第90話 手、繋ぐ?
夕方。
二人は駅を出て、家へ向かって歩いていた。
服屋へ行って。
本屋へ寄って。
喫茶店で休憩した。
今日一日やってきたことは、以前の放課後デートとほとんど変わらない。
特別な場所へ行ったわけでもない。
それなのに。
二人とも、いつもより少しだけ静かだった。
「……」
「……」
気まずいわけではない。
話したいことがないわけでもない。
ただ。
相手を意識しすぎて、何を話しても変に聞こえてしまいそうだった。
本子は隣を歩く縁之丞を見る。
服屋では、何度も目が合った。
本屋では、近づくだけで落ち着かなくなった。
喫茶店では、同じストローを使っただけで二人とも顔を赤くした。
今までなら、何とも思わなかったことばかりだった。
本子は視線を前へ戻す。
縁之丞の手が、すぐ隣にある。
以前なら。
帰り道では自然に手を繋いでいた。
恋人ごっこの一つとして。
縁之丞が差し出した手を、本子が何も考えず握る。
それだけだった。
けれど今日は。
どちらも手を出せない。
本子は、縁之丞の手をちらりと見る。
縁之丞も、何度か手を動かしかけては戻している。
そのことに気付いてしまい、ますます手を繋ぎにくくなった。
二人の肩が触れる。
「……」
「……」
反射的に、二人とも少し離れた。
離れてしまってから。
本子は、今度はその距離が気になった。
「何で離れるの?」
「本子も離れただろ」
「縁之丞が避けたから」
「同時だった」
「私は避けてない」
「じゃあ、戻ればいいだろ」
「縁之丞が戻って」
「何で俺からなんだよ」
「そっちが先に避けたから」
「だから同時だったって」
いつもの言い合い。
けれど。
どちらも、空いた距離を戻せない。
本子は少しだけ唇を尖らせた。
縁之丞も前を向いたまま、何も言わなくなる。
しばらくして。
二人は横断歩道へ差しかかった。
信号は赤。
並んで立ち止まる。
車が目の前を通り過ぎていく。
本子は、隣から何度か視線を感じた。
「何?」
「いや」
「さっきから何回も見てるけど」
「見てない」
「見てた」
「気のせいだろ」
「何か言いたいなら言って」
縁之丞は黙った。
少しだけ俯く。
何かを迷っているように見えた。
「……本子」
「うん」
縁之丞は小さく息を吐く。
そして。
本子へ手を差し出した。
「手、繋ぐ?」
本子は目を見開いた。
今までは、わざわざ聞かれたことなどなかった。
恋人ごっこなのだから。
手を繋ぐのは当たり前。
そういう顔をして、自然に差し出してきた。
それなのに。
今日は、確認される方がずっと恥ずかしかった。
「急に何?」
「嫌ならいい」
縁之丞が手を引こうとする。
本子は反射的に、その手を掴んだ。
「嫌とは言ってない」
二人の手が重なる。
縁之丞の手は、少しだけ熱かった。
本子も同じくらい熱くなっている気がした。
「恋人ごっこだから?」
本子は、縁之丞の横顔を見ながら尋ねる。
縁之丞はすぐに答えなかった。
「……それもある」
「それ以外は?」
「今は聞くな」
「何それ」
「本子だって顔赤いだろ」
「赤くない」
「今日は何回それ言うんだよ」
「赤くないから」
「絶対赤い」
「縁之丞の方が赤い」
「俺は普通だ」
「普通の人は、手を繋ぐだけでそんなに緊張しないよ」
「本子もだろ」
「私はしてない」
「手、汗かいてるぞ」
「縁之丞の汗でしょ」
「無理があるだろ」
信号が青へ変わる。
二人は手を繋いだまま、横断歩道を渡り始めた。
手のひらが触れている。
指が重なっている。
幼い頃から、何度も繋いできた手。
恋人ごっこを始めてからも、何度も同じように歩いた。
それなのに。
今日は、一歩進むたびに胸が高鳴った。
横断歩道を渡り終える。
いつもなら、そこで手を離してもおかしくない。
けれど。
縁之丞は離さなかった。
本子も離さない。
そのまま、二人は歩き続ける。
縁之丞の指が、少しだけ動いた。
本子の手を確かめるように。
本子も、その手を少し強く握り返した。
二人とも、そのことには触れなかった。
「今日、楽しかった?」
本子が尋ねる。
「ああ」
「前に来た時と、ほとんど同じだったけど」
「そうだな」
「何か違った?」
縁之丞は少し考える。
「前より疲れた」
「何それ」
「ずっと本子が変だったから」
「縁之丞の方が変だった」
「俺は普通だった」
「同じストローを見て固まってたくせに」
「本子もだろ」
「私は普通」
「どこがだよ」
「普通に飲んだだけ」
「その後、俺が飲んだらずっと口元を見てただろ」
「見てない!」
「見てた」
「気のせい」
「俺が使った言い訳を使うなよ」
本子は縁之丞を睨む。
縁之丞は少し笑った。
本子も、堪えきれずに笑う。
二人は言い合いながら歩く。
けれど。
繋いだ手だけは、最後まで離れなかった。
手を繋ぐことも。
一緒に帰ることも。
隣を歩くことも。
やっていることは、今までと何も変わらない。
それなのに。
繋いだ手の意味だけが。
少しずつ、変わり始めていた。




