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ずっと普通だった幼馴染と、今日から恋人ごっこを始めます  作者: Atelier Lotus文庫


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第80話 つまらない

 放課後。


 縁之丞は、剣道場へ向かっていた。


 別に、剣道部へ戻ったわけではない。


 昨日、部長から練習相手が足りないと頼み込まれ、半ば無理やり約束させられただけだった。


「霧島、ちゃんと来たな」


 剣道場へ入ると、部長が嬉しそうに近づいてくる。


「約束したからな」


「お前、何だかんだ律儀だよな」


「誰かが帰ろうとしている俺を捕まえて、離さなかったからだろ」


「そこまでしないと逃げるだろ」


「当たり前だ」


 部長から防具を渡される。


 縁之丞は小さく息を吐きながら、それを受け取った。


「毎回こうして来るなら、もう正式に戻ればいいのに」


「嫌だ」


「即答かよ」


「何度聞かれても答えは変わらない」


「もったいないんだけどなあ」


 部長は諦めきれない様子だったが、縁之丞は無視して防具を着けた。


 道場へ入り、部員と向かい合う。


「お願いします!」


「ああ。お願いします」


 竹刀を構える。


 踏み込む。


 竹刀がぶつかり、乾いた音が道場に響いた。


 相手の動きを見て、一歩下がる。


 次の瞬間には前へ出て、面を打ち込む。


「一本!」


 顧問の声が飛んだ。


 相手の部員が面を上げ、苦笑する。


「今日、調子いいじゃん」


「そうか?」


「いつもより動き鋭いぞ」


 縁之丞自身には、あまり実感がなかった。


 むしろ、余計なことを考えないように動いているだけだった。


 竹刀を振っている間は、何も考えずに済む。


 朝、待ち合わせ場所に本子が来なかったことも。


 教室で目が合ったのに、挨拶すらできなかったことも。


 全部。


「霧島、もう一本頼む」


 部長が横から声を掛けてくる。


「まだやるのか?」


「せっかく来たんだから、たくさん相手してくれよ」


「一人と少し打ち合うだけって話だっただろ」


「言った覚えはないな」


「もう帰るぞ」


「待て待て。あと一本だけ」


 部長が縁之丞の腕を掴む。


「離せ」


「一本終わるまで離さない」


「面倒な部長だな」


「褒め言葉として受け取っておく」


「褒めてない」


 部員たちから笑い声が上がる。


 縁之丞はため息をついた。


「……一本だけだからな」


「さすが霧島!」


「調子に乗るな」


 短い練習試合が始まる。


 相手の竹刀を受け流し、縁之丞は迷わず踏み込んだ。


「面!」


 竹刀が綺麗に決まる。


「一本!」


 周囲の部員たちから声が上がった。


「やっぱ強いな」


「本当に帰宅部なのがおかしいだろ」


「助っ人じゃなくて、正式に戻ってこいよ」


「大会に出たら普通に勝てるって」


 部長も大きくうなずく。


「ほら、みんなもこう言ってるぞ」


「嫌だ」


「少しくらい考えてくれよ」


「前にも考えて断った」


「もう一回考えれば、答えが変わるかもしれないだろ」


「変わらない」


 再び笑いが起きる。


 縁之丞も、少しだけ笑った。


 そこへ、女子マネージャーがタオルを差し出す。


「お疲れ様。今の、すごく綺麗に決まってたよ」


「ありがとう」


 タオルを受け取る。


 褒められて、悪い気はしない。


 けれど今日は、なぜか気持ちが動かなかった。


 縁之丞は無意識に、道場の入口へ目を向ける。


 そこには、誰もいない。


 以前、本子が剣道部の練習を見に来た日のことを思い出す。


 練習を終え、面を外していた縁之丞の後ろへ、本子は気配もなく近づいてきた。


 そして、突然両手で目を隠した。


『だーれだ』


『うわっ!』


『びっくりした……』


『本子!』


『正解』


 練習中は相手の動きを見逃さなかったのに。


 本子が近づいてきたことには、まったく気付けなかった。


『試合ではあんなに強いのに』


『本子だけは気配が全然分からないんだよ』


『普通に歩いただけだけど?』


『嘘だ』


『忍者だから』


『違う』


 あの日も、練習が終わった後、女子生徒たちが縁之丞のことを褒めていた。


 けれど、縁之丞には自分が注目されているという自覚がなかった。


 帰り道で本子から女子も見ていたと言われても、


『剣道部の応援じゃないの?』


 と答えた。


 すると本子は、少しだけ呆れたような顔をしていた。


『……そういうところ』


 結局、何が言いたかったのかは分からなかった。


 ただ。


『強かったね』


 帰り道で、本子はそう言ってくれた。


 あの時は、ただの一言だと思っていた。


 けれど今は。


 同じ言葉を、もう一度本子から聞きたいと思った。


「霧島?」


「ん?」


「どうかした?」


 マネージャーに声を掛けられ、縁之丞は入口から視線を戻す。


「いや、何でもない」


 練習が終わる。


 縁之丞はすぐに帰ろうとしたが、今度は部長に肩を掴まれた。


「少しくらい話していけよ」


「練習には付き合っただろ」


「付き合い悪いぞ」


「最初から良くない」


「知ってる」


「なら帰らせろ」


「十分だけ。な?」


 また無理やり、部員たちの輪へ連れていかれる。


 次の大会のこと。


 顧問の厳しさ。


 最近できた駅前の店。


 話題は次々に変わっていく。


 縁之丞も聞かれれば答えた。


 時々笑った。


 けれど、どこか上の空だった。


「霧島、今日何か変じゃない?」


「そうか?」


「いつもより静かじゃん」


「早く帰りたいだけだ」


 部長が首を傾げる。


「お前、いつもそれ言ってないか?」


「じゃあ、いつもどおりじゃないか」


「確かに」


「納得するなよ、部長」


 笑いが起きる。


 縁之丞も笑った。


 だが、やはり楽しいとは思えなかった。


 着替えを終え、鞄を持つ。


 スマートフォンを確認する。


 本子からの連絡はない。


 当然だった。


 昨日、あれだけ言い合ったのだから。


 自分から送ろうかと思い、メッセージ画面を開く。


 何か書こうとして、指が止まる。


『今日、部長に無理やり剣道部に付き合わされた』


 いつもなら、そんな愚痴を送っていた。


 本子からはきっと、


『嫌なら断ればいいのに』


 と返ってくる。


 そうすれば縁之丞は、


『断っても離してくれなかった』


 と返す。


 それだけの会話だった。


 中身なんて、何もない。


 だが、今は送れない。


 昨日の喧嘩がなかったことになるわけでもない。


 縁之丞は何も打たず、画面を閉じた。


「お先」


「お疲れ」


 部長がすぐに声を掛けてくる。


「霧島、また頼むな」


「もう呼ぶな」


「そう言いながら来てくれるのが、お前のいいところだよな」


「次は本当に来ない」


「また明日な」


「話を聞け」


 部員たちの笑い声を背に、縁之丞は一人で道場を出た。


 帰り道。


 夕方の通学路を、縁之丞はゆっくり歩いていた。


 いつもなら隣に本子がいる。


 朝も一緒。


 帰りも一緒。


 特別な約束をしているわけではない。


 気付けば、いつもそうなっていた。


 道の途中。


 店先に置かれた看板が目に入る。


 妙な動物の絵が描かれていた。


 犬なのか、猫なのか。


 それすら分からない不思議な絵だった。


「これ、本子が好きそうだな」


 口にしてから、縁之丞は足を止めた。


 いつもなら写真を撮っていた。


 そのまま本子へ送って、


『何これ』


『知らん』


『知らないのに送ったの?』


 そんな中身のない会話をしていた。


 縁之丞はスマートフォンを取り出す。


 看板へ向ける。


 だが、撮影ボタンを押すことはできなかった。


 今、これを送っていいのか分からない。


 写真を撮ったところで、送れないなら意味がない。


 スマートフォンをポケットへ戻す。


 そのまま、再び歩き出す。


 嫌々参加した練習で一本取っても。


 誰かに褒められても。


 面白いものを見つけても。


 最初に話したいと思う相手は、本子だった。


 本子と一緒にいる時。


 特別楽しいと思ったことなんてなかった。


 ただ隣にいて。


 どうでもいい話をして。


 時々喧嘩して。


 それが普通だった。


 ずっと続くものだと思っていた。


 なのに。


 本子がいないだけで。


 何をしても、ひどくつまらない。


「……つまらないな」


 誰もいない帰り道で。


 縁之丞は初めて、その言葉を口にした。

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