第2話 ~いざ、美術部~
その日、私は特急で美術部に入部届けを出し、授業が終わると美術室という名の部室に行った。
「失礼しまーす……」
私は小さな声で挨拶をして美術室の扉を開ける。小さな声過ぎて誰にも気づかれなかったので、しばらく扉の隙間から中を観察してみた。
美術部は本当に緩い空気で、リンゴをデッサンしている人や、窓の外を見ながらキャンバスに向かっている人、黒板に落書きしながらお喋りしている人達もいた。先生は特に注意する訳でもなく、皆のところを回りながらアドバイスをする。黒板の落書きにもそうするのだから自由な先生だ。
「あ、御波さん」
私の存在に一番に気づいてくれたのは明野先輩だった。先輩はスケッチブックと首に掛けていた画板を座っていた椅子に置いてこちらに来た。
「早速来てくれたんだ。嬉しいよ」
「えへへ……」
そう言われると私も嬉しい。
「ここは見ての通りなんでもしていいんだけど、『なんでも』って何していいかわからないよね」
「ええ……まあ……」
明野先輩は私の心を見透かしたかのように優しく語りかけてくれた。
「リンゴのデッサンに交ざってみる? 初心者にはちょうどいいよ」
「あ、じゃあそうします」
私は明野先輩が棚から持ってきてくれた備品を受け取り、椅子を動かしてリンゴに向かった。
しかしまあ、突然上手く描ける訳もなく、歪でやたら陰の濃い奇妙なリンゴができあがった。私は落ち込む。明野先輩みたいな凄い絵を見た後だとなおさら自分の絵の下手さに嫌気がさす。
「うう~……」
私は画板に顔を埋めた。
「御波さん、どうしたの?」
明野先輩の声がして、私は顔を上げた。
「明野先輩みたいに描けないんです~……」
明野先輩は私の言葉にくすりと笑う。
「僕みたいに描かなくていいんだよ。御波さんには御波さんの良さがあるんだから」
「明野先輩……」
明野先輩の考え方は、なんだか広い世界を見ているよう。
「でもやっぱり上手く描きたいです……」
私はちょっぴりむくれる。
「なら、その第一歩を教えてあげる」
「第一歩?」
なんだろう……。
「それはね、描く前に対象をよく観察すること」
明野先輩は人差し指を立てた。
「観察?」
「そう。ここは丸いなとか、ここは明るいなとか、とにかく観察して。それから描いてみる」
「観察……」
私はリンゴをちらりと見た。
「まあでも、今日はそろそろ時間的にもう一回描くのは厳しそうだから明日にしたら?」
明野先輩の言葉に私は黒板の上にある時計を見た。もうこんな時間か……。熱中していて気づかなかった。
「でも、微妙に時間が余るね」
確かに微妙な時間だ。
「僕とお喋りでもする?」
「えっ!」
唐突な申し出に私は胸を高鳴らせた。明野先輩と親睦を深めるチャンス……!
でも何を話す……? そうだ。
「あのっ! 明野先輩の作品を見たいですっ!」
「僕の?」
私はコクコクうなずく。そんな私に先輩は柔らかく微笑んだ。
「良いよ」
そう言って「おいで」と手招くので明野先輩の後をついて行った。
明野先輩は棚にしまわれているキャンバスをいくつも引っ張り出す。
「これだよ。そろそろ持って帰れって怒られるかな」
私はキャンバスを手に取ってまじまじと見た。
風景画もあれば、人物画も、抽象的なものもいろいろあった。優しい色合い、寂しげな視線、荒々しい筆使い……。明野先輩の絵はいろんな表情を見せてくれた。
でも、共通するのは……。
「私……やっぱり明野先輩の絵、好きです……」
私はうっとりと……見惚れてしまっていた。
「そっか」
明野先輩を見ると、恥ずかしそうに頬を染め、人差し指で顔を掻いていた。私もなんだか照れてしまう。
すると……。
「よっ! ご両人! お似合いですぜ!」
声のした方を見ると、キャンバスに向かっていた男子生徒がこちらを見てニヤニヤと笑っている。たぶん先輩だろう。
私は顔に熱がカッと上るのを感じた。まあ……あんなたいそうな告白をしたのだ……私達のことを知っていてもおかしくない……けど! やっぱり恥ずかしい!
そう思っていると、明野先輩が少し怒ったような声と顔つきで告げた。
「僕のことはなんて言ったっていいけどさ、御波さんのことをからかうのはやめてよね」
先輩の男子生徒は
「へいへい」
と口にしてまたキャンバスに向かった。
明野先輩が私を庇ってくれたのは素直に凄く嬉しい。
でも、恋人であるかのような言動を否定されたと思って少し悲しいのは身勝手だろうか。
そんな私の心を見透かしたかのように明野先輩は柔らかく言った。
「ねえ、御波さん。この後一緒に帰ろっか」
「!? いいんですか!?」
「だって友達でしょ?」
「……」
『友達』……か……。
するとまた先輩男子生徒が声を上げた。
「お前、いっつも遅くまでいるくせに」
「え……」
私はぽかんとした。
明野先輩は呆れた声で言う。
「女の子を遅くまでいさせられないでしょ」
「ふーん」
先輩男子生徒はそれだけ呟いてキャンバスに筆を走らせる。
「……」
友達、かもしれない。でも、明野先輩が私の為に行動してくれるのが……嬉しくて。私は人知れず笑顔になった。
浮いたり沈んだり忙しいな、私。そういうのが恋、なのかもしれない。




