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ずっと普通だった幼馴染と、今日から恋人ごっこを始めます  作者: Atelier Lotus


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第94話 紹介したい人

 数日後。


 夕食を終えた縁之丞は、父の清之丞に呼び止められた。


「縁之丞、少しいいか」


「何?」


 居間へ行くと、楓も座っている。


 二人とも穏やかな表情だった。


 だが、どこか真面目な空気が漂っていた。


 清之丞は一枚の写真を差し出す。


「この人だ」


 写真には、一人の女性が写っていた。


 艶やかな黒髪。


 整った顔立ち。


 真っ直ぐな姿勢。


 穏やかな雰囲気の中にも、どこか凛とした強さを感じさせる。


「天音弓香さん。二十歳だ」


「……見合い?」


 縁之丞は写真から目を離さないまま尋ねる。


「ああ」


「許嫁をやめたばかりなのに、もう見合いか?」


 露骨に嫌そうな顔になる。


 楓が苦笑した。


「そう思うわよね」


「でも、新しい婚約を決める話ではないの」


 清之丞が説明を続ける。


「天音家からは、以前から紹介の話が来ていた」


「お前たちが許嫁だったから断っていたが、白紙になったことで改めて連絡をいただいた」


「断ればいいだろ」


「それも考えた」


 清之丞は頷く。


「だが、せっかくの機会だ」


「本子ちゃん以外の女性とも話した上で、自分が誰を選びたいのか考えてみろ」


「会うだけでいいわ」


 楓が優しく続ける。


「気が合わなければ断って構わない」


「天音さんも、そのつもりで来てくださるそうよ」


「向こうも納得してるの?」


「あくまで顔合わせだから」


 縁之丞は写真を見る。


 綺麗な人だとは思う。


 だが。


 だから会いたいという気持ちにはならない。


「嫌そうね」


 楓が微笑む。


「当たり前だろ」


「じゃあ、会わない?」


 その言葉に、縁之丞は少し考えた。


 会わない理由はある。


 だが。


 会う理由もある。


 自分の気持ちを確かめるため。


 本子以外の女性と話した時、自分は何を思うのか。


 それを知る機会なのかもしれない。


「……一度だけなら」


 清之丞と楓は静かに頷いた。


     ◇


 同じ頃。


 本子もまた、彩葉に呼ばれていた。


「本子、ちょっといい?」


「何?」


 居間へ行くと、隼人も座っている。


 彩葉が一枚の写真を差し出した。


「この方よ」


 本子は写真を見る。


 優しそうな青年だった。


 知的な雰囲気で、穏やかな笑みを浮かべている。


「市之瀬匠さん」


 隼人が説明する。


「二十六歳」


「アルカディア製薬の重役を務める方のご子息で、ご本人は大学病院で外科医として働いている」


「正確には、専門研修中の専攻医だけどね」


 彩葉が付け加える。


「十歳も上なんだけど」


 本子は戸惑った。


 高校生の自分には、二十六歳という年齢はあまりにも遠い。


「すぐに交際や結婚を決める話じゃないの」


 彩葉が言う。


「家同士に以前から交流があって、一度会ってみませんかというお話よ」


「市之瀬さんご本人も、本子が学生の間に結論を急がせるつもりはないと話してくださっているわ」


「会うだけ?」


「ええ」


 隼人が頷く。


「嫌なら断って構わない」


「会うことさえ嫌なら、今ここで断ってもいい」


 本子は写真を見つめた。


 条件だけを見れば、とても立派な人だった。


 けれど。


 写真だけで決めるのは違う気がする。


「……一度だけ会ってみる」


 彩葉は安心したように微笑んだ。


「ありがとう」


     ◇


 翌日の帰り道。


 本子は何気ない様子で尋ねる。


「今度の日曜日、暇?」


 以前も聞いたことがある質問だった。


 あの時は。


 二人で動物園へ行く約束をした。


 だから今回も。


 どこか期待していた。


 しかし。


 縁之丞は、すぐには答えなかった。


「用事がある」


「何の?」


 少しだけ間が空く。


「……見合い」


 本子の足が止まりそうになる。


「誰と?」


「天音弓香って人」


「そう」


 その一言しか返せなかった。


 胸の奥が少しだけ苦しくなる。


 縁之丞も本子を見る。


「本子は?」


「私も、見合い」


「相手は?」


「市之瀬匠さん」


「何してる人?」


「お医者さん」


「何歳?」


「二十六歳」


 縁之丞が眉をひそめる。


「年上すぎないか?」


「すぐに結婚する話じゃないよ」


「そうか」


 それ以上、言葉が続かない。


 沈黙のまま歩き続ける。


 本子は思う。


 嫌なら行かなくてもいいんじゃない。


 そう言ってほしい。


 もっと本当は。


 行かないで。


 そう言ってほしかった。


 きっと。


 縁之丞も同じことを考えている。


 けれど。


 二人はもう許嫁ではない。


 本当の恋人でもない。


 相手の人生を止める資格なんて、どこにもなかった。


 夕日に伸びた二人の影は。


 いつものように並んでいる。


 それなのに。


 互いを引き止める言葉だけは。


 まだ、持っていなかった。

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