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ずっと普通だった幼馴染と、今日から恋人ごっこを始めます  作者: Atelier Lotus


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第7話 いつも通りじゃない

 食事も一段落し、大人たちは食卓に残って晩酌を始めた。


「もう少し飲もう」


「昔話の続きでもする?」


「二人が小さかった頃の写真も見たいわね」


「それはやめて!」


 本子が慌てて止めると、大人たちは楽しそうに笑い合った。


 先ほど許嫁の話をしたばかりだというのに、四人はもう普段通りだった。


 けれど、縁之丞と本子はそうはいかない。


 互いの顔を見れば、先ほど聞かされた言葉が頭へ浮かぶ。


 許嫁。


 結婚。


 今まで自分たちとは無関係だと思っていた言葉が、急に目の前へ現れた。


 そんな二人の様子に気づいたのか、楓が声をかける。


「二人は部屋で遊んできてもいいわよ」


「帰る時に呼ぶから」


 縁之丞は本子を見た。


「じゃあ、行くか」


「うん」


 二人は並んで席を立ち、二階へ上がった。



 縁之丞の部屋。


 漫画が並ぶ本棚。


 棚の前に置かれたゲーム機。


 壁へ立て掛けられた木刀。


 机の上には、ほとんど開かれていない参考書が積まれている。


 本子が何度も遊びに来た、見慣れた部屋だった。


 勝手に漫画を取ることも。


 ゲーム機を起動することも。


 疲れたら床へ寝転がることもある。


 今さら緊張するような場所ではない。


 そのはずなのに。


 今日は、妙に落ち着かなかった。


 縁之丞はいつもの場所へ腰を下ろす。


 本子も、その隣へ座ろうとした。


 だが、ほんの一瞬だけ迷い、普段より少し離れた場所へ腰を下ろした。


 縁之丞は何も言わなかった。


 けれど、二人の間に空いたわずかな隙間が、妙に気になった。


 階下からは、大人たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。


 それとは対照的に、部屋には静かな空気が流れていた。


 沈黙に耐えかね、縁之丞がゲーム機のコントローラーを手に取る。


「ゲームする?」


 本子はテレビへ目を向けた。


 いつもなら、聞かれる前にコントローラーを奪っているところだった。


 しかし今日は、少し考えた後、小さく首を横へ振る。


「……今日はいい」


「そっか」


 縁之丞はコントローラーを元の場所へ戻した。


 また沈黙が訪れる。


 普段なら、会話がなくても気まずくない。


 同じ部屋で別々の漫画を読んでいても平気だった。


 何もせず、ただ隣にいるだけでもよかった。


 それなのに今日は、何かを話さなければ落ち着かなかった。


「本子」


 縁之丞が意を決して口を開く。


「何?」


「さっきの話なんだけど」


「……うん」


「俺と結婚するの、嫌?」


 本子は目を丸くした。


 縁之丞は、自分で尋ねておきながら視線を床へ落とす。


「別に、嫌ならいいんだけど」


「無理に結婚する必要はないって言ってたし」


「ただ……ちょっと気になって」


 本子はすぐには答えなかった。


 自分の膝へ視線を落とし、少しだけ考え込む。


「嫌ではないよ」


 縁之丞が顔を上げる。


「本当に?」


「うん」


 本子は迷いなく頷いた。


「縁之丞と結婚すること自体が、嫌なわけじゃない」


 その答えを聞いた瞬間。


 縁之丞は、自分でも気づかないうちに息を吐いていた。


「よかった」


 本子が少しだけ笑う。


「そんなに心配だったの?」


「少しだけ」


「私が嫌って言ったら、傷ついた?」


「それは……まあ」


「傷つくんだ」


「本子だって、俺に嫌って言われたら嫌だろ」


 本子は少し考える。


「うん。多分、嫌」


「ほら」


「でも」


 本子は膝を抱え、困ったように笑った。


「今すぐ結婚したいかって聞かれると、よく分からない」


「……だよな」


 縁之丞も苦笑する。


 嫌ではない。


 けれど、結婚したいと断言できるわけでもない。


 高校へ入学したばかりの二人には、結婚というものがあまりにも遠かった。


 今度は、本子が縁之丞へ尋ねる。


「縁之丞は?」


「俺?」


「私と結婚するの、嫌じゃない?」


「嫌じゃない」


 迷いのない即答だった。


 本子が少しだけ目を見開く。


「即答なんだ」


「本子も即答しただろ」


「そうだけど」


「じゃあ、何だよ」


「別に」


 本子は顔を伏せる。


 けれど、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。


「よかった」


 その言葉を聞き、縁之丞も自然と笑う。


 張り詰めていた空気が、少しだけ和らいだ。


 本子は身体を動かし、普段と同じ距離まで近づく。


 二人の肩が、かすかに触れた。


「…………」


「…………」


 以前なら、何とも思わなかった。


 いつもなら、本子が肩へ頭を預けてくることさえある。


 それなのに今日は、肩が触れただけで妙に意識してしまう。


 本子も同じだったのか、少しだけ身体を固くした。


 けれど、今度は離れなかった。


「結婚しても」


 本子がぽつりと呟く。


「今と、あまり変わらなさそうだね」


「確かに」


 縁之丞も頷く。


「家が一緒になるくらい?」


「毎日、本子がいる」


「今も大体毎日いるけどね」


「朝も一緒に学校へ行って」


「帰りも一緒に帰って」


「休みの日はゲームして」


「縁之丞が散らかした部屋を、私が片づける」


「何で俺が散らかす前提なんだよ」


「今も散らかってるから」


 本子が、机の上へ積まれた漫画を指差した。


「これは、すぐ読むから置いてあるだけ」


「一番下の漫画、先月からそこにあるよ」


「よく覚えてるな」


「何度も来てるからね」


 二人は顔を見合わせ、思わず笑った。


 先ほどまでの気まずさが、少しずつ消えていく。


 もし結婚したとしても。


 こんなふうに、くだらないことで言い合って。


 一緒に食事をして。


 ゲームをして。


 同じ家へ帰る。


 そんな未来なら、簡単に想像できた。


 縁之丞は、大人になった本子が隣にいる姿を思い浮かべる。


 どんな服を着ているのか。


 どんな仕事をしているのか。


 そこまでは、上手く想像できない。


 けれど、当然のように隣にいることだけは分かった。


 逆に。


 本子がまったくいない未来の方が、縁之丞には想像できなかった。


 きっと、本子も同じなのだろう。


「でもさ」


 縁之丞が静かに言う。


「うん」


「それって、結婚したいってことなのかな」


 本子は少し考えた後、小さく首を傾げた。


「どうだろう」


「本子が隣にいるのは、当たり前だと思ってる」


「私も」


「でも、それが好きってことなのかは分からない」


「うん」


「幼馴染だから、一緒にいたいのか」


「好きだから、一緒にいたいのか」


 本子は膝の上へ頬杖をつく。


「そもそも、その違いがよく分からないね」


「だよな」


 また、静かな時間が流れる。


 けれど、今度の沈黙は先ほどまでとは違った。


 答えは分からない。


 それでも、互いに嫌われていないことだけは分かった。


 その事実が、二人を少しだけ安心させていた。



「二人ともー」


 階下から、楓の声が聞こえた。


「もう遅いから、今日はこの辺で」


「はーい」


 本子が返事をする。


 二人は立ち上がり、部屋を出た。


 階段を下りながら、縁之丞が本子へ声をかける。


「結局、ゲームしなかったな」


「今日は、ゲームどころじゃなかったから」


「次はやる?」


「もちろん」


「負けても抱きつくなよ」


「勝ったら考える」


「抱きつく気じゃん」


 本子は楽しそうに笑う。


 少しずつ、いつもの二人へ戻っていた。


 けれど。


 玄関で靴を履き、別れる時。


 二人は自然と互いの顔を見つめた。


「じゃあ……また明日」


「うん。また明日」


 いつもと同じ言葉なのに、なぜか少しだけ言いづらい。


 本子は小さく手を振り、両親と共に霧島家をあとにした。


 縁之丞は、その背中が見えなくなるまで見送る。


 嫌ではない。


 むしろ。


 本子が隣にいる未来は、簡単に想像できた。


 けれど。


 それが結婚したいという気持ちなのか。


 それとも、ただ幼馴染だからなのか。


 二人には、まだ答えが分からなかった。


 ただ一つだけ分かったことがある。


 許嫁という言葉を知ってしまった今。


 二人はもう、完全に今まで通りではいられなかった。

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