第89話 同じストロー
本屋を出た後。
二人は少し歩き、以前にも入った喫茶店へ向かった。
「ここでいい?」
「ああ」
店内へ入り、向かい合わせの席へ座る。
本子は飲み物と小さなデザート。
縁之丞は、本子とは別の飲み物を注文した。
服屋では、本子の姿が気になって。
本屋では、距離が近くなるたびに落ち着かなくなった。
けれど。
席へ座り、向かい合って話し始めると、少しずついつもの調子に戻っていく。
「結局、本も買ったんだな」
「欲しかったから」
「さっきまで迷ってただろ」
「縁之丞が邪魔するから、ちゃんと読めなかったの」
「俺は何もしてない」
「近づいてきた」
「本を取っただけだろ」
「近かった」
「本子が動かなかったからだ」
「またそれ言う」
本子は少し不満そうにしながら、買った本を袋へしまう。
その隣には、服屋で買った服も入っていた。
「服、本当にそれでよかったのか?」
「何で?」
「俺が選んだ方にしたから」
「参考にしただけって言ったでしょ」
「ならいいけど」
「縁之丞が似合ってるって言ったから買ったわけじゃないよ」
「聞いてない」
「……一応言っただけ」
本子は少しだけ視線を逸らす。
縁之丞は、また本子の顔を見ていた。
今日一日。
自分は何度、本子の顔を見ているのだろう。
服を選んでいる時も。
本屋で隣に立っている時も。
いつもより、本子の表情ばかり気になっている。
「何?」
本子が気付く。
「別に」
「また見てた」
「見てない」
「今日はそればっかり」
「本子の気のせいだろ」
「絶対見てた」
そう言い合っているうちに、注文したものが運ばれてきた。
本子の前には、明るい色の飲み物と小さなケーキ。
縁之丞の前には、少し色の濃い飲み物が置かれる。
「いただきます」
本子は自分の飲み物へ口をつける。
それから、縁之丞のグラスへ視線を向けた。
「そっち、どんな味?」
「普通」
「普通じゃ分からない」
「甘い」
「それも見たら分かる」
「じゃあ、どう説明すればいいんだよ」
本子は少し考える。
「一口ちょうだい」
「ああ」
縁之丞は何も考えず、自分のグラスを本子の方へ押した。
本子も、いつものようにストローへ口をつける。
一口だけ飲み、少し頷いた。
「こっちの方が好きかも」
「じゃあ交換する?」
「そこまではいい」
「何だよ」
「一口で十分」
いつものやり取りだった。
今までにも何度もしている。
本子が縁之丞の飲み物を飲むことも。
縁之丞が気にせず渡すことも。
珍しいことではない。
けれど。
グラスを戻そうとして、縁之丞の手が止まった。
ストローを見る。
ほんの少し前まで。
そこに本子の唇が触れていた。
そう考えた瞬間。
急に、飲み物へ口をつけることができなくなった。
「……どうしたの?」
本子が尋ねる。
「何でもない」
「顔、赤いけど」
「店が暑い」
「冷房ついてるよ」
「本子も赤いじゃん」
「赤くない」
「赤いだろ」
「照明のせい」
「白い照明だけど」
「うるさい」
本子は視線を逸らす。
自分が何をしたのか。
今になって気付いたらしい。
二人の間に、少しだけ妙な沈黙が流れる。
縁之丞はグラスを自分の前へ戻した。
けれど。
やはり、ストローが気になる。
本子も、それを見ている。
「……飲まないの?」
「飲む」
「無理しなくてもいいけど」
「何で無理するんだよ」
「だって、さっきから止まってるから」
「喉が渇いてなかっただけだ」
「じゃあ飲まなくていいじゃん」
「飲む」
縁之丞は、意を決してストローへ口をつけた。
飲み物の味は、いつもと変わらない。
当然だった。
それなのに。
口を離すと、本子の顔がさらに赤くなっていた。
「何だよ」
「別に」
「本子が先に飲んだんだろ」
「そうだけど」
「なら、そんな顔するなよ」
「縁之丞が変に意識するからでしょ」
「本子もしてるだろ」
「してない」
「じゃあ、何で赤いんだよ」
「店が暑いから」
「冷房ついてるって言ったのは本子だろ」
「うるさい」
二人とも、飲み物から目を逸らす。
本子は気まずさをごまかすように、ケーキを一口食べた。
縁之丞も、もう一度自分の飲み物を飲む。
今度は、さっきより普通に飲めた。
それでも。
ストローへ口をつけるたびに、少しだけ本子のことを思い出してしまう。
「そのケーキ、美味しい?」
「うん」
「そう」
「食べる?」
「いや、いい」
「何で?」
「本子が食べればいいだろ」
「いつもなら一口食べるじゃん」
「今日はいい」
「変なの」
本子はそう言いながら、自分の飲み物へ手を伸ばす。
だが。
グラスを少し動かしたところで止まった。
縁之丞は、その動きを見ていた。
「何?」
「別に」
「今、こっちに動かしただろ」
「動かしてない」
「動かした」
「気のせい」
「俺にはくれないのか?」
本子の動きが止まる。
「欲しいの?」
「本子は俺の飲んだだろ」
「嫌ならいいけど」
「嫌とは言ってない」
本子はしばらく迷った。
そして。
ゆっくりと、自分の飲み物を縁之丞の方へ押す。
「……一口だけ」
「ああ」
縁之丞はグラスを受け取る。
今度は、最初から意識していた。
本子が使っていたストロー。
そこへ口をつける。
一口だけ飲み、すぐに顔を上げる。
すると。
本子が、縁之丞の口元を見ていた。
目が合う。
本子は慌てて視線を逸らした。
「何?」
「何でもない」
「さっきからそればっかりだな」
「縁之丞もでしょ」
「俺はちゃんと答えてる」
「店が暑いとか?」
「暑かったんだよ」
「冷房ついてるよ」
「もういいだろ」
縁之丞はグラスを本子へ返す。
本子はそれを受け取ったものの、すぐには飲まなかった。
「飲まないの?」
「今はいらない」
「さっきまで飲んでたのに」
「お腹いっぱいになった」
「飲み物で?」
「ケーキも食べたから」
「小さいやつだろ」
「うるさいな」
本子は頬を膨らませる。
その顔を見て。
縁之丞は少しだけ笑った。
会話はいつもどおりだった。
けれど、飲み物だけはいつもどおりにならない。
同じストローを使うことなんて。
今まで何度もしてきた。
食べ物を分けることも。
飲み物を交換することも。
幼馴染の二人にとっては、何でもないことだった。
それなのに。
今さら意識している自分たちが、妙に恥ずかしかった。
◇
喫茶店を出る。
夕方の街を、二人は並んで歩き始めた。
少しして。
本子が縁之丞を見る。
「美味しかった?」
「何が?」
「私の飲み物」
縁之丞は少し考える。
「……味、覚えてない」
「何それ」
「一口しか飲んでないから」
「一口でも分かるでしょ」
「本子は俺の飲み物の味、覚えてるのか?」
「それは……」
本子が黙る。
少し考えた後、前を向いた。
「覚えてる」
「嘘だな」
「覚えてるって」
「じゃあ、どんな味だった?」
「普通」
「俺と同じ答えじゃないか」
「普通だったんだから仕方ないでしょ」
本子は少し早足になる。
縁之丞も、その隣へ並ぶ。
本当は。
本子も、縁之丞の飲み物がどんな味だったのか。
もう覚えていなかった。




