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ずっと普通だった幼馴染と、今日から恋人ごっこを始めます  作者: Atelier Lotus文庫


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第85話 普通の恋人ごっこ

 翌朝。


 いつもの待ち合わせ場所で、縁之丞は本子を待っていた。


 数日前までは、ここに立つことすら苦しかった。


 来るかもしれない。


 来ないかもしれない。


 そんなことばかり考えていた。


「おはよう」


 聞き慣れた声がする。


 振り返ると、本子が少しだけ急いだ様子で歩いてきた。


「おはよう」


 たったそれだけ。


 数日前まで、毎朝交わしていた挨拶。


 なのに今日は、妙に意識してしまう。


 本子も同じなのか、少しだけ視線を逸らした。


「……待った?」


「少し」


「ごめん」


「いつものことだろ」


「それ、許してない言い方だよね?」


「許してないからな」


「昨日、仲直りしたばっかりなのに」


「遅刻は別だ」


「細かい」


 いつものやり取り。


 それだけで、縁之丞は少し安心した。


「行くか」


「うん」


 二人は並んで歩き出した。



 教室へ入ると。


 すぐに近くの男子生徒が二人を見た。


「お。仲直りしたんだ?」


「別に喧嘩してない」


「別に喧嘩してない」


 二人の声が重なる。


 縁之丞と本子は顔を見合わせた。


「真似するなよ」


「縁之丞が真似したんでしょ」


「俺の方が先だった」


「絶対私の方が先」


 男子生徒が呆れた顔をする。


「いや、普通に喧嘩してただろ」


「してない」


「してないよ」


「また揃ってるし」


 その言葉に、本子が少し笑う。


 縁之丞も口元を緩めた。


 数日前まで二人の間にあった妙な静けさは、もうなかった。



 昼休み。


 二人は、以前と同じように机を寄せて昼食を食べていた。


 本子が縁之丞の弁当へ箸を伸ばす。


「それもらうね」


「勝手に取るな」


「前は何も言わなかったじゃん」


「今は言う」


「何で?」


「何となく」


 本子は卵焼きを口へ運ぶ。


「じゃあ、言うだけなんだ」


「返せ」


「もう食べた」


「だったら聞くなよ」


「聞いてないよ。もらうって言っただけ」


「それは報告だろ」


 本子が楽しそうに笑った。


 以前と同じだった。


 何でもない昼休み。


 どうでもいい会話。


 けれど。


 二人の箸が同じおかずへ伸びた時。


 指先が、わずかに触れた。


「……」


「……」


 二人とも、一瞬だけ止まる。


 本子が先に手を引いた。


「何?」


「別に」


「縁之丞が先に触ったんだけど」


「本子が同じものを取ろうとしたからだろ」


「じゃあ譲って」


「嫌だ」


 会話はいつもどおり続く。


 けれど。


 さっき触れた指先だけが、しばらく妙に気になった。



 放課後。


 二人は並んで帰っていた。


 しばらく歩いたところで、本子が口を開く。


「ねえ」


「何?」


「恋人ごっこ、どうする?」


 縁之丞は本子を見る。


「続けるだろ」


「即答なんだ」


「嫌なのか?」


「嫌とは言ってない」


「じゃあ、続ける」


「縁之丞が決めるの?」


「本子も嫌じゃないんだろ」


「そうだけど」


「ならいいだろ」


 本子は少しだけ唇を尖らせた。


「何か雑」


「ちゃんと確認しただろ」


「もう少し迷ったりしないの?」


「続けたいのに、何で迷うんだよ」


 本子は返事をしなかった。


 その言葉を聞いて、少しだけ頬が熱くなったからだ。


「本子?」


「何でもない」


 恋人ごっこは続く。


 まだ、本当の恋人ではない。


 好きだとも、はっきり言えていない。


 それでも。


 やめるという選択肢は、二人の中から消えていた。



 横断歩道へ差しかかる。


 信号が青へ変わる。


 縁之丞は何も考えず、隣へ手を差し出した。


 本子は、その手を見る。


 以前なら何も考えずに握っていた。


 恋人ごっこの一つ。


 ただの約束。


 そう思っていた。


 けれど今日は。


 少しだけ迷った。


「何?」


 縁之丞が不思議そうに尋ねる。


「……別に」


 本子は手を伸ばす。


 縁之丞の手を握った。


 指が重なる。


 二人とも前を向いたまま、横断歩道を渡る。


 離す理由はない。


 けれど。


 握っている理由を考えると、少しだけ恥ずかしかった。


 手を繋ぐことも。


 一緒に帰ることも。


 隣にいることも。


 今までと同じ。


 普通の恋人ごっこ。


 ただし。


 もう。


 相手が別の誰かと歩く姿を。


 簡単に想像することは、できなかった。

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