第78話 分からない
本子は一人、部屋で膝を抱えていた。
涙が止まらない。
どうして。
あんな言い方をしてしまったのだろう。
『私たち、許嫁でしょ?』
『普通、止めるでしょ……』
自分の声が頭の中で何度も響く。
「違う……」
小さく呟く。
本当に言いたかったのは、そんなことじゃない。
『止めて』
たった三文字。
それだけでよかった。
その一言さえ言えれば。
こんなことにはならなかった。
なのに。
意地を張って。
強がって。
また素直になれなかった。
数日前。
縁之丞が言った。
『断った』
あの時は、本当に嬉しかった。
胸がいっぱいになるくらい。
嬉しかった。
だからこそ。
あの帰り道も。
素直に笑えばよかった。
「……ばか」
責めたい相手は。
縁之丞じゃない。
自分だった。
涙を拭いても。
また溢れてくる。
止まらない。
一方。
縁之丞も一人、帰り道を歩いていた。
『私たち、許嫁でしょ?』
『普通、止めるでしょ』
『付き合いたいなら最初から縁之丞に聞かない!』
本子の言葉が、頭から離れない。
「普通って……」
小さく呟く。
自分は。
本子の気持ちを尊重したかった。
嫌な思いだけはさせたくなかった。
だから。
止めなかった。
数日前。
本子は言った。
『自分の人生なんだから、自分で決めなよ』
だから。
本子も同じように、自分で決めたいのだと思った。
それが一番、本子のためだと信じていた。
でも。
『そんな答えが聞きたいんじゃない』
あの震えた声が耳から離れない。
苦しそうな顔。
泣きそうな瞳。
全部。
自分が傷付けてしまった。
「……何が正解だったんだよ」
思わず漏れた言葉は、誰にも届かない。
分からない。
本子を大切にしたい。
その気持ちだけは、本当だった。
なのに。
その想いが。
一番、本子を傷付けてしまった。
二人とも。
相手を思いやったつもりだった。
互いを尊重したつもりだった。
だからこそ。
一番傷付けたのは。
お互いだった。
◇
翌日。
教室。
本子が教室へ入る。
いつもなら。
真っ先に縁之丞の席へ向かう。
「おはよう」
その一言から始まる朝。
何気ない話をして。
くだらないことで笑い合う。
それが二人にとっての普通だった。
でも。
今日は違う。
目が合う。
一瞬だけ。
昨日の夕焼けが脳裏をよぎる。
本子は慌てて視線を逸らした。
縁之丞も。
声を掛けようとして。
結局、何も言えない。
教室にはクラスメイトの笑い声が響いている。
先生が来るまでの、いつもの賑やかな時間。
その中で。
二人だけが取り残されていた。
恋人ごっこを始めてから初めて。
二人の間に。
重たい沈黙が流れていた。




