第87話 似合ってる
街へ着くと、本子は真っ先に服屋へ向かった。
「ここ、見てもいい?」
「もう入ってるだろ」
「許可を取っただけ」
「入る前に聞けよ」
本子は縁之丞の言葉を気にすることなく、店の奥へ進んでいく。
縁之丞は特に欲しいものもなかったため、その後ろをついて歩いた。
以前、一緒に街へ来た時も同じだった。
本子が服を見て。
縁之丞は少し離れたところから、それを眺めていた。
何をそんなに悩むことがあるのか。
服なんて着られれば何でもいい。
そんなことを考えていたはずだった。
けれど今日は。
本子が服を手に取るたびに、自然とそちらへ目が向いた。
明るい色。
落ち着いた色。
普段と似た服。
少し大人びた服。
本子が鏡の前で合わせるたびに、どれが一番似合うのかを考えてしまう。
「縁之丞」
「何?」
「これ、どう?」
本子が明るい色の服を体へ当てる。
縁之丞は少しだけ見てから答えた。
「似合ってる」
本子が目を見開く。
「……ありがとう」
いつもなら何か言い返してくるのに。
本子は素直に礼を言い、少しだけ視線を逸らした。
頬が赤くなっている。
「何で顔赤いの?」
「縁之丞が変なこと言うから」
「似合ってるって言っただけだろ」
「前にも言っただろ」
「前とは違うの」
「何が?」
「分からないならいい」
本子は服を持ったまま、別の棚へ移動する。
縁之丞には、何が違うのか分からなかった。
ただ。
照れた本子の顔を見た瞬間。
胸の奥が、少しだけ落ち着かなくなった。
「縁之丞、こっちとこっちならどっちがいい?」
本子が二着の服を持って戻ってくる。
以前なら、どちらでもいいと答えていた。
実際、違いもよく分からなかった。
けれど今回は、二着を見比べる。
「こっち」
縁之丞は右側の服を指した。
「どうして?」
「そっちより本子に合ってる」
「色?」
「多分」
「多分なんだ」
「でも、こっちの方がいい」
本子は縁之丞が選んだ服へ視線を落とす。
「じゃあ、着てみる」
「俺が決めていいのか?」
「参考にするだけ」
本子は二着を持ち、試着室へ入っていった。
縁之丞は近くの椅子へ座る。
自分でも、なぜあれほど真剣に選んだのか分からない。
本子が着る服だ。
自分には関係ない。
それなのに。
似合う方を選んでほしいと思った。
「縁之丞」
声を掛けられ、顔を上げる。
試着室から、本子が出てきていた。
縁之丞が選んだ服を着ている。
「どう?」
縁之丞は一瞬、答えられなかった。
服そのものよりも。
それを着ている本子を見てしまった。
いつも見ている本子。
幼い頃から何度も見てきた顔。
けれど今は。
少しだけ知らない女の子のように見えた。
「変?」
「いや」
「じゃあ、何?」
「……似合ってる」
「さっきも聞いた」
「さっきより似合ってる」
「何それ」
本子が笑う。
その頬が、また少し赤くなる。
縁之丞は、その顔を見つめた。
かわいい。
自然に、そんな言葉が浮かんだ。
本子の顔が整っていることくらい、昔から知っている。
周囲の男子から人気があることも知っていた。
子どもの頃、本子が新しい服を着れば、似合っていると思うこともあった。
けれど。
今感じている「かわいい」は、それまでとは少し違った。
本子が女の子だから。
自分の言葉に照れているから。
そんなふうに意識した瞬間。
縁之丞の心臓が大きく鳴った。
「縁之丞?」
「何?」
「また見てる」
「見てない」
「今、目が合ってたけど」
「服を見てただけだ」
「本当に?」
「ああ」
本子は疑うように縁之丞を見る。
その視線から逃げるように、縁之丞は顔を逸らした。
「……着替えてくる」
本子は試着室へ戻る。
カーテンが閉まる。
縁之丞は自分の胸元へ手を当てた。
まだ少し、心臓が速い。
「……何なんだ」
本子が照れたからなのか。
服が似合っていたからなのか。
それとも。
本子を、ただの幼馴染として見られなくなっているのか。
まだ、はっきりとは分からなかった。
◇
しばらくして。
本子が元の服へ着替えて戻ってきた。
手には、先ほど縁之丞が選んだ服を持っている。
「それにするんだ」
「うん」
「もう一つは?」
「やめた」
「どうして?」
本子は少しだけ迷ってから答えた。
「縁之丞が、こっちの方がいいって言ったから」
「自分で選べよ」
「参考にしただけ」
「それなら、どっちでもよかっただろ」
「よくない」
「何で?」
「分からないならいい」
また同じことを言われた。
本子は服を持ってレジへ向かう。
その横顔は、少しだけ嬉しそうだった。
◇
買い物を終え、二人は店を出た。
本子の手には、新しい服の入った袋がある。
縁之丞は何気なく、その袋を受け取った。
「持つ」
「別に重くないけど」
「いいから」
「私が買ったものだよ?」
「知ってる」
「じゃあ、自分で持つ」
本子が袋を取り返そうと手を伸ばす。
縁之丞は、それを避けた。
「いいって言ってるだろ」
「……じゃあ、お願い」
本子は手を引っ込める。
「ありがとう」
また、素直に礼を言われた。
縁之丞は本子の顔を見ないまま、前を向いて歩き出した。
本子も、その隣へ並ぶ。
『前とは違うの』
その言葉の意味が。
縁之丞にも、少しだけ分かった気がした。
同じ言葉を言って。
同じように隣を歩いている。
それなのに。
本子を見た時の自分の気持ちは。
確かに、前とは違っていた。




