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ずっと普通だった幼馴染と、今日から恋人ごっこを始めます  作者: Atelier Lotus


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第8話 幼馴染だから

 翌日の昼休み。


 縁之丞と本子は、いつもの中庭のベンチで弁当を広げていた。


 向かい合って昼食を取るのも、昔から変わらない日常だった。


 縁之丞は自分の弁当を半分ほど食べると、何事もないように本子の弁当へ箸を伸ばす。


 狙いは、隅に残されていた卵焼きだった。


 その瞬間。


 ぴしっ。


 本子の箸が、縁之丞の箸を挟んで止めた。


「何?」


「それ、私の卵焼き」


「一個だけ」


「自分の弁当にもあるでしょ」


「本子の方が甘くて美味しい」


「お母さんの味だからね」


 本子は少し得意そうに笑った。


「じゃあ、一つくらいいいだろ」


「勝手に取ろうとした人にはあげません」


「今止められたんだから、勝手には取ってない」


「取ろうとはしたでしょ」


「未遂だろ」


「反省してないね」


 本子は呆れたように言いながらも、卵焼きを一つ摘まむ。


 そのまま縁之丞の弁当へ移した。


「はい」


「ありがとう」


 縁之丞は嬉しそうに卵焼きを頬張った。


「やっぱり、こっちの方が美味い」


「そんなこと言ったら、おばさんが泣くよ?」


「内緒で」


「今度、言っておこうかな」


「やめろ」


 本子は堪えきれずに吹き出した。


 縁之丞も笑いながら、自分の弁当へ箸を戻す。


 いつもと変わらないやり取り。


 これまで、何度も繰り返してきたことだった。


 けれど。


 許嫁という言葉を知ってしまった今。


 縁之丞は、ふと考える。


 自分の弁当ではなく、本子の卵焼きを食べたくなること。


 本子も文句を言いながら、結局は自分へ分けてくれること。


 これは普通の幼馴染も、することなのだろうか。


 顔を上げると、本子もこちらを見ていた。


「何?」


「いや」


「縁之丞こそ、何?」


「別に」


 二人はほとんど同時に視線を逸らす。


 本子も、同じことを考えていた。



 放課後。


 二人はいつもの帰り道を並んで歩いていた。


 歩く距離も、速さも、いつもと同じ。


 けれど、会話だけがなかなか始まらない。


 昨日までなら、授業の話やゲームの話をしていた。


 話題がなくても、沈黙を気にすることはなかった。


 それなのに今日は、隣を歩く相手のことばかりが気になってしまう。


 しばらくして、縁之丞がぽつりと口を開いた。


「俺たちってさ」


「うん」


「普通の幼馴染なのかな」


 本子はすぐには答えなかった。


 少し考えた後、小さく首を横へ振る。


「普通ではない気がする」


「やっぱり?」


「うん」


 本子も、昼休みから同じことを考えていたらしい。


 二人は歩きながら、これまで自分たちがしてきたことを、一つずつ挙げていく。


「毎日、一緒に登下校してる」


「昼休みも大体一緒」


「休日もよく遊ぶ」


「二人で出かけることもある」


「手も繋ぐ」


「人が多い時だけだけどね」


「でも、繋ぐことは繋ぐだろ」


「そうだね」


「本子から抱きついてくることもある」


「ゲームに勝った時だけ」


「俺が肩を組むこともある」


「ふざけてる時だけ」


「飲み物も回し飲みする」


「食べ物も普通に分ける」


「お互いの部屋にも勝手に入る」


「家族旅行も一緒に行った」


「泊まったこともあるな」


「同じ部屋で寝たこともあるね」


「それは子供の頃だろ」


「でも、事実でしょ」


 本子は少し考えた後、くすっと笑う。


「幼稚園の頃、一緒にお風呂も入ったね」


「それは本当に子供の頃だから!」


「入ったことは否定しないんだ」


「覚えてるからな」


「私も覚えてる」


 二人は顔を見合わせる。


 改めて並べてみると、普通の友人同士とは明らかに違っていた。


「……結構すごいな」


「結構どころじゃない気もする」


「周りが付き合ってるって勘違いする理由、分かった」


「今さら?」


「今さら」


 二人は揃って苦笑する。


 これまで当たり前だと思っていたことが、急に違って見え始めていた。


「でも」


 本子が少し首を傾げる。


「恋人ではないよね」


「告白したことないし」


「好きって言ったこともない」


「それに……」


 本子は一度言葉を止める。


 少しだけ顔を赤くしながら、続けた。


「ちゅーもしてない」


 その言葉に、縁之丞が眉を寄せる。


「いや」


「何?」


「五歳くらいの時、しなかったっけ?」


「してない!」


 本子が即座に否定した。


「いや、したと思う」


「してないって!」


「絶対した」


「してない!」


「お互いの家族で花見に行った時」


「知らない!」


「本子が結婚式の真似をするって言って」


「知らない知らない!」


「頬だったかもしれないけど」


「それなら、ちゅーに入らない!」


「じゃあ、したこと自体は認めるんだな」


「あっ」


 本子は足を止めた。


 縁之丞も少し遅れて立ち止まる。


「覚えてるんじゃん」


「今、縁之丞が言ったから思い出しただけ!」


「同じだろ」


「違う!」


 本子は真っ赤な顔で歩き出す。


 縁之丞も、その隣へ追いついた。


「まあ、子供の頃だったし」


 本子が誤魔化すように言う。


「ああ」


「別に、深い意味もなかったし」


「そうだな」


「今でもできるかって言われたら……」


 本子の言葉が途切れる。


 二人は、ほとんど同時に相手の顔を見た。


「…………」


「…………」


 初めて。


 口づけという行為を、今の相手と結びつけてしまった。


 これまで、手を繋ぐことも。


 抱きつくことも。


 肩を寄せることも。


 何とも思わなかった。


 けれど、今の相手と口づけをする場面だけは、上手く想像できない。


 想像しようとした瞬間、互いの顔が急に近く感じられた。


 本子は慌てて前を向く。


「……何で急に黙るの?」


「本子が変なこと言うから」


「縁之丞が恋人との違いを聞いたんでしょ」


「聞いたけど、そこまで言うとは思わないだろ」


「じゃあ、他に何が違うの?」


「それは……」


 縁之丞は答えられなかった。


 また沈黙が落ちる。


 二人の足音だけが、静かな住宅街へ響いた。


 これまで二人は、周囲に何を言われても、同じ言葉を返してきた。


 毎日一緒にいると言われても。


 距離が近いと言われても。


 手を繋いでも。


 抱きついても。


 飲み物を回し飲みしても。


「幼馴染だから」


 その一言で、すべて説明できると思っていた。


 だから、それ以上考えたこともなかった。


「結局」


 本子がぽつりと呟く。


「幼馴染だから、じゃない?」


「そうなのかな」


「多分」


「自信ないんだ」


 本子は小さく笑う。


「縁之丞もでしょ」


「……まあな」


 二人は顔を見合わせ、苦笑した。


 幼馴染だから、一緒にいる。


 幼馴染だから、触れられる。


 幼馴染だから、大切に思う。


 そう考えれば、今までのすべてを説明できる。


 けれど。


 もし本当に、幼馴染というだけなら。


 どうして許嫁だと知っただけで、相手のことをこんなにも意識してしまうのか。


 幼馴染と恋人は、何が違うのだろう。


 その答えは、まだ二人にも分からなかった。

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