まえた!」
黒い炎が刀身を包む。
「終わりだ!」
――ズガァン!
最後の影狼が吹き飛び、地面へ倒れた。
静寂。
カイルはヴァルグレイヴを下ろす。
「……ふぅ」
ヴァルグレイヴが静かに響く。
『悪くない』
「だろ?」
『だが、まだ遅い』
「はいはい」
カイルは苦笑する。
「前よりはマシになっただろ?」
『ああ』
「おっ」
『だが、まだ我の力の速度に追いついてはいない』
「そこまで言われると、腹立つな……」
カイルが笑った。
だが――
その瞬間。
ヴァルグレイヴの刀身に、一瞬だけ銀色の光が走った。
「……またか」
カイルが眉をひそめる。
「最近、時々こうなるよな」
ヴァルグレイヴはしばらく沈黙していた。
やがて――
『……目覚めたか』
「何が?」
『一振りの剣だ』
「剣?」
カイルがヴァルグレイヴを見る。
「敵か?」
『違う』
「じゃあ、何なんだ?」
ヴァルグレイヴの声が、いつもより低くなる。
『聖魔剣』
「……エクリシア?」
カイルは初めて聞く名前だった。
「何だ、それ」
『我が遠い昔に知っていた剣だ』
「お前が?」
『ああ』
ヴァルグレイヴの中に、断片的な記憶が浮かぶ。
白い光。
黒い闇。
そして、その二つの間に立つ銀色の剣。
『……かつて、我らは一つだった』
カイルは目を見開く。
「一つ……?」
『だが、今は違う』
『エクリシアは、聖でも魔でもない』
『二つの力の間に立つ剣だ』
カイルは黙って聞いていた。
「じゃあ……そのエクリシアって剣を、誰かが持ってるのか?」
『そうだ』
「誰だ?」
ヴァルグレイは一瞬、沈黙した。
そして――
『……セレナだ』
「……!」
カイルの表情が変わった。
「セレナが?」
『ああ』
「いつ?」
『つい先ほどだ』
ヴァルグレイは静かに答える。
『エクリシアが目覚めた』
カイルは空を見上げた。
「……セレナ」
幼い頃から一緒だった少女。
今は別々の場所にいる。
そのセレナが、自分の知らない剣を手にした。
「……あいつも、ちゃんと強くなってるんだな」
『そうだ』
「なら――」
カイルはヴァルグレイを握り直した。
「俺も負けてられねぇ」
『その意気だ』
カイルは笑う。
「なあ、ヴァルグレイ」
『何だ』
「そのエクリシアって剣……いつか、俺もこの目で見てみてぇな」
『いずれ、セレナと会うことになる』
「……分かるのか?」
ヴァルグレイは答えなかった。
ただ、黒い刀身の奥で――
銀色の光が静かに脈動していた。
◆
天環の谷。
セレナはもう一度、月蝕の羅針盤を見る。
銀色の線は、まだ途中までしか伸びていない。
白。
黒。
銀。
三つの光。
三本の剣。
まだ揃ってはいない。
リュウガは、エクリシアの存在を知らない。
カイルは、ヴァルグレイからその名を知らされた。
そしてセレナは――
その剣を自分の手に握っている。
三人の認識は、まだ同じではない。
それでも。
三本の剣は、確かに互いの存在を感じ始めていた。
そして、その先には――
三本の剣が初めて作られた場所。
さらにその奥には。
古代の門が眠っている。
三つの剣が、かつて何かを封じた門。
あるいは――
三つの剣によって、何かを目覚めさせる門。
その答えを知る者は、まだ誰もいない。
月蝕の羅針盤だけが。
静かに。
その先を指していた。
**第六章・完**




