価値
死になにかしらの価値はあるでしょうか?
生きている、だけに価値などそもそもあるのでしょうか?
考えても見てください。
毎日毎日人は死ぬ。
だれかは死んでしまうのです。
誰も死なない日なんてない。
それを悲しむ人は多かれ少なかれいるでしょう。
でもそれが全くの赤の他人なら?
面識がない知らない人なら?
世界の裏で誰か死んだら貴方は悲しみますか?
つまり、他人にとって無関係な物に価値など存在しない。
仮に今私が死んだとして悲しむのは親、親友、恋人、兄弟、子供。
家族だけです。
しかし、私には価値など最初からありはしない。
私自身の価値など、他人からの私の価値なんて無価値で、無意味で、なにもない。
失敗だけの毎日。
無為に浪費する時間。
中身などない中傷。
憎しみや怒りの目線。
気持ちの悪いものを見る目線、見くだし蔑む言葉、それを受ける誰にもわからない苦痛、わかってもらえない苦しみ、ここまで落ちてしまった自分に対する怒り。、
無価値で、無意味で、意味などない。
私には、生きる、ではなく、生きている、が正しい。
生かされている。
誰かの優越感の為に。
誰かの支配欲の為に。
誰かの暴力を受ける為に
誰かの劣等感を満たす為に。
私が生きている価値はあるのでしょうか?




